いつの頃からか、鍛冶師に憧れていた。
熱い火の中で鉱物を採り分け、槌を振るって柔軟な剛さ(つよさ)を鍛え、すぐれた形を生みだしていく。ドゴン族の神話をモチーフに、鍛冶師が重要な役割をはたしている小説「蒼い人の伝説」には鋼を鍛える描写が躍動感をもって絵描かれていて、鍛冶に対する神聖感・神秘感のようなものをますます強めされられた。
食い扶持を稼げないからと生業にははなから諦めていたけれど、
龍の字と知り合うことで鍛冶を教わる機会を得て、子供の頃からの思いがふたたび熱を帯びたりする。
そんな龍の字がくれた一本の電話から、古代の製鉄実験を見に行くこととなる。日程と会場を詳しく調べてみると、それはリンクブログの書き手
orbitさんの勤め先であった。メールで打診し、当日会えることを確認する。
おかマタギは所用で出掛けられなかったので、龍の字との二人で朝早く出発する。楽しみで仕方がないという様子の龍の字は、車に乗り込むなり製鉄に関するあれやこれやの話を聞かせてくれた。聞きかじった付け焼刃の知識をここに書いて間違いがあるといけないので詳しく掲載はしないけれど、製鉄が歴史のなかでどのように人の生活に影響をもたらしてきたか、漠然と感じたような気分を味わいつつ車を走らせる。
台風のせまる雨の中を、二時間ほどで到着する。一般客が入れる時間になったばかりの会場にまだ人は少く、間近で炉を見ることができた。
本来は半分地下に埋まっていて後ろにはたたらで風を送る鞴(ふいご)があり、前面には溶けたカス(砂鉄から鉄をとり分けた後の不純物)を流し出すための穴がある。おれたちが到着した頃、その穴には温度計が入れられていた。

写真左下、足場を組んである下に、たたら・鞴の代わりとして送風機を使っている。
ある程度の温度になってから、いよいよ砂鉄を入れる。燃料である炭と一緒に、どのくらいの量をどのくらいの時間経過で入れるかが、うまく鉄を溶かしていくかなめとなるようだ。

砂鉄や炭を入れると火花が飛ぶ。炎を扱っているという実感は、胸を躍らせる。
炉の構造は縦穴に風を吹き込む穴をうがっただけのような極簡単な構造なので、その分従事している者の技量が肝心となっいる。古代の技術者は炭や砂鉄の質、炉のある土地の土の質、さらには季節や天候といったもろもろの条件を吟味・把握して、かぎられた道具や条件の中から鉄を取り出していたのだろう。
実験している人々にとっては落胆だったと思うが、今回の結果はあまり良くなかったらしい。風を送る調整やその他の状況(おれはあまりよくわからないが)の加減で、カスが炉中で冷えて固まってしまって、炉前の穴から流れ出なかったのだ。
実験しているのは考古学等を専門としている人たちで、製鉄技術者ではない。製鉄専業者のもとへ教わりに行ったりしながらおこなっているという今回で二度目の実験は、まったくの素人のおれなどから見れば十分に見ごたえのあるものであったのだが、実験担当の人はけっこう残念そうであった。
大成功と言えないとはいえ、鉄の選り分けがうまくいっていないということではない。カスの部分が下部に溜まって固まってはいても、その上に鉄がとれている可能性は十分(?)ある。
見に来たお客さんに、溶けて流れ出るカスを見せるのか大きな山場だったようで、担当の方は申し訳なくおもったのか代わりに冷めきらない炉を切りくずして中の状態を見せてくれた。危険も伴うこの作業は、たいへんだったと思う。
それにしても、使用した燃料の炭の量には驚嘆した。数分ごとに1キロの松炭を入れていくのを見ていると、ついつい日常我が家で燃している囲炉裏の柴やオキ炭と比べてしまう。見学していたのは約六時間、実験を始めてからは九時間以上の時間、炉は燃し続けていた。当然、製鉄で使っている炭はどんな炭でもよいというわけではなく、熱量を確保できる質の良いものでないといけない。
龍の字によると、現代でも炭の火で製鉄している鉄工所はあるという。
