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生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ
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コエンエルカ
シャイアン族のなかで育ち、狼と生きる、タシナ・ワンブリさんの呼びかけ。
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アイヌの民具
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萱野 茂
民具の紹介にとどまらず、自然に生きるアイヌの生活術と文化を教えてくれる本です。
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聖なる輪の教え
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ジャンピング・マウスのものがたりをはじめ、シャイアンの教えを、そしていまのひとびとのゆくすえを、わたしたちに伝えてくれます。
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日本語とアイヌ語
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「日本」人がアイヌと同系民族だということはことばからもわかります。伝統を忘れていない同族から学び、根っこを呼び覚まそう。
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インディアンの言葉
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静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族
花崎 皋平
北海道の名付け親となった松浦武四郎を追って、アイヌモシリ(アイヌの大地)の歴史をたどる。先住民の側から見た歴史書。
お気に入りの本
ニングル
ニングル
倉本 聡
「あんた方人間はどんどん大きくなる。大きく、偉大に、滅亡へと走っている。」・・・・・・
森と生き、地球の鼓動とともに生きるニングル。人間が自然界へ向けて暴挙を繰りだすとき、ニングルの声が聞こえてくる。
人が、ヤイカムイ(怪物)とならないために。

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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

竃(かまど)再生
うちのお勝手には竃(かまど)がある(ここらの地元言葉では、土間のことを「台所」といい、キッチンのことは「お勝手」という)。先日、掃除をして釜をのせ、使えるようにした。
きっかけは、東京・その他の大学からの来訪者。友人づてに、山村の生活に関心を持っている九人の学生たちが山の暮らしぶりの体験に来たいという。ではお昼は我が家で用意しよう、せっかくだから囲炉裏だけでなく竃の調理も体験してもらおう、と思い立ってのことだった。

竃といっても、昔ばなしの絵によくあるような土間に直かに作られているものではない。セメントを使った四角いもので、表面にはタイルが貼ってある。煙突は後ろの壁を通って屋外に抜けてい、掃除をすればすぐ使える状態だった。





何十年ぶりかであろう竃の火。

囲炉裏と違って空気窓と煙突口以外は密室になっている。熱を放散することなく高効率で釜を熱するためか、思ったより少い薪と時間でお湯が沸く。


学生たちが来た当日が初の炊飯となる。鉄釜、竃、薪の火で炊いたご飯は一粒ひとつぶがふっくらつやつやとしていて、美味かった。
囲炉裏に掛かっているのは鹿鍋。そのほかに、彼らがうちに来る前日に搗いて持って来てくれた栃餅、これは火鉢に炭火を起こして焼いた。
囲炉裏をかこみながら、山の幸をいただく。燃えている火はついさっき山から持ってきた柴だ。山暮らしの体験として、彼らは柴刈りと薪割りを手伝ってくれた。


炊けたご飯の入った釜を写真に撮っていなかった。次に炊いた時に撮影して、この記事に掲載しようと思う。
| | 20:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
鹿の脂
鹿を解体して先づ食べる料理は鹿刺し、そして大鍋で煮出した骨のスープだ。
大きな鉄鍋を囲炉裏に掛け、鹿の骨を入れてぐつぐつと煮る。煮はじめて二、三日するとスープはまっ白に濁り、解体のときに取りきれなかった骨にくっついた肉も、この頃には剥がれ落ちてスープに混じり、じつに旨い。その濃いスープを小鍋にとって汁物を作るのが、毎晩の夕食になる。

毎日煮ている鉄鍋は夜の間に冷える。冷えたスープの表面には、クリーム色に固まった脂が溜まる。この脂を取りわけてみた。鹿の脂は食べていても脂っこいということがなく、さっぱりしていて臭いもない。スープに溶けているものをそのまま食べていてもなんら困ることはないのだけれど、あまりに濃いスープを食べていると、いっぺんにそれだけの栄養を食べるのはもったいない気もするのだ。脂は脂で取っておいて、炒め物などの別の料理に使ってみた。

固まった脂を菜箸で取る。




中華鍋での炒め物に使っているところ。



それほど沢山いれなくても十分で、あたりまえだけど鹿の肉にはとてもよく合う。
牛や豚のラードのようにベタつくことがまったくない。植物油よりもサラッとしている。

縄文時代のひとびとも獣の脂を取り分けていたようだ。榛東村の耳飾館で展示している土器には燭台と思われる器があり、獣脂が付着していた。芯をとりつけて火を灯し、明かりとしていたと想像される。
また、縄文土器によくある筒型の器は、底よりも口のほうが広がっているものが多々ある。これは煮出した骨肉の脂を取るのには効率のいい形なのではないか、と思いついた。そのうちそんな器を作って実験してみたい。

