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生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ
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コエンエルカ
シャイアン族のなかで育ち、狼と生きる、タシナ・ワンブリさんの呼びかけ。
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アイヌの民具
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民具の紹介にとどまらず、自然に生きるアイヌの生活術と文化を教えてくれる本です。
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聖なる輪の教え
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ジャンピング・マウスのものがたりをはじめ、シャイアンの教えを、そしていまのひとびとのゆくすえを、わたしたちに伝えてくれます。
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日本語とアイヌ語
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インディアンの言葉
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北海道の名付け親となった松浦武四郎を追って、アイヌモシリ(アイヌの大地)の歴史をたどる。先住民の側から見た歴史書。
お気に入りの本
ニングル
ニングル
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「あんた方人間はどんどん大きくなる。大きく、偉大に、滅亡へと走っている。」・・・・・・
森と生き、地球の鼓動とともに生きるニングル。人間が自然界へ向けて暴挙を繰りだすとき、ニングルの声が聞こえてくる。
人が、ヤイカムイ(怪物)とならないために。

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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

縄文(もよう)のある暮らし
かつてひとびとの暮らしは、たくさんの模様にかこまれていました。――

このたび、茅野縄文遺跡の展示や耳飾り作り・アンギン編み体験等をやっている「榛東村耳飾り館」で、展示をします。
テーマは “縄文(もよう)のある暮らし”。

このブログで記事にしている、模様のもたらすちから、縄文人を目指しての狩猟採集の生活を紹介できればと思っています。

7月12日(土)〜27日(日)
榛東村耳飾り館内 特別展示室にて
住所 : 北群馬郡榛東村大字山子田1912
電話 : 0279−54−1133

山の生活に必要な道具、中国南部の少数民族の刺繍・民芸品、アイヌや南北アメリカインディアンその他民族の伝統的生活・文化関係の書籍(主に写真つき)、手づくり陶器、を展示します。囲炉裏や鹿解体時の写真なども展示予定。

土日はできるだけ館にいるようにして、ナイフの柄や槍の鞘など作ったりしようと思っています。
また、土器作り指導も予定しています(19日(土)・20日(日)の2日間。詳細は下の画像をご覧ください)。大口のま自身は土偶作りに初めてこころみるつもりです。

まだまだ始めたばかりのやま(縄文)の暮らしなのでどれほど見ごたえがあるかわかりませんが、館内展示の縄文人たちの遺した物を見たりしながら、この弓の島のかつての姿、大自然とともに暮す生活について、話したり想ったりできたらいいなと思います。

是非、お越しください。

※関連記事
縄文の装飾 耳飾り館 (2007.04.24)
民族衣装 (2006.10.18)
模様 (2006.04.28)


↑大きい画像は、ここ縄文(もよう)のある暮らしでご覧ください。
| 遠吠えと谺 | 11:24 | comments(2) | trackbacks(0) |
春の草花
早、長雨が来たような雨続きの今日この頃。
半月ほど前に撮った草や花の写真を載せる。



山を歩いていて足元に見つける花。名前は知らないけれど、毎年見る、ちいさな綺麗な姿が好き。


山吹。たぶん自生の、つまり野生(やま)の山吹。


萱草(かんぞう)。かんそう、と濁らない発音で地元のひとは言う。おひたしなどで美味しい。


桃。山小師が育てている。二年ほど前からやっと実が成るようになった。


雪柳。葉っぱが柳に似ているそうな。


杓(しゃく)。すごくたくさん生えて、若葉の季節も長いので、我が家の常食のようになっている。山人参という別名は、人参の様だから。ハッカのようにさわやかな香りと味わい。


蔓日々草(つるにちにちそう。通称蔓桔梗。五方の星型と、紫が綺麗。


鰭張り草(ひれはりそう)。葉っぱが大きくて食べでがある。晴れた日の、つよい日差しで美しいグリーンに透ける。

| やまの彩(あや) | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
古代製鉄実験の見学 〜人と金属器の出逢い
いつの頃からか、鍛冶師に憧れていた。
熱い火の中で鉱物を採り分け、槌を振るって柔軟な剛さ(つよさ)を鍛え、すぐれた形を生みだしていく。ドゴン族の神話をモチーフに、鍛冶師が重要な役割をはたしている小説「蒼い人の伝説」には鋼を鍛える描写が躍動感をもって絵描かれていて、鍛冶に対する神聖感・神秘感のようなものをますます強めされられた。
食い扶持を稼げないからと生業にははなから諦めていたけれど、龍の字と知り合うことで鍛冶を教わる機会を得て、子供の頃からの思いがふたたび熱を帯びたりする。

