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生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ
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お気に入りの本
ニングル
ニングル
倉本 聡
「あんた方人間はどんどん大きくなる。大きく、偉大に、滅亡へと走っている。」・・・・・・
森と生き、地球の鼓動とともに生きるニングル。人間が自然界へ向けて暴挙を繰りだすとき、ニングルの声が聞こえてくる。
人が、ヤイカムイ(怪物)とならないために。

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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

死して活きるいのち
 雨が降っている。
 水気の多い時期になった。夏の夕立のように土砂降りのときもあるけれど、全体としては安定した水の量だと感じる。昨日は陽光が眩しくて、ひさしぶりの薪作りに精を出した。
 木の実 草の実も色づいている。桑の実、木苺、蛇苺。豊富な水で色鮮やかに膨らんでいる。

 うちの傍にあるぐみの樹にも、赤くなった実がちらほら見える。あお(緑)くて硬い実が黄色くなり、やがて艶やかな紅を呈すさまは、日差しが吸い込まれて育っていく時間を視覚化している。


 そして、樹の下にはたくさんの硬い実が落ちている。あおいもの黄色いもの、熟すことなく樹から離れ、土に帰るを待つものたちだ。


 ふたたび樹についている実を見る。ひとつひとつの実が、大きく成るために、一生懸命枝に結んでいる息が感じられる。


 ひとつのたねがうまれ芽吹くまでに、いくつのみどりごが土に帰るのだろう。
 草木の種、虫・魚・爬虫類や鳥の卵。
 一説によると人の子も、宿ったことに気づかれぬうちに消えていくものがあまたあるという。

 消えていき土と帰り、次にうまれてくるもののためのしるべとなる。たとえわずかな時でも、この世にあって縁を結び、次のものたちへとつながっていく。
 関係ないんだ、長い短いは。

 いにしへのやまとことばで “死”を、“かむあがる”。
 神へと上がるいのちの一歩として祀る。
 生きているいのちひとつは無数の死するいのちのつながり、神たちとのつながりでここにある。
 この世界にあらわれるかたちはみんな、見えないいのちを背にもって、一時いっときを過ごしていく。

 天(あめ)から来る光に宿り、地(つち)に帰するまでの、それぞれの時間。
 天と地のあいだでうづまいている一つひとつの命たち、光が流れながらとどまっている。


 あめが、しずかに降っている。
| いきもの | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
Mitsuyoshi追悼コンサート  デジタルホーンのこだま
先週、品田光美さんがこの世に別れを告げて旅立った。
“音色の指”としてこのブログでも登場したことがある、デジタルホーンの演奏者だ(「“縄文(もよう)のある暮らし”、初日」)。

前橋弁天村の村長さんが中心となって追悼コンサートが催される。
『 場所 赤城山頂・あかぎ広場ステージ
  時 09/6/21(日) 12:00〜18:00
   夏至の日没まで歌い、奏で、太鼓しましょう 』


かれとの出会いがどんなだったのか、覚えていない。二回目に会った時は一日をともに過ごして御巣鷹の尾根へ登っていた。それほど自然な出会いだったのだと思う。
展示会を催すと、たびたび現れては演奏してくれた。
苦手な街中での仕事に辟易しているおれを誘いだして、一緒に飲みにいき、そのままかれのアパートに泊まった。モンゴルのどぶろく、初めて味わったGin、美味かった。

一昨年の夏、例によって突然訊ねてきたかれの雰囲気が何か違い、明るさをましたようなので訊くと、勤めていたトラック仕事を辞めた、とのことだった。これからは演奏活動に集中して過ごしていくというかれの気構えが素晴しく、思わず拍手した。その日は我が家に泊まり翌朝、「来月広島に行くんだ」と語っていた。
次に会った時、かれの奏でる曲はオリジナル曲に変わっていた。被爆地を廻る旅のなかで突然曲が降りてきて、以来毎日曲が生まれてくるのだという。
カバー演奏ばかりだったことを内心淋しいと思っていたおれは、今後のかれの演奏がますます楽しみになっていた。

あちこちに演奏に行き、コンサートも催し、充実した忙しい時を過ごしていたのだと思う。うちはうちで忙しく、しばらく会う機がおとづれない最近だった。
かれの最期の日ははっきりしない。湖に身を捧げたのが何時だったのか。プロのドライバーで確かな技術を持ち、なにより優しさの込もった安全運転だったかれが何故そんなことになったのか、わからない。
発見された日の前日、かれはうちをたづねて来ていた。
神出鬼没のかれは留守中のうちの玄関にメッセージを残していくことがよくあり、この日も帰宅したおれたちが目にしたのは、希少品と思われる箱入りのウイスキーと、かれの名刺だった。
その名刺ははじめてみるもので、以前よりも生命を謳歌している活気がひしひしと伝わってきた。