※関連記事
鹿バラ肉角煮   (2008.12.21)
続、鹿解体・後編   (2008.11.12)
続、鹿解体・前編   (2008.11.08)
鹿解体   (2006.03.21)
| 料理 | 17:17 | comments(8) | trackbacks(0) |
食と体 断食経験記
 思うところあって、断食をした。健康や療治を目的としたものではないけれど、あらたに体のことを観察できた。
 いままでも断食を試みたことはある。が、いづれも一日以上もたずに挫折していたので、数日間のちゃんとした断食は今回がはじめてだ。断食中も普段どおり生活をし、薪割りや、仕事もちょうど体力を使うものが多かった。

 一日目の夕方から側頭部が痛み、体のあちこちに鈍い痛み、倦怠感がつきまとう。二日目の午前中が一番つらかった。しかし正午からはすっきりとした感じとなり、わずかな頭痛とふくらはぎの鈍痛以外、普段と異なることはなくなった。 喉が頻繁に渇き、普段の二・三倍の水分をとっていたと思う。
 三日目からは、頭では「食べたい」と思っていても、体が食を欲していないように感じた。運動すると心拍が普段より速くなりやすく、ゆっくりな無理のない動きをとるように気をつける。水分摂取も前日までよりは減り、普段の一・五倍くらいだろうか。
 そして夜、なかなか寝付けず、眠りも非常に浅くなった。これは、この後 断食終了まで続くことになる。
 四日目からは無理のない動きにだいぶ馴れ、フラつくことや立眩みもしないで普段どおり動くことがほぼできた。ただ、体の疲れには敏感なようで、いつもなら多少疲れても動き続けるところを、わずかでも休憩を入れながら行動していた。
 この日から寒さに敏感になる。というか、体の芯が冷えているという感じ。代謝が遅くなったためだろう。

 七日目と八日目はかなりきつくなり、動くことも努力が要り、寒さもかなりこたえた。また、胃や腸の辺りが時々疼く。そして口内上部が痛み、風邪のときのように若干腫れてきた。
 頭では食べたいと思うものの身体的には食欲がまったく沸かない。疲労困憊したとき食欲がなくなるのと同じだ。

 八日間で断食を終え、九日目から食事を摂りはじめると、これらの症状はぴたりと収まった。ただし、口内上部の腫れだけはその後も五日間つづいた。風邪等、断食とは無関係のものだったのだろうか?

 動きや反射速度がゆっくりとなる(せざるをえない)ことは、自分のペースでできる仕事柄、調整が利くけれど、寒さを感じるのはかなりつらかった。一方で、毎年苦労するしもやけがまったくなかったのは助かった。水分を多量にとっていたので、血の巡りがよかったのだろう。八日間、便通はまったく無かった。


 断食を行って、ひとは、数日食べなくとも本当に平気だということがわかった。書物等で確信していたし、またおかマタギが過去に一週間位断食したことがあると聞いてもいたけれど、実際に自分の体で確かめることができた。
 人間は肉食動物だとおれは考えている。獲物を獲たときは大量に食べ、得られない時は何日も空腹で活動する、食いだめが可能な身体だと。だから普段から食事の時間や回数にはこだわらず、食べたい時に食べ、食べたくない時は食べないようにしてきている。
 そんな一日二食や二食半だったとしても、食べる時間や量はそれなりに決まってくる。断食中、普段食べている時間や食べる状況(たとえば力仕事を終えて一服するとき)になると、頭のなかに食べ物のことが思い浮かんで来た。
 頭で食べることを想うとしんどかった。体は欲していなくても、頭が食べたい欲を掻き立てるのだ。普段の食事が習慣であり、“楽しみ”のための食だと、痛感させられた。

 本当に必要な食べる量とは、どれくらいなのだろう。体にとってもっともちょうど良い量は。
 それは体の使い方しだいといえるかもしれない。
 断食をしていると、筋力をつかう作業は慎重になる。無理をするとフラッとするし、かたよった力の使い方をしたところにはすぐ鈍い痛みが生じる。
 それを機に、無理のない動作をこころ掛けることができる。理想的な太極拳が最小の力で最大の効果を得るように。あるいは、野生の世界で生きるもののように。

 過剰な食物で体を動かすことは、本来の動きができないでいる体を、外部からの力で無理矢理動かすことかもしれない。無理に動かされれば負担が生じ、支障が出たり、壊したりする。