そんな龍の字がくれた一本の電話から、古代の製鉄実験を見に行くこととなる。日程と会場を詳しく調べてみると、それはリンクブログの書き手orbitさんの勤め先であった。メールで打診し、当日会えることを確認する。

おかマタギは所用で出掛けられなかったので、龍の字との二人で朝早く出発する。楽しみで仕方がないという様子の龍の字は、車に乗り込むなり製鉄に関するあれやこれやの話を聞かせてくれた。聞きかじった付け焼刃の知識をここに書いて間違いがあるといけないので詳しく掲載はしないけれど、製鉄が歴史のなかでどのように人の生活に影響をもたらしてきたか、漠然と感じたような気分を味わいつつ車を走らせる。

台風のせまる雨の中を、二時間ほどで到着する。一般客が入れる時間になったばかりの会場にまだ人は少く、間近で炉を見ることができた。



本来は半分地下に埋まっていて後ろにはたたらで風を送る鞴(ふいご)があり、前面には溶けたカス(砂鉄から鉄をとり分けた後の不純物)を流し出すための穴がある。おれたちが到着した頃、その穴には温度計が入れられていた。


写真左下、足場を組んである下に、たたら・鞴の代わりとして送風機を使っている。

ある程度の温度になってから、いよいよ砂鉄を入れる。燃料である炭と一緒に、どのくらいの量をどのくらいの時間経過で入れるかが、うまく鉄を溶かしていくかなめとなるようだ。

砂鉄や炭を入れると火花が飛ぶ。炎を扱っているという実感は、胸を躍らせる。

炉の構造は縦穴に風を吹き込む穴をうがっただけのような極簡単な構造なので、その分従事している者の技量が肝心となっいる。古代の技術者は炭や砂鉄の質、炉のある土地の土の質、さらには季節や天候といったもろもろの条件を吟味・把握して、かぎられた道具や条件の中から鉄を取り出していたのだろう。

実験している人々にとっては落胆だったと思うが、今回の結果はあまり良くなかったらしい。風を送る調整やその他の状況(おれはあまりよくわからないが)の加減で、カスが炉中で冷えて固まってしまって、炉前の穴から流れ出なかったのだ。
実験しているのは考古学等を専門としている人たちで、製鉄技術者ではない。製鉄専業者のもとへ教わりに行ったりしながらおこなっているという今回で二度目の実験は、まったくの素人のおれなどから見れば十分に見ごたえのあるものであったのだが、実験担当の人はけっこう残念そうであった。
大成功と言えないとはいえ、鉄の選り分けがうまくいっていないということではない。カスの部分が下部に溜まって固まってはいても、その上に鉄がとれている可能性は十分(?)ある。

見に来たお客さんに、溶けて流れ出るカスを見せるのか大きな山場だったようで、担当の方は申し訳なくおもったのか代わりに冷めきらない炉を切りくずして中の状態を見せてくれた。危険も伴うこの作業は、たいへんだったと思う。




それにしても、使用した燃料の炭の量には驚嘆した。数分ごとに1キロの松炭を入れていくのを見ていると、ついつい日常我が家で燃している囲炉裏の柴やオキ炭と比べてしまう。見学していたのは約六時間、実験を始めてからは九時間以上の時間、炉は燃し続けていた。当然、製鉄で使っている炭はどんな炭でもよいというわけではなく、熱量を確保できる質の良いものでないといけない。
龍の字によると、現代でも炭の火で製鉄している鉄工所はあるという。
おれも千二百度の火を使用して生業としている身ゆえ言えた義理ではないのかも知れないが、冬を越す薪を集めるため山を上り下りして掻く汗を思い出すと、一握りの鉄のためにどんどん燃やされていく炭を見るのは、なにか身を細らせるような、落ち着かない気分を禁じえない。

木を伐り出し運ぶ。炭にする。原料となる砂鉄は土中より掘り出されて河川で洗われ、鉄分の多いものが選り出されて運ばれる。
そして燃料・原料を採った場所では、沢山の生きものの生活空間が壊される。

鉄器を駆使することは中国大陸からもたらされた技術だ。もちろんそれ以外の金属技術も、もともとこの弓の島にはなかった。優れた道具を作り出す金属たち、これほどの労力を必要とする技術は生活のなかで必要とするものではなく、大規模な集団としての力を維持していくための道具、戦力だったとおれは考える。ひとつの一族やひとつのムラ、その生活の中でのちからであれば、道具と成ってからのちからよりも、道具を作る労力の方が負担となって、石器骨器等とくらべて決して便利な道具ではなかったと思うからだ。
交易等で手に入れた金属器は尊び大切にするとしても、その道具を作り出す技術を生活の中にとり入れることは、縄文のひとびとはしなかったと思う。
金属とはあくまで、特別なものであり、それ故みだりに使ってはならない神聖なものだっただろう。