その日 逢う運命でなかったことが悔しい。

いつも独特の笑み見せていた、やさしさの奥にかかえているなにかとても大きなもの、それをしっかりと受け止めてたちむかっているようなポジティブなエネルギー、
深みのある落ち着いた声、洒落ていながら派手でない帽子と装い、
野生のいきものの波動、自然界の生死のことわりにとけこんでいくように、かれのまわりにはいろんな動物があらわれ、それをただ受け止める、

すぺてもう見ることはできないわけか。






葬儀と納骨が終わっての帰り路、おかマタギと二人もう一度事故現場に立った。
雲が壮厳と流れる切れ間に真円の、月が、輝いていた。
月光は湖面を照らし、それをはじきかえす水面(みなも)が
たくさんの輝きをつくっていた。
と、
一条の光の柱が天に向けて伸びていた。
湖と山々を見下ろすように、その光は大空を駈っていた。

                  *     

弁天村村長の述べた弔辞で聞いた、かれが七夕の短冊に詠んだという詩を紹介する。

        七夕の 平和の一夜 永遠に

          


youtube 宮崎駿映画メドレー/ デジタルホーン MITSUYOSHI
youtube ダニーボーイ/デジタルホーン MITSUYOSHI
youtube デジタルホーン/Mitsuyoshi 伝々ステーション in きしん

品田さん逝去記事 読売新聞6月6日
     同     東京新聞6月7日

※新聞のページは時間が経過すれば無くなることもあると思います。
| 遠吠えと谺 | 10:08 | comments(8) | trackbacks(0) |
ナイフの柄づくり
鞘作りを中断して、柄作りを始める。というのも、イルイケ エアシカイ クルに見せてもらったマキリのように鞘からナイフが落ちないための凹凸(刀でいえばハバキ)を作るためには、凸の部分である柄が出来上がってから鞘を作る方が上手くいくと考えたからだ。

鞘と同じブナの木片を、まずは鋸(のこぎり)で切る。



鞘と違って中身をくり抜くわけではないので、すこしづつ削って形を作っていく。


木鑢(もくやすり)でガリガリと削れば速いのかもしれないが、乱暴な気がして使わないことにした。木は、刃物で丁寧に削ると一刀ごとに美しい面を見せる。磨くのではこの美しさはあらわれないのではないだろうか。ナイフだけで素晴しい木彫を作っていたアイヌのひとびとへの憧れからも、今回はできるだけナイフだけで仕上げることを目指している。(といってもすでにナイフの鞘の中は彫刻刀を使っているけれど)


形と模様は何度も描き直しした末に、写真のものに落ち着いた。図には描き込んでいないけれども模様の合間に「鱗彫り」をしていこうと思っている。マキリにある、カムイチェプ(鮭)を思い起こさせる鱗模様だ。初めてのこころみではあるけれど、テレビ画面で見た浦川さんの真似をして、これもナイフで掘り込んでいくつもりだ。
美しさのほかにすべり止めという実用的な意味もある。


ここしばらくいろんなことがあって慌しく時が過ぎてしまった。すべきことに追われるように日々が過ぎてしまっていてナイフ作りもずっと滞っていた。けれども時間がないからといってしたいことを後回しにしているのはもうやめて、工夫しながらどんどん実行していこうと思うこの頃である。その上ですべきこともこなしていくことが、楽しく元気になにごともすすめていけると気がついたのだ。

少しの時間が余った時に、少しでいいから鞘作りをする。急がずとも少しづつ続けていけば、かならず完成を見るのだ。


※関連記事
マキリを手にする 模様を感じる  (2007.08.21)
ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?
           (2007.06.11)
ナイフの鞘づくり   (2007.02.27)
鉈の鞘   (2006.02.21)
| ものづくり | 18:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
高水山獅子舞見学
思いがけず、高水山の獅子舞いを観る機会を得た。
東京都青梅市にある高水山常福院は浪切白不動と称す不動明王を本尊とする修験の地である。坂道を登って不動堂に近づくほどに、清々しくも嶮しいやまの気が濃くなっていき、修行にふさわしい場であることが実感できる。