 体は全身かたよりなく動くのが一番いい。部分的に使いすぎたり使わなすぎたりすると、バランスを崩す。
 体の中心である脊柱を軸に、脊柱の元である仙椎をちからの源として、そこから起こった動きを手足や指先まで伝わるようにすることが本来ある動きの姿なのだろう。
 体の芯―――肉よりも骨、骨よりも髄、髄よりも細胞、そして細胞を形づくり個個の細胞を繋いでいる“気”。

 伝わるためには、ゆるんでいなくてはならない。
 硬直することなく、リラックスしてゆるんでいれば、芯(心)から起こったうごきが全身へとつたわっていき、無理することなく行動することができる。
 体のことを知り、正しい使い方を学んでから大きなエネルギーで体を扱えれば、エネルギーに見合った十全な活用ができるはずだ。

 数日間食べなくても体は動く。身体の元からのちからを原動力に。
 にもかかわらず「食べたい」という観念は頭に飛来し、抑えるのに苦労する。体の声よりも、“なれ”に流された思考や慾望といえる気がする。

 食べることは楽しいことだ。その楽しみにおぼれることなく、ひとつひとつの食事を、いっそう楽しんで、感謝して食べることができたら最良だと思う。
 そして、体のこと、食べ物とのつながりのことをもっと知るために、またときどき断食を行っていこうと思った。

※関連記事
山と躰  (2009.08.01)
柴刈り  (2006.04.29)
| | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
ザリガニ料理
今月はじめ、通っている整体道場の稲刈を一緒にした。田畑―――植物を育て実りをいただくということは、整体に通じるものがある、というか同じもの、という。大地という体のリズムや流れをきちんと知ってその恵みをいただくことは、大きな輪の一部としてあることだから、大地の一部であるひとの身体をきちんと知ることと同じ。

当日、道場にお世話になっているひとがたくさん集まって、みなで楽しく稲刈りをした。もち米なので、うるち米より刈り入れの時期がおそい。
家族づれのグループも多く、子供たちは田畑を遊びまわって、最終的にザリガニ採りに夢中になっていた。かつては何処にでも見られた、子供の遊びがそのまま生活の糧をも潤す風景だ。
水の干上がった用水路や、畑の一角にある蓮池で、子供たちは10匹以上のザリガニと、フナのような魚、ドジョウ一匹を獲得した。

で、それらの獲物をうちでもらうこととなった。くれるのだから、ありがたくいただきます。いただくからには食べないと申し訳ない。我が家の近くにはザリガニもドジョウも住める場所がない。
いくつかの料理法を考えたけれど、ザリガニの味を一番味わえる方法、お湯で煮るだけで食べることにする。

まずザリガニをざっと洗う。捕まえてから数日経ってしまったものの、大半が元気に鋏を振り上げる。細かくは洗えないけれど汚れで付いているのは土や石くらい、農薬や除草剤とも無縁の場所に暮らしていたので、あまり気にしない。


ぐつぐつと煮立った鍋の中に入れる。瞬時に死を迎えられるように、何匹か入れてお湯の温度が下がったら、また煮立つまで待つ。

元気に動いていたザリガニが不動の姿になるのを見るのは、矢張り悲しい。けれど食べるということはこういうことだ。

すべて入れ終わって、赤く煮えるまで待つ。


煮えたと思う小さいものからお皿にあげていく。
ザリガニは「砂利蟹」とはいうものの、生物学的には蟹よりも海老に近い。ザリの語源も砂利ではなく、後ろにずりさがる動作を表した「いざる」蟹、という説もあるそうだ。
とまれ、小さいザリガニは海老の姿そっくりである。


中国でタイのひとと一緒に料理した時、ザリガニスープも作ったことがある。けっこう辛い味付けでザリガニそのものの味はよくわからなかった。それもあって今回は、茹で湯に入れた塩だけで食べてみる。
小さいものなら殻も残さずいけた。大きいものは海老のように、頭部の硬い部分から腹もぎとり、背中の殻を剥いて食べる。
思ったより薄味。蟹と海老を足して二で割ったような味だ。鋏の中の肉は蟹と変わらないように感じる。
煮出した汁にもそれほど味はついていない。けれど、塩を入れて煮出してみれば、また違った香ばしい味になるのではないだろうか。