おれも千二百度の火を使用して生業としている身ゆえ言えた義理ではないのかも知れないが、冬を越す薪を集めるため山を上り下りして掻く汗を思い出すと、一握りの鉄のためにどんどん燃やされていく炭を見るのは、なにか身を細らせるような、落ち着かない気分を禁じえない。
木を伐り出し運ぶ。炭にする。原料となる砂鉄は土中より掘り出されて河川で洗われ、鉄分の多いものが選り出されて運ばれる。
そして燃料・原料を採った場所では、沢山の生きものの生活空間が壊される。
鉄器を駆使することは中国大陸からもたらされた技術だ。もちろんそれ以外の金属技術も、もともとこの弓の島にはなかった。優れた道具を作り出す金属たち、これほどの労力を必要とする技術は生活のなかで必要とするものではなく、大規模な集団としての力を維持していくための道具、戦力だったとおれは考える。ひとつの一族やひとつのムラ、その生活の中でのちからであれば、道具と成ってからのちからよりも、道具を作る労力の方が負担となって、石器骨器等とくらべて決して便利な道具ではなかったと思うからだ。
交易等で手に入れた金属器は尊び大切にするとしても、その道具を作り出す技術を生活の中にとり入れることは、縄文のひとびとはしなかったと思う。
金属とはあくまで、特別なものであり、それ故みだりに使ってはならない神聖なものだっただろう。
限られた、特別なちから。
その認識は、むやみに道具を使うことをおのずと戒め、生きるに必要とするときのみに役立ってもらう有り難い存在と感じ得る。
一つの金属器の背景には膨大なちからの凝縮がある。
多くのいのちがその道具のためにちからを分け与えている。
そんな道具を日常に、あたりまえとなって使っていることは、ひとにとってよくないこと、危険なことなのではないだろうか。
どんな道具も、(そしておれたち自身の体そのものも)、かつては別のかたちであったものたちのちからを借りて、使うことができている。なにもないところから自力で生み出したものは一つもない。
生きていくということが他のものたちのちからを借りてつながっているということを、忘れないでいなければならない。だからこそ、そこには協調があり、共生があり、多くのものたちがバランスをたもって存在できる世界があるのではないだろうか。
自分が使っている道具たちに、どのような背景があったのか。どんな経緯でここに来て、使わせてもらえるようになったのか、それらを感じつづけていることはもともと自然なことだったのだと思える。けれども“物”にあふれる現代に過ごしているおれたちはそれら一つ一つのものの背景をすべて感じていたら、あまりに多すぎる景色の内容に気が振れてしまうのだろう。
そうして、ものたちの声が聞こえなくなるように自分から耳を閉ざし、感覚を鈍らせてきたのだろう。
それは自分の使っているちからがどのようなちからなのか、わかっていないということだ。
強すぎるもてあましたちからで、多くのものを傷つけていくことにもなりかねない。
一つ一つのものを大切にする。それがやがては世界のすみずみまでを大切にすることになっていくのだと思う。地の果て、空の果てまでも、みなつながっているのだから。
製鉄実験の合間に、館内展示も見てまわった。orbitさんが案内や説明をしてくれて、短い時間では見切れない面白さにまた日を設けて見に来ようと考える。
そしておれは、やはり縄文時代の遺品の数々に最もこころを奪われる。これらのものたちを作り出していたひとびとは、間違いなく宇宙とつながり、一体となっていたひとびとだと心底思う。
ナイフを使い鉈を使い、その他沢山の作られた道具たちのちからで生きながら、それらをみだりに使ってはいないか
つねに自分に向けて問うていかなければと、あらためて思う。
沢山の展示物なかで、縄文時代の狩人の人形にも目を惹かれた。おれが持っているイメージと多分に通じるところがあり、嬉々として撮影した。
ものをかりて生きるおれたちのからだは、この大地とも、
宇宙の星々ともつながっている。