以前の記事「鹿舞い(ししまい)」でも考察したように、腰を落とした低い体勢を多用して地面を「する」ように踏みしめる動きは、陰陽道の反閇(へんばい)と同じく大地への祈りの儀であり、同時にそれは山で生きていく体と術を練るものだ、とおれは考えている。山岳信仰と深い関係をもつ不動尊寺院で獅子舞いが行われるのは、ごく自然な、生きた伝統の血を感じさせた。


大きく伸び上がるかと思えば、膝を曲げ腰を落とし、地面を這うような動きもある。両手は基本的に腹にくくりつけた太鼓を叩いているので、いわゆる舞いの様な派手な動きはない。胴体を巧みに使っての、こまやかな動きが全身に伝わり 頭飾りに伝わり、鮮やかな舞踊を生み出している。
足腰をそうとうに使い込み、そして力みにたよらない脱力の体捌きが成す技だ。

ここの「しし」も雄獅子には角があり雌獅子には無い。中国伝来の獅子ではなく鹿(しし)だ(「鹿舞い(ししまい)参照)。その動き、笛の曲調、演目の名前等から、おれが住んでいる地域の獅子舞いと同系統であるに違いないと思う。ただ、かつての姿が次々と失伝していっているおれの地元とは違い、高水山の獅子舞いは数百年からの技が途絶えることなく伝えられているように感じた。

三頭の鹿(しし)だけで舞う※演目が終わり、いよいよ真剣を使う「太刀懸(たちがかり)」という最後の演目が始まる。
  ※獅子舞いなどでは「舞う」「躍る」とは言わないことが ままある。高水山獅子舞いでは、「くるう」といい、おれの地元の獅子舞いは「する」という。東北の鬼剣舞も「ふむ」といっていた気がする。




ふた組の太刀使いと獅子がともに行き来しながらくるい、美事な動きで白刃を振るう太刀使いの真剣を獅子が欲しがる。その熱意に感じ入ってか太刀使いは獅子に剣を渡して使い方を見守り、さとす。やがて二頭の獅子は喜び勇んで お互いに太刀さばきを見せ合う、という内容になっている。




使用しているのは真剣で、演目中、獅子の頭に付いている黒い羽を切り落とす箇所がある。獅子役のくるい手はこの真剣を七分ほども口にくわえてくるうのだ。20分〜70分という長い演目時間といい、なまなかな体術ではできないことだと思う。

太刀使いの挙動は最初、獅子に対して決して友好的ではなかったような感じがする。切りつける場面があることもあり、どちらかといえば敵視していたのかもしれな。それが、まとわりつく獅子を相手に長時間くるっていくうちに、どこか心がなごみ、剣を教授していくことになったのではないだろうか。
この場面はおれに強い印象を与えた。土地に根ざして太古から暮していた土着の民の前に新たな生活があらわれ、紆余曲折を経て二つの文化が融け合ったように見えたのだ。縄文の地に弥生の民が来たとき、アイヌモシリ(大地)に和人が来たとき、インディアンの大陸に白人が来たとき、最初はともに智恵と技を出し合って協力していたように・・・。


よりよく体を使っていくこと、体の声を聞くこと、それはより良く生きていくうえで大切なことだ。
ある修験者が言ったという言葉を思い出す。
「修行というのはね、頭が体から教わることなんだよ」

体は地(つち)から生まれて地(つち)に還っていく。体をとおして大地から学ぶ技術が、いまも伝えられている。



※今回高水山の獅子舞いを観に行ったのはまったくの偶然からでした。獲った鹿の肉を仲間うちで一緒に食べたとき、来ていたひとりに獅子舞いのくるい手がいたのです。獅子舞い話に花を咲かせていましたが、まさか翌日に当の獅子舞いを披露するお祭りがあるとは、出来すぎていて一瞬信じられない思いでした。
この縁を紡いでくれたひとと、生涯のおわりにその体を我が家に残していってくれた鹿に感謝を念じます。

高水山の獅子舞いは高水山古式獅子舞保存会によって伝承され、毎年四月の第二日曜日に青梅市高水山常福院にて披露されています。
参考ホームページ:高水山古式獅子舞

※関連記事
鹿舞い(ししまい)   (2006.09.26)
猟期前   (2007.10.25 )


| | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
冬のいきもの
もうすっかり春のような陽気なので、冬は終わったものだと思う。2月になってからも雪は降ったけど、暖かいので一日で溶けてしまう。雪かきしなくて済んで、今年は楽だったなぁ。