茹でただけでは食べられない硬い殻はとっておいて、後で沢蟹のように炒めて食べる予定。きっと香ばしくてよいおかずになると思っている。
魚とドジョウは数日後、ドジョウは汁物の具にして、魚は焼いていただいた。
| 料理 | 15:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
浦川さん作のマキリ
もうひとつの日本文化(アイヌ文化)徒然ブログの書き手、arimaさんにお会いした。
ナイフの鞘・柄作りの記事にコメントしていただいて以来、お互いにたびたびコメントをして意見を交換しあっている。それだけでなく、arimaさんは浦川さんの鹿解体の様子を収めたお便りをくださったり、何度か電話もいただいた。
今回も、所用で来ていた本州で福島から横浜へと向かう際に電話をくださり、面会が実現した。うちの方へ寄っていれば横浜に着くのは夜更けとなってしまうのに、なれない道の運転、長時間の移動でお疲れのところを、奥様もお付き合いくださって本当にありがとうございました。

お会いしていたのは一時間ほどだったけれど、非常に中身の濃い時間だった。待ち合わせ場所にしたお店の飲食コーナーで、arimaさんは五本のマキリをひろげてくれた。


写真で見ていた精緻なマキリが目の前にある。壮観である。
画面ではいままで何度も見ていた道具たち、実際に手にすることが、こんなに早く実現するとは思わなかった。

持ってみて、その軽さに驚いた。
浦川さんのマキリは身が薄い、とは写真からも想像していたけれど、なるほど、これだけ薄いとこんなにも軽くなるのか。
おれはトペニ(イタヤカエデ)の材を持ったことはない。けれど、目の詰まった地肌からけして軽い木ではないと思う。ところがこのマキリは杉か檜でできているかと思うくらい軽い。

これはたしかによほど硬い木でないと解体するときに割れてしまうな、とまず思った。
しかし持ったときに頼りなさを感じることはない。初めて手にしているのに、不思議なくらい手のひらに馴染んで、すっぽりと収まっている感じた。
握力でにぎって力まかせに切るのではなく、空気のようにあくまでも軽く使いこなししている浦川さんの手の内が見える気がした。


どうしても言葉でつらねると長くなってしまう。手にしていると一瞬なのだが。

模様の細かさ、刃を入れる鞘の中、汚れ出しの穴など、じっくりと見せてもらう。

柄の先は刃にむかってわずかに細くなっていて、鞘にしっかりとはまり、簡単には抜け落ちない。それでいながら鞘に収めるときに「硬さ」を感じさせず、すっと収まる。一流の作りだ。

見ながら、arimaさんがマキリづくりの浦河さんを話してくれる。
形も模様もマキリだけでつくること。
以前、山を歩いていて抜け落ちたマキリかあったことから、浦川さんは鞘と柄をつなぐ留め具を必ずつけている。
木の皮で巻いた箇所がある鞘は、焼き焦がしてくりぬく作り方ではなく割って中を削る作り方の場合に補強として施す(もちろん巻いた木皮がマキリを彩る模様の一部となっている)。
浦川さんのマキリ模様は細かくて、鱗模様が沢山あり、一方で渦巻き模様は多くない。目の前にある一本がそんな渦巻きのマキリであることに気づいてそれをいうと、これはNHKで放送される番組で作ったものとのこと。“一般のマキリのイメージ”を意識したのかな、というおれの意見にそうかも知れないとarimaさんは言った。


今回一番感慨を受けたのは以下のことだった。
アイヌは鋸(のこぎり)を使わない、浦川さんはその作法を守っている。製材されてきた鋸目のついた材は、アイヌの作り方ではない、と使わないという。
そのため、一度割って合わせた鞘は、木の目に自然に沿って割れているので、どこを割ったのかわからない。隙間が見えないのだ。
木で作ったものは温度や湿度の変化に合わせて動きがある(形が変わる)。張り合わせのものなどは合わせ目がずれたりすることもあるのだが、浦川さんの作り方はもとの木の有り方を回復するために動きがほんの僅か、あるいはまったくないかもしれない。一年をとおして安心して使える、長生きの道具ということになる。

けれども、それ以上に感じるものがある。
「アイヌのやり方を守る」
これは単に伝統を守るということだけではない。
もちろん浦川さんはアイヌの伝統と誇りをこの上もなく重んじ、愛していると思う。
それはどういうことなのだろう、と考えていて、おれは一つのことに気がついた。