限られた、特別なちから。
その認識は、むやみに道具を使うことをおのずと戒め、生きるに必要とするときのみに役立ってもらう有り難い存在と感じ得る。

一つの金属器の背景には膨大なちからの凝縮がある。
多くのいのちがその道具のためにちからを分け与えている。
そんな道具を日常に、あたりまえとなって使っていることは、ひとにとってよくないこと、危険なことなのではないだろうか。

どんな道具も、(そしておれたち自身の体そのものも)、かつては別のかたちであったものたちのちからを借りて、使うことができている。なにもないところから自力で生み出したものは一つもない。
生きていくということが他のものたちのちからを借りてつながっているということを、忘れないでいなければならない。だからこそ、そこには協調があり、共生があり、多くのものたちがバランスをたもって存在できる世界があるのではないだろうか。

自分が使っている道具たちに、どのような背景があったのか。どんな経緯でここに来て、使わせてもらえるようになったのか、それらを感じつづけていることはもともと自然なことだったのだと思える。けれども“物”にあふれる現代に過ごしているおれたちはそれら一つ一つのものの背景をすべて感じていたら、あまりに多すぎる景色の内容に気が振れてしまうのだろう。
そうして、ものたちの声が聞こえなくなるように自分から耳を閉ざし、感覚を鈍らせてきたのだろう。

それは自分の使っているちからがどのようなちからなのか、わかっていないということだ。
強すぎるもてあましたちからで、多くのものを傷つけていくことにもなりかねない。

一つ一つのものを大切にする。それがやがては世界のすみずみまでを大切にすることになっていくのだと思う。地の果て、空の果てまでも、みなつながっているのだから。



製鉄実験の合間に、館内展示も見てまわった。orbitさんが案内や説明をしてくれて、短い時間では見切れない面白さにまた日を設けて見に来ようと考える。
そしておれは、やはり縄文時代の遺品の数々に最もこころを奪われる。これらのものたちを作り出していたひとびとは、間違いなく宇宙とつながり、一体となっていたひとびとだと心底思う。



ナイフを使い鉈を使い、その他沢山の作られた道具たちのちからで生きながら、それらをみだりに使ってはいないか
つねに自分に向けて問うていかなければと、あらためて思う。

沢山の展示物なかで、縄文時代の狩人の人形にも目を惹かれた。おれが持っているイメージと多分に通じるところがあり、嬉々として撮影した。


ものをかりて生きるおれたちのからだは、この大地とも、
宇宙の星々ともつながっている。
| ものづくり | 21:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
鋸(のこぎり)の目砥ぎ
暖かい日が増えていろいろな花が咲き、野草も食べ頃の種類が増えてきた。火を燃さなくても過ごせることもあるくらいだが、やはり囲炉裏に火が入るのはこころなごむし、料理も美味しい。火を燃す生活を楽しんでいる。

冬に比べれば消費する薪はぐっと減ったけど、今年こそは秋までに一冬分の薪を用意しておきたい。毎年果たせずにいる念願に挑むのは、もはや日課ならぬ年課のようになってしまった。

昨年山小師(やまおじ)から教わって、少しだけ実行していた鋸の目研ぎを、おさらいを兼ねてもう一度やってみた。目研ぎを教わったついで?にもらってしまった二丁の鋸は、冬をまたいで大活躍してくれた今、切れ味が落ちて目研ぎを待っている。


山小師に貰ったお古の鑢(やすり)より一回り小さい鑢を用意しておいた。付けた柄は、ナイフ作りにあたって模索しているマキリ風柄の試作品。実際にナイフの柄にできるほどの強度のない木を使ったのだが、鑢の柄としては充分だと思う。



さて開始。初めて独りで目研ぎをするので、教わったことをきちんと覚えているかどうか、ちょっぴり不安でもある。
まずはギザギザになっている刃の部分を、右面、左面と二回に分けて磨(す)っていく。

ギザギザになっている山の、柄に向かっている側が刃で、一つの山ごとに右刃、左刃、と片刃が交互になっている。目研ぎのときは左右どちらかの刃を順番に磨っていく、つまり山を一つ飛ばしに、同じ面に向いている片刃を磨っていく。
磨るとき鋸がブレないように、丸太に浅く入れた切れ目に鋸の峰を設置して安定させる。