それでも、今朝は晴れると確信していたのに外を見れば雪化粧の一面だったのでびっくりしたりもする。天気図からいっても間違いなく晴れると思っていたのに、山のゆえか気候の境が微妙である。

また雪上の足跡を撮った。小さい肉球がならんだこの足は、貂(てん)か、あるいは白鼻芯(はくびしん)か、よくわからない。


雪でも動きまわっているいきものたち、そして動かずにじっとしているいきものたちもいる。たとえば薪にしようともってきた倒木のなかに潜んでいる蟻たち。枯れた木の中の隙間に群れでかたまって、じっと春を待つ。
薪割りのとき、かれらの邪魔をしないようできるだけ気をつけているのだけれど、切ってしまった断面に見つけたり、



割ってしまって露出させてしまったりもする。



見つけたら切るのも割るのも中止して、春が来て暖かくなり彼らの活動が始まるまで、雪のかからないところに置いておく。邪魔をして、すみませんでした。

山の景色を観ながら鋸で薪を切る。一手一手に工夫をしながら、身体の使い方をあれこれ試してより良い動きをさがす。夢中になると疲れにも気づかないほど面白いけれど、外から見れば地味な、動きの小さい作業だ。

もくもくと切っていると、一羽の小鳥が舞い降りてきた。





名前はわからない、冬だけ見かける渡り鳥だ。嘴の形からみて木の実を主に食べているのではないかと思う。
かなりの長いときを、うちの庭で過ごしていった。
| いきもの | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
足跡 雪の上
この冬は暖かい。いまのところ降雪の回数も量も少くすんでいる。晴天が多くて、活動する上ではありがたい。

それでも何度か雪が降った。ある朝外に出てみると家の前を兎の足跡が横切っている。以前にも見かけることがあったけど、こんなに家の近くも走っているとは思わなかった。




家から離れたところではさらにいろいろな足跡を見る。小さいものは貂(てん、テンマル)だろう。少し大きいのは狸か、ひょっとしたら穴熊だろうか。狐はきれいに一列に並んだ点の後を残すという。まだ見たことはない。
山の尾根近くは大きな松やもみの樹が多く、その根元には小さくて細かい足跡を見る。とても軽い跡なので、栗鼠や山鼠だと思う。

まだまだ判別がつかないものがたくさんだけれど、雪の日にはいきものたちの動きの跡を感じられて嬉しい。
| いきもの | 15:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
鹿バラ肉角煮
年の暮れも迫る師走、一頭の鹿を獲った。

その鹿は立派な角をもった大きな躰(からだ)、たてがみのような毛で頸まわりを覆う、歳を経た雄鹿だった。夜の家路の道脇にゆうゆうと身を休め、車の中からおれたちが見ていてもあわてることなく、静かな目をしていた。何度もそんな姿を見知っていたかれが、その日はどこか奇妙に見えた。動きが異状だった。いつものように車に気づいてもあわてることなく、しかしトコトコと歩く姿がモノでも憑いたようにおぼつかない。ゆっくりと走らせるおれの車の前を歩き続け、ひょいっと道をはずれたかと思ったら罠にかかってしまった。
このくらいの大物だと罠から脱出することもあるのだけれど、かれの動きは“呼んでいた”ような、そんな気がして、どうしても心から消えなかった。

“ われを狩れ 
 わが生きてきた時間をひきとり
  この大地の一部たれ ”
ほんものの狩人ならば、そんな歌を聞きとったのかもしれない。

翌朝ふたたび行く。大きな、色の濃い雄の鹿。槍とナイフを使って止めを刺す。ちからが抜けきって不動となったその姿は、奇しくもいつも見かけていたときのゆうゆうとした座像だった。息絶えるまで、ひと声もあげることはなかった。

鹿たちは美しく、つよく、自然(やま)そのもののように偉大な存在だ。
おれはかれらに恥じぬよう生きて、それを敬意のあらわしとしてゆきたい。

   >>◎=++―○●―++=○<<


持ち寄り忘年会に向けておかマタギが料理をしてくれる。料理が苦手なおれは囲炉裏の火力の調整などの裏方にまわる。
献立はパラ肉の角煮だ。沖縄ではラフティーといわれるような角煮を、豚ではなく鹿で作る。