道具を使うということは、自然界―――地球からものを借りるということだ。木を借り、金属を借り、水を借り、空気を借りる。借りる量が多ければ、地球にとってそれだけ負担になる。借し借りの中にはバランスがあり、均衡がくずれればどこかにしわ寄せが来て、不健康な状態、病いとなってしまう。
生きるのに必要以上に借りないこと(使わないこと)、という大地のおきてを守っていれば、借りている側の生きものもだれかになにかを借すこととなり、いのちのちからは循環し、バランスがとれていく。

自分が使っている道具がどうやって作られたか知らないと、自分が借りているものの量がわからない。必要な分を借りているのかどうか、わからないこととなる。これではバランスのとりようがない。

おれがナイフの鞘や柄を作るとき、材は製材されたもの、製材用の機械で作られた、石油で動いているか電機で動いているかも知らない。鋸はホームセンターで買った。彫刻刀も買った物。焼き焦がすのに使った釘も買った。現代の製鉄産業の中で、どれだけのエネルギーを消費して今ここにあるものか。

自然とともに生きてきた先祖の伝統を守ること、アイヌのやり方を守ること、とは、先祖のように自然と調和して生きることにほかならない。
これがアイヌのやり方だ、と、言葉にすれば一言だ。
けれどもそこには、ずっとバランスをとって続いてきた生き方がある。

どうやればバランスがとれるか、など理屈で理解しようとすれば膨大な情報量を処理しなければならないだろう。情報を処理するにもちからを借りなければならない。

まずは行動すること。行動するための智慧はまだまだ残っている。先祖たちが地域を越えて残してくれた教えを、理解していくだけのちからはおれたちにあるはずだ。
これが縄文人のやり方だ、といえる生き方をひとつひとつ増やしていければ、その分だけ大地は健やかになっていくとおれは信じている。


ストロボも使って撮影してみた。いつも手元にあればこんなに沢山の写真は必要ないが、浦川さんのマキリから学ぶために、いまのおれには必要だと思ったのだ。



※関連記事
マキリを手にする 模様を感じる  (2007.08.21)
沢蟹料理など  (2007.07.19)
 コメントのなかでarimaさんが浦川さんのお話を書いてくれています
ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?
           (2007.06.11)
ナイフの鞘づくり   (2007.02.27)
鉈の鞘   (2006.02.21)
| ものづくり | 08:47 | comments(2) | trackbacks(0) |
タシナ・ワンブリさん 
夢をみた。
学ぶことに熱心な少女に、やさしき導き手の母のような女、少女が高いところから落ちそうな危険に遭ったとき、導き手の女が手をのばして少女の手をとった。古い梁と柱でできた、大きな木の家。
母のような手は少女の手をとったとき、同時にいまは見えないたくさんの手を、未来へと繋いでいった。

目が覚めて、母のような導き手の女はタシナ・ワンブリさんだと解った。
会いに行きたいと願いながらも時が合わず、数少い文のやりとりですごしているここ数年。

タシナさんのことばを、たくさんの人に聴いて貰いたい。

タシナ・ワンブリさん 記 「解っているのは そのくらいだけ」

「メディスンホイール(聖なる輪)」
「鷲の羽衣の女」

広大なるホームページ「神を待ちのぞむ」のなかの「天空の果実」等で、タシナさんのことばを紹介しています(当HPではおもにエレーヌ・アイアンクラウドの名で記されています)。

※製作者の方の許可を得て、ホームページ神を待ちのぞむをリンクに加えました。地球に生きるいのちとして、こころからのことばたちが綴られ、インディアンやアイヌ等先住民のことば、世界観も紹介してくれているページです。


※関連記事
牙 狼と二本足   (2009.07.10)
槍の柄作り〜野生の狩人をめざして   (2007.11.16)


| 遠吠えと谺 | 04:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
栗の実 栃の実 山椒の実
地元の山から栃の実を採って栃餅を作っているやまんばさんに、栃のアク抜きを教わりたいと思いながらなかなか叶わなかったここ数年。今年やっと栃を拾うことができました!

なんともうかつな話で、家からすぐ近く、しょっちゅう薪を採りに行っている場所に立派な栃の樹が立っていた。他の木が茂っていて葉が見えなかったこともあるけれど、木肌で樹種を判別できていないことかくの如し、まだまだやまのことを知らなすぎる。
栃だ! と気づいときはすでに遅かったようで、実は殻を残してなくなっているものがほとんどだった。鹿が食べ虫が喰い、収穫といえるものはほとんど無かった。

栃は一本しか見あたらないけれど(いまのところ)、栗の樹はたくさんある。現に薪にしているのは枯れて倒れた栗の樹がほとんどだ。栃の実の殻が落ちている周辺には沢山の栗の実が落ちていて、こちらは中身がちゃんとあった。栗は栃よりも少し実りが遅いようだ。


栃の葉っぱと、小粒の実と殻。


傾斜のきつい山々では、距離は近くても実りの時期にむらがある。標高によって気温はかなり違うし、日の当たり具合も大差があるからだ。別の場所の栃の実はまだ遅くないかも知れない。自宅付近は来年以降の楽しみとして、今年の収穫をまだあきらめたわけではない。


通っている整体道場で知り合った青年が遊びに来た。かれの容貌と雰囲気からおれが受ける印象は、ブレーズ・サンドラールの青年時代といったところ。サンドラル法師(ぼうし)とあだ名する。
サンドラル法師は山暮らしに関心を持ってくれたようで、今回一泊滞在していく。重い薪を運び出すのを手伝ってくれ、一緒に栗と山椒の実を採り、祭りに向けてちょうど始まった獅子舞の練習にも参加した。翌日、運んできた薪を鋸で切り斧で割ることも体験する。なかなか筋がいい。

さて、栃の話である。
前々から大きな栃の樹があると見当をつけている場所へ、サンドラル法師もつれて出かけていく。我が家のある山の裏側に谷になっている場所に、大きな栃の樹があることを数年前に歩いていたとき見つけたのだ。尾根越えをして歩いていくとずいぶん時間がかかってしまうので、今回は車を使って山をぐるっと周って行く。

谷の北西、つまり南東を向いている斜面を歩いていく。思っていたよりも沢山の栃の樹があったが、うちの近くのものよりも黄葉がすすみ、落ちているのは殻ばかり。うちより大きな殻が目立ったのは、日当たりの違いだろうか。
太いもの細いもの、栃の木が続く谷間をさらに登り進んで行くと、まだ葉が青い大きな栃の樹があった! 中身の詰まった実も沢山落ちている。やった! 栃の実拾いがやっと実現した。 

いろいろな木の枯れ葉に実が落ちている。殻だけのものも多いけれど、中身が入っている殻の外側は鮮やかな黄土色で、一両日ちゅうに落ちたもののようだ。鹿の足跡が多いことからも、採りごろの時期は数日から一週間前だったかと予測する。今回はぎりぎり収穫に間に合ったというところか。
標高が低く暖かいところよりも、上に登った気温の低いところのほうが実りがおそく、落ちるのもおそいようだ。

サンドラル法師が一本の木の枝で枯葉を分けている。真似しておれも枝を使う。手を使うと一度に大量の枯葉を動かしてしまい、混じっている栃の実を見落としてしまうが、細い枝で書き分けると葉っぱの隙間から丸い実が顔を出す。これはいいやり方だ。薪割り斧の振り方も短時間で上手になっていたし、サンドラル法師は山に暮らす本能が発達しているのかもしれない・・・?


栃の実。


山椒採り。


山椒の実。


栃の実拾いを終えて夕方、地元の手打ちうどんのお店で天ぷらうどん・カレーうどんを食べた。天ぷらはおかみさんが今朝採ってきた地のもの。
このお店でもやまんばさんの栃餅を置いているけれど、いつもすぐ売切れてしまい手に出来ないことが多い。この日も売り切れだった。
しかしサンドラル法師が来た日おれはやまんばさんのお店で買い物をし、そのとき栃餅を貰っていた。店に入るなりにこにこ笑って「ちょうど残っていて自分が食べようかと思っていた」と言いながらやまんばさんは二個の栃餅を持たせてくれた。我が家でお茶を飲みながら半分個の栃餅を食すサンドラル法師、かれに山の幸は味方したようだ。

うどんを完食して店を辞し、小雨の振り出すなかを、かれは峠を越えて帰っていった。


栃の実はまず水に漬けて、虫が喰っているものを選別する。
その後あく抜き作業をやまんばさんに教わっていきたいと思う。今回たくさんの量が採れたわけではないけれど、練習用としてはちょうどいいかもしれない。
また記事に書いていきたいと思う。


※ブレーズ・サンドラール Blaise Cendrars はフランスの詩人。若い頃に旅に出て以来世界中を放浪する。
アフリカの呪い師たちとともに過ごした時間から生み出された詩を原作に「影ぼっこ」という絵本がある(原題SHADOW サンドラールの詩の題はLa Feticheuse(魔法使い))。おれのお気に入りの絵本のひとつ。ぽるぷ出版から発行されています。
| 山菜・野草採り | 10:22 | comments(4) | trackbacks(0) |
あかそとひれはり草の味噌ジャガ炒め
なかなか記事に書いていないけれど、日常に野草を食べている。今年春から食べたのは、杓(しゃく)、桑の葉、あかそ、みやまいらくさ(みやま刺草)、ひれはり草、たんぽぽ、蓬(よもぎ)、山椒、露草(つゆくさ)、姫女菀(ひめじおん・ヒメジョオン)、背高泡立草(せいたかあわだちそう)、猪子槌(いのこづち)、などなど。