鹿のバラ肉はさほど厚みがない。柔軟で強靭そうではあるものの、見た目のボリュームには欠ける。しかし今回の鹿は大きな体をもっていた。バラ肉も結構な厚みがある。


フライパンで片面ずつ、丁寧に焼く。


焼き終えたら鍋に移し、にんにく生姜を入れて水で煮る。弱めの火でじっくりと煮てゆき、汁が少くなったらまた水を足して煮続ける。二時間を経過して一日目は終わり、翌日また二時間を煮ながら味付けの仕上げをする。


現在煮込み中。出来上がるのは明日だけれど、兎肉の時と同じく美味しいご馳走になることまちがいなし。
忘年会に集う皆さんにしっかりと堪能してもらい、野生のいのちを受けついでいってもらえれば、嬉しく思う。

※関連記事
続、鹿解体・前編   (2008.11.08)
罠という狩り   (2008.10.14)
槍作り、完成   (2008.10.09)
槍の柄作り〜野生の狩人をめざして   (2007.11.16)
| 料理 | 20:25 | comments(6) | trackbacks(0) |
続、鹿解体・後編
吊るした鹿の皮を剥いでから、各部位ごとに肉を分けていく。(皮の剥ぎ方については「鹿解体」「ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?」に書いた。)肩(前足)と後ろ足を付け根から分け取った後、吊っている紐をはずして台に寝かせ頭部を取る。腹・肋骨の上の薄い筋肉(バラ)を取ってから、背骨にくっついている外ロース内ロースを取る。それから肋骨を背骨からはずし、一本となっている体幹の骨を骨盤・背骨・頸骨へと分けていく。




ナイフの使いどころは筋肉・骨の間にある膜や軟骨。肉を切る必要はあまりなく、肩甲骨や大腿骨に直かについている筋肉くらいのものだ。ほかには関節部の筋(すじ)を切る。筋(すじ)さえ切れば四肢は小さく分かれていく。

死後硬直が解けた後で解体をするとこの作業がたいへんに楽なことがわかった。筋肉と筋肉のわかれめが見つけやすく、手を差し入れるだけで膜が裂け分かれ、刃で切る必要がないことも多い。筋(すじ)もとり分けやすい。また骨にへばりついている筋肉も、シールをはがすようにきれいに剥けていく。
肉は熟成したように柔らかな重量感をもって旨そうだ。刃を使って切り分けるときは肉を傷つけてしまうことがあるのだが、硬直が解けた後は肉汁がほとんど出ない。そもそも分けやすいので傷をつけることが少くなる。

初めて解体をした時分は力にまかせてはずそうとしていたため、ナイフの先を曲げてしまったことすらある。回を重ねるたびに鹿の体のことを覚えていき、どこをどうすれば分かれていくのか、だいぶわかるようになってきた。作業の途中に刃を研ぎ直すことも少くなった。
荘子の著にある「庖丁解牛」という文を思い出す。
「庖丁」とは日本語の包丁の語源となった語で、「庖」は料理人・調理職人のこと、「丁」は名字、または某(なにがし)というほどの意味で、ここでの「庖丁」とは一人の料理職人を指している。

『庖丁解牛』

 庖丁が文恵君の為に牛の解体を行った。手で触れ、肩を掛け、足を踏み、膝をつけ、刀の遅く速く動くにあわせて発する音は奏でる旋律としか思われず、あたかも舞踏の伴奏さながらに鳴り響いた。
 文恵君が讃えて言うに、
「見事なもの。技も極まるとこのようなものか ! 」
 庖丁は刀を置いて返答する、
「私の求めておりますのはものごとの理(ことわり)です。それは単なる技とは一線を画すものです。初心の頃、私の目を占めるのは牛の全体像のみでした。しかし三年の後、牛の全体は私の見るところではなくなります。今に至っては心によってとらえるのみで、目には映らずとも思いのままに行うことがかないます。自然の与えたもうた肉体の組織にしたがい、筋骨の隙をつき、刃は切るべき箇所へと導かれ、行くべき所へと走ります。筋が入り組んだところ、硬き骨の結合もものともしません。
 腕の良い者でも一年経てば刀を取替え、一般の者は月ごとに刀を駄目にするものです。しかし今、私の刀は十九年の歳月を使い通し、解体した牛は千を数えますが、刃の鋭さは研ぎおろしたばかりと同様に冴えています。筋骨には必ず隙間があり、刃は厚みをもたぬものです。厚みのないものを隙間に刺し入れるのは広々としたところを自在に遊ばせるようなもの、かようであれば十九年といえども刃は新しいままでありましょう。
 そうは言いましても、筋腱節骨を前にする度に、私はその難易を見極め、慎重に事に対します。眼は確かに対象を捉え、あせることなくゆっくりと、刀の動きは繊細軽微をもってします。“フッ”と音を起てて解体が終わるその瞬間、それぞれの肉塊は土のように積み上がって私の眼前に存在します。私は刀を手に提げたまま、作業のすべてを顧み、心残しのないことをたしかめて、はじめて刀を拭い鞘に収めるのです。」
 文恵君は言う、
「すばらしい ! 余は庖丁の語るを聞いて、養生の道を得た」
         訳:大口のま
      参考書籍:貴州人民出版社「荘子全訳」(中国語)