杓(しゃく)のように直接調理できるものも多いけど、アクが濃いものは最初に沸騰しているお湯でさっと煮るものもある。いらくさの棘(とげ)は刺されるとしばらくの間しびれるもので素手ではつかめないけれど、お湯に通すことで毒が抜けきり、美味しく食べられる。

最近食べたあかそとひれはり草を入れたジャガイモの味噌炒めの料理を紹介する。


水で洗ったあかそ。


ひれはり草


沸騰したお湯に入れて、1分か2分くらい。


水をきってから細かく切る。


ジャガイモをにんにくとしばらく炒め、さらに水を足して煮る。火が通ってきた頃、あかそとひれはり草を入れる。ひれはり草は洗って切ってからアク抜きのために水で揉んだもの。


味噌で味付け。


ご飯の上に乗っけて食べるのが美味しい。
味付けはお好みでみりんや料理酒、唐辛子や生姜なども合うかもしれません。

ちなみに、あかそはその茎の繊維を使って布を作ることができる。やまから採った草木の繊維で作った服で生活するのが、おかマタギとおれの夢だ。

野草は味も濃く、たましいも濃い。体のちからとなるパワーが強いので少量でも満足できる。そして鹿のように野生の肉との料理には良く合う。
野草を頻繁に食べるようになってから、体の調子が少しずつ変わってきたようでもある。まだはっきりとはわからないけれど、食べる量や好み(体が欲する食べ物)、体重など。

野生でないものを食べる割合がまだまだ多いけれど、さらに野生食を続けていってどのような体になっていくか、楽しみにしている。
| 山菜・野草採り | 17:32 | comments(2) | trackbacks(0) |
山と躰
友人のダンサー、“跳ぶ黒耀”が遊びに来た。
ある小さなイベントで知り合って以来、六年越しの付き合いだ。おれの作ったペンダントの初めての購入者であるかれは、新作を作るたびに熱心に選んでくれて、常に頸に掛けていてくれる。

跳ぶ黒耀がうちに来たのは初めてのことではないが、今回は一緒に尾根へと上った。
幼い頃から山や木々に親しんでいたというかれは最近特に山々に惹かれるらしく、毎日のように山間へと車を走らせているそうだ。そんな「山好き」の所以かはたまたダンスで培っている身ごなしのためか、急傾斜にもかかわらずかれの足運びは確かなもので、山にしょっちゅう薪をとりに入っているおれと同じくらいの速度で上っていく。

斜面を稲妻に横切る鹿の道、針葉樹の多い尾根の道を歩きながら、話をする。躰(からだ)の使い方や身体表現、藝(芸)術に関して、かれとは同じ視点を持つと感じている。小学生の頃からダンスにのめり込んでいる跳ぶ黒耀、幾多のイベントやステージで踊るかたわら現在は後輩たちに教えてもいる。
そんななかで、かれが大事にしているのは身体で感じ、楽しむことだ。「技術を会得するだけでは光らない」。かれ自身、体操選手のところへ勉強に行ったりと技術を取り込むことには積極的だが、自分の内側から求めるもの、内面を表現する手段として自分に合った技術だからこそ習得するのだ。

そんな話をしたり、山の話をしたりしながら、お気に入りの岩尾根に来た。


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身体を使う上で重要なのは足腰だ。特に腰は「体の要」と書くくらいで、その使い方は全身の動きに影響する。
腰、といっても様々なとらえ方があるけれど、武術や整体を通して見ると骨盤と腰椎の使い方=姿勢が大事だということがわかる。
人の脊椎は二足歩行するためS字を描く形になり、腰椎は臍の方向に湾曲している。そしてその下に続く骨盤がどの方向を向いているかで、全身の使い方はことなってくるのだ。武術のようにしっかりとして速い動きに備えるためには、骨盤下部が前方を向く方がよく、また腰周りの筋肉、体の内側の筋肉を適度に活用し鍛えることにもなる。内臓を上に押し上げるような姿勢だ。