技は術につづいている。術は道へと近づいていく。

そして、動物の体を解体することは、身体について学んでいくことでもある。どの部分の筋肉がどこの骨と繋がっていて、どんな動きを可能にしているのか理解できる。体内にある筋肉(肋骨の中にある内ロース等)が、体の軸を支える重要な役割を果たしていることも、見て感じることができる。
また、罠で捕らえた獲物は逃げようとして怪我をしていることがある。打撲部分の皮下は黄色い膜が膨(ふく)れ筋肉を覆っている。腫れているというのはこういうことか。さらにひどい打ち身で内出血している筋肉は痛々しい。膜の膨れと違って、こちらは完治するのにずいぶん時間がかかりそうだ。関節に近いところで筋肉膜にくっついて、豆のような塊をみつけることもある。傷を直すためのリンパ球だろうか。

解体は、食料だけでなく様々なものを与えてくれる。おれが経験したのはまだ数回だけれど、解体を知る前と後では身体に対する知識―――実感が違う。自分や他人の体を考える時、以前にはなかった豊富なイメージが持てるのだ。
縄文時代のひとびとや狩猟採集の民、生きるための作業を自分たちでおこなっていた、分業をしないひとびとは、たとえば解体を通じてもさまざまな智恵をわかちあっていたのだろう。
縄文人の身体知識は、現代人とは比べものにならないくらい実感をもって、実際に役立つ、自分自身と一体となった智恵だったのだ。


四肢をばらして背骨を分けた頃にはへとへとに疲れている。冷蔵庫に納まるようにしたことでその日の作業は終える。翌日以後できるだけ早いうちに、頭部の皮を剥いで頬肉を切り取り、上下の顎をつないでいる筋(すじ)を切って関節をはずし舌(タン)を取る。最後に竹の棒の先をスプーン状につくった道具で脳を掻き出す。皮鞣し用だ。
四肢はさらに関節(人間でいえば膝・肘)をはずし、束になって付いている大腿筋やふくらはぎの筋肉をばらして一つひとつの状態に分けていく。


肉を取ったあとの骨は大鍋に入れて囲炉裏で煮込む。これで何日もスープがとれる。骨髄が溶け出したスープは濃く、味はしつこくなくて、栄養たっぷりだ。
頭骨も煮る。取り外せなかった肉や軟骨も煮出していくうちにはがれていき、うちの家族のお腹に納まり、そして血肉となっている。



生きている姿を見、殺し、食料として目の前にあるもの。食べるときに感慨のないはずがない。口のなかの味と食感に、生きている鹿の姿が強く感じられる。
鹿を狩って食べる、その経験は他のものを食べるときにも影響した。パンを食べても小麦の姿が思い浮かぶのだ。風を受けてそよぎながら育っている小麦の姿。
しかし、そのイメージはいつでもやってくるわけではない。あわただしく時計を気にしているうちに摂る食事には、そんなことを感じるべくもない。まずはひとつひとつの食事にゆとりをもって、鹿の姿、地に根ざして生えている草たちの姿を思いえがいてゆきたいと思う。
鹿たちもまた、草たちを食べて生きてきた。


煮出し終わった骨は、またいろいろなことを教えてくれる。そして様々な道具と成る道を秘めている。
けれどもそれを書くのには、また別の機会を設けようと思う。

※関連記事
鹿バラ肉角煮   (2008.12.21)
罠という狩り   (2008.10.14)
槍の柄作り〜野生の狩人をめざして   (2007.11.16)
猟期前   (2007.10.25)
| 狩り | 21:26 | comments(6) | trackbacks(0) |
続、鹿解体・前編
前記事の終わりで書いたように、罠猟で鹿を獲った。その解体について書く。
以前「鹿解体」という記事を書いたけれど、その時には書かなかったこと、またその時とは違うこともある。熊つぁんに教わったことを基にしながら、時間をかけてじっくりと鹿の身体に向かい合いすすめていく作業は、一回ごとに学びがある、自然からの教えだ。なるべく詳しく書いたため長文となったので、前後編に分けることにする。

解体は内臓を出すことから始まる。内臓を出す前に皮を剥ぐやり方もあるそうだが、おれはまだやったことがない。丁寧に皮を剥ぐには結構時間がかかるので、新鮮なうちに心臓・肝臓などを取り出したいため、また沢辺で洗いその後吊るすといった段取りの都合、皮を剥いで露出した肉に汚れ(砂・毛など)が着かないため等から、まず内臓をとるやり方をしている。

最初に、開く部分の皮を裂く。胸の一番上の肋骨が始まるところあたりからナイフを入れ、肋骨、腹部、会陰へと切る。次に肉を切って開く。やはり胸の上の肋骨の始まりからナイフを入れ、肋骨と鳥骨(胸の真ん中の合わせにある骨)のつなぎ目を切り離していく。骨を断つ、という印象があるが、骨と骨のつなぎ目は上手に刃を入れれば力を入れなくとも離れていく。鳥骨に接しているのは軟骨であることも、切り離しやすい大きな理由かも知れない。

一本一本肋骨を切り離してゆきながら、内部の臓器を傷つけないように気をつけなくてはいけない。肋骨内部に手を入れて臓物との間に隙間をつくる。この時、火傷するかと思うほど熱い体温に、背筋が引き締まる思いがするのは毎回変わらない。
心臓、肝臓はこの段階で取り出すことが多い。傷の無い臓器は、熱い血のなかから生まれた、美しい姿をしている。生を、感じさせる。

胸が終わり腹部を切る。骨はないので切っていくのは腹筋だけだ。二足歩行の人と違ってその筋肉は薄く柔らかい。バラ肉だ。ここでも内臓を傷つけないように手を入れる。腸を傷つけて中身を出すと臭いからだ。中身が出れば臭いが肉にうつってしまうこともある。筋肉と腹膜の間に手を差し入れながら慎重に腹筋だけを、腰骨の前部まで切り開いていく。切り進む時、刃が繊維を裂いていく音が聞こえるようだ。ピンと張った上等の布を切るように、刃の動きに沿って肉が分かれていく。

腹をすっかり開けた後、肛門周囲を丸く切り、直腸を手で掴んで中身が出ないように絞りながら、腹の内部を逆進させて開口部から外へ出す。
この作業は正直いって苦手である。糞で手が汚れるのもいやだけど、それ以上に局部へ手を出すことに対しての強い抵抗感がある。鹿に申し訳ない思いがするのだ。
けれどもそんな抵抗感が理由で、思い切りがわるいまま作業していて中途半端な処置をし、周囲の肉を汚して食べられなくしてしまったこともある。そうやって無駄を作ることを避けるためにも、やるからには、手を汚すことを恐れて中途半端にするわけにはいかない。鹿への申し訳なさをいっそうの感謝の念に換えながら、作業していく。

直腸につづいて、胃と腸のすべての消化器官を腹膜からはがしつつ、まるごと体外へ出す。脂肪ののった腹膜は煮込むと美味しいスープになる。胃を取り分け、切り広げてよく洗う。消化途中の内容物は少々臭うが、みな草の繊維だ。水洗いできれいに落ちていく。
腸も、お湯を使ったりしてよく洗えば食べられるのだけど、おれとおかマタギの二人だけで解体をするのはかなりの労力と時間を要し、皮、肉、骨、心臓肝臓胃、脳を処理するだけで手一杯となってしまう。残念ながらいまのところその他の臓器は山に棲む鴉たちの食べるままにしている。

内臓を取り出した体内を沢の水で洗い流し、家の中に運んで皮剥ぎに取り掛かる。


この冬(昨冬)から心がけたのが解体する時間帯だ。動物の身体は死後硬直する。気温でも左右するが、死後二時間くらいから筋肉が硬くなっていく。硬直前もしくは硬直中に解体をした肉は、肉汁が出てしまって旨みが減り、また料理しても硬くて食べにくいという。おかマタギの知識をもとに、できるだけ硬直が解けるまで解体しないよう気をつけてみた。

皮を剥ぐのにはあまり影響がないと考え、吊るしてからすぐ剥ぎにかかったが、作業中も硬直は進む。どうも硬直前より硬直中・硬直後の方が皮も剥ぎやすい気がした。
そして肉の解体に関しては、硬直前後で大きな違いがあった。