この骨盤の向き(姿勢)、そして骨盤自体がいかに柔らかく動くか、ということが健康上でも身体表現の上でも大切になってくる。

骨は硬いものではあるけれど、柔らかいものでもあるのだ。

生きている骨は水々しいもので、柔軟性があり、それゆえに弾力ある頑丈さをもっている。一つの骨も、実はいくつもの部分が合わさってできており、関節ほどではなくとも可動性があるのだ。鹿を解体し、スープを摂るために鍋で煮続ける骨を見ることで、骨に対するおれの認識は以前より詳しくなった。煮終わった骨が無数の細かい部分にほぐれることや、煮る前より軽く脆くなっていることは、生きている骨の内にある水と養分(軟骨や脂肪のようなどろりとしたもの)の存在をありありと感じさせた。これらが骨の強さを担っているのだ。

だから、骨が柔らかく動く、それはいまのおれに実感としてわかるものになった。

鹿の解体による身体組織の認識と、整体を教わり始めたことで、骨盤を動かすということが重要だということを知った。骨盤は、一番大きな腸骨と、その中心にある仙骨、そして仙骨の下部の尾骨の、三つの骨でなっている。
腸骨が左右に開いたり閉じたりすることを意識しながら動くと、それだけで以前には苦しかった足の動きもスムーズに気持ちよくできる。
跳ぶ黒耀にそんな話をしながら、おれの知っているいくつかの動きを教えた。拳法にある両足裏を地面に付けたままの伸脚や、日本武術で“一文字腰”と呼ばれる姿勢などなど。どちらも重心(仙骨のあたり)が二つの足を結ぶ線の上にあることが大事だが、骨盤や股関節をやわらかく使えないとそれがなかなか難しい。
一文字腰は相撲の四股や股割きとも通じる鍛錬法・柔軟法で、この姿勢のままで息を吸いながら骨盤を閉じ、吐きながら開く。また、腸骨は動かさず、仙骨(と尾骨)だけを左右に震えさせるという動きも見せた。正しくできているかよくわからないのだけれど、少し震えさせるだけで全身がリラックスして、熱くなってくる。
拳法の伸脚は足首と股関節・骨盤の繋がりをしっかりと意識しながらおこなう。元来おれは右の足首が硬かったのだけど、これをやることで少しずつ柔軟性を取り戻し、同時に股関節も柔らかくなってきたようだ。足を動かすときに以前より軽く、楽になった。
右足首は左股関節と、左足首は右股関節と関連していると整体で教わった。

すでにかなり体の柔らかい跳ぶ黒耀も骨盤を意識したこれらの動きは初めてのようで、楽しそうに聞きながら自分でも体を動かして試していた。


山から下りてきて夕方、薪割り薪切りを跳ぶ黒耀が手伝ったくれた。子どもの頃、田舎の青森で鉈を使って薪割りを手伝ったことのあるという跳ぶ黒耀は、真剣な表情で鋸を操り、斧を振るっていた。

身体操法は生まれつきではなく幼少時から身に着けていくものだ。その本質を感じ取れれば、どんな動き・表現でも通じるものはある。
野生の生きものたちのような、理に合い、優美な身体表現を、かれがますます磨き輝かせることを楽しみにしている。


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桑の実とり
山を歩いている時、たわわに成っている桑の実を見つけた。山桑ではなく養蚕用の桑である。数十年前まで養蚕が盛んだったこの地域では、段々畑に沢山の桑の木を見かけることがある。―――急傾斜の山坂に、それは見事といえる石積みの段々畑が結構あるのである。使われなくなった後も自然の木々が生えるほどの時間は経っていないようで、けもの道を歩いていると突然ぽっかりと日当たりのよい平ら場になっていたりする。
今は養蚕の影もなく、桑たちは好きなだけ大きくなり、鬱蒼と伸ばした枝はとなりの木と絡みながら沢山の実をつけている。

一本の木に成っている実だけでも相当な量がある。鈴成りのなかから一番熟して美味そうなのだけを選んで採っても、きりがない。
陽がよく当たるところほど熟れて大粒になっているので、登っていって手を伸ばす。


山を歩いているとき見つけるこんな恵み、喉を潤しちからをあたえてくれる最高のご馳走だ。

その場で食べるのが一番なのはいうまでもないけれど、日々のおやつやジャムにもできるので家にも持ち帰る。



山桑は畑の桑より少し遅い時期に実をつける。里の桑より小ぶりで、甘みが濃くてこれも美味い。
そろそろ採り頃の時期である。
| 山菜・野草採り | 22:26 | comments(3) | trackbacks(0) |