後編へ続く。
| 狩り | 20:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
罠という狩り
 槍が出来上がったのでいよいよ罠を仕掛ける。熊つぁんに教わりながら作った罠だ。
 仕掛け方は一度見学させてもらっただけ、あとは熊つぁんの語ることばや表情から読み取った雰囲気、そして山歩きしながら沢山の鹿の足跡を見てきた経験をたのみとしての決行だ。自分の人臭をいかに残さないようにするか、鹿の歩幅は、などなど考えながら作業するものの、経験の無さからくる不安は消えない。成功の場面を思い描いても、蝕感をともなわないそれはどうしても現実感に欠ける。
 一方で、この罠によって命を落とすことになる鹿のことを想う。本来ならば(野生のおきての上ならば)元気に生き、山を駆け巡り子供を育てていく者かもしれない。おれの狩りの介入はおきてにそむく行為となりはしないか。不安と罪悪感に、答えは出ない。

 「狼がいなければ、鹿の種族は絶えていた」
 「狼が鹿たちを狩ることで、鹿はつよい種族となっている」
 ずいぶんと前に生物学の本で読んだことやインディアンの狩人のことばが甦る。生きるために狩りをすることは、野生の世界の秩序の一つだ。おきてを守り、礼儀(感謝)を知っての行いこそ、狩りだ。
 おれもそのような狩りをこころに描きつつ罠を仕掛け、山を下りていった。

 結果を述べると前猟期間中は一頭も獲れなかった。週末や祭日ごとに銃をもった人間が歩き回るようになる山に、鹿たちは避難の必要を感じ、さらに深い山奥へと逃げて行く。罠の様子を見にいくおれとしては、家からあまり離れた所へ毎朝行く時間を作りだせず、仕掛ける範囲はおのづと限界が決まってくる。
 仕事の都合等で猟期開始からしばらく経ってから仕掛けたために、罠の付近には新しい足跡が着くことは一度も無かった。罠で獲れるのは猟期後ひと月くらいだよと熊つぁんが言っていた、その通りだった。

 けれども、朝の空気の中で山を上っていくことは、深く、大きな経験だった。目覚めの意識の中で鹿のことを思う。着替えをし地下足袋を履いて槍を携えながら、家を出る身はどうしても緊張してしまう。これからおれは、命を獲るかもしれないのだ。ひとつの生命に終わりをもたらすのかもしれない。
 山道をあるくこころには祈りにも似た思いがある。
 鹿がかかっていなければいい。空振りの罠を確認して、なぁんだと胸をなでおろし、薪にする倒木を担いで帰ればその方がいいじゃないか。
 反面、鹿の肉がほしい。家族に持って帰りたい。おれたち一家が生きていく上でその肉は、多分に必要なものなのだ。
 矛盾している思いが二つ、常に気持ちの中にあるものの、それは不思議さを感じるものではなく、自然な、切ない心境だった。

 仕掛けた場所に近づくおれの耳は鋭くなっている。草葉を踏みつける音が大きなものに思える。鹿の気配はしないか。熱をもった息の声が聞こえはしないか。罠にかかった鹿から見れば、おれは死の形だ。
 倒木を持って帰宅し不猟を報告する時はすでに残念な気持ちが前面に出ている。明日こそはかかるといいのに、などと思ったりする。
 その繰り返しだった。

 だれかに、野生の狩りの掟を知っているひとに、その鹿を狩ってもいいのだよ、と許可してもらいたい。おれの行為を完全肯定してもらいたい。 しかしそれは虫の良い思いなのだろう。命の重さには自分自身で向き合い、迷いも苦しみも しょっていかなければいけないのだろうから。


 収穫の無かった猟期が終わり二ヵ月後、駆除申請という方法で再度罠を仕掛け、おれは二頭の鹿を獲った。



※関連記事
槍の柄作り〜野生の狩人をめざして   (2007.11.16)
猟期前   (2007.10.25)
道ゆく鹿   (2006.09.24)
罠を仕掛けに   (2006.03.21)

※よくコメントを書いてくださるalpheccaさんが、ご自分のブログで食べものについて・食べることについての考察を掲載されました。この記事でおれが書こうとしている内容と同じ本質のものだと思い、紹介いたします。
縄文の風、たましいのこえ「殺すこと、食べること、生きること」
| 狩り | 08:54 | comments(2) | trackbacks(0) |