新品の鑢はよく研げる。地元のひとのことばで “ノリがいい”と言うように、吸い付くような手ごたえで鑢が刃を磨っているのがわかる。
合金製の鋸と違い、山小師にもらった鋼の刃は柔軟性をもち、鍛えられて薄く、素直に目を研がれる感触が心地いい。

片面の刃を磨り終えたら裏返し、反対の面をまた山一つ飛びに磨っていく。

刃を全部磨り終えたら刃の反対側、つまり山の背中側を磨っていく。ここは使用時に木に当たるわけではないけれど、ここを磨ることで刃の高さ大きさを一定に保ち、長く使える役割を果たすのかも知れない。
山小師の教え方は理屈をあれこれ言わない。実際に手を動かしながら、ポツリポツリとコツを語ってくれる昔風のやりかただ。実際に自分がやってゆきながら身につけていけば、おのずとその役割がわかってくるのだろう。

背側の磨り方も刃を磨るのと同様で、山一つ越えの、右の面、左の面と磨っていく。違うのは、せっかく磨り終えてある刃の部分に、不用意に鑢を当ててしまって刃を鈍らせないよう気をつけること。しかしこれがなかなか難しく、鑢を鋸の目にあてて押し磨るときにしばしば刃に当ててしまう。経験を積んでいけば力加減を呑み込んで、無駄に鑢をブレさせることなく滑らかに磨っていけるのだろうけど、なかなか思うようにいかない。

磨るときの角度も大事だ。鋸に対して45度がちょうどいいと思うのだけど、沢山ある刃をみんな同しようにするのは一朝一夕ではできない技だ。

日の光に照らされて輝く真新しい研ぎ面を見分けながら、丁寧に一つ一つを磨っていく。



刃の背を磨り終えたら、山のてっぺんを磨る最後の工程にとりかかる。


この山のてっぺんを磨ることは、山一つ一つの頂きを平らにして高さをそろえるという役割がある。それぞれの刃に均等に力がかかるようにするためには、頂きの高さが同じでないといけない。高い山があったりすると、その山だけに力が余計にかかって引っ掛かってしまい、非常に使いづらい状態となるのだ。

またこの工程の時に、鑢の押し磨る力で刃を僅かに曲げ、外側へ向かわせるという意味もあるようだ。刃が鋸の面より内側にあるのでは、しっかりと木に当たることができない。木にはまず刃が当たってこそ、伐れる。つまり鋸の厚みより太い幅で伐ることができるようになっている。これを“あさり”というそうだ。“あさり”により木の切断面と鋸との摩擦が減り、また木屑を出し易くもなるという。
そしてこれも、均等に力がかかるためには皆同じくらいの加減で外側に曲がるようにする。



こうすることで、上の写真のように刃の山は一つおきに右、左、と僅かに外側へ傾いている。刃の背の部分は磨って削られているため肩が落ち、V 字の谷間を作ることになる。
この谷間に針を乗せると、ススーッと針が滑っていくように磨れれば一番なんだ、と山小師は語った。自分もそう、教わったと。
そして、そんな風に上手には、なかなか磨れない、と声をたてて笑った。


さっそく、切れ味を試してみる。思いのほかきちんと研げていたようで、手ごたえも快く、ぐいぐいと伐っていける。


柔らかい鋼はしなるせいか、まっすぐ伐るのは難しい。 伐っているうちにだんだんと左によって曲がってしまうのだ。もう一つの鋸を使ったときは右へと曲がるので、鋸を引く力加減が原因ではなくて、目砥ぎのときの刃の加減なのだろう。



最近、鋸を使うのがますます楽しい。単純な動作に奥深い術を見出せるのだ。
道具を使いこなしていくこと、そしてその道具の手入れができるようになることが、嬉しい。

ナイフの柄作りも全然進んでいないけど、鋸の柄、鑢の柄も、工夫しながら作りたくなってきた。

※関連記事
収穫                (2007.05.22)
体が求めるもの        (2007.05.20)
柴刈り ふたたび       (2006.12.24)
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| | 18:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
暖炉ふたたび 〜囲炉裏との使い分け
先の冬はけっこう冷え込みが厳しくて、歳が明けてからはなおさら、薪の量がことのほか気になる数ヶ月だった。そんななかで、できれば囲炉裏端だけで日を送れれば最高だけれど、作業場で水に手を浸して仕事しなければならない状況もある。
作業場は囲炉裏の部屋から離れている。土間の暖炉に火を入れて暖めないことには、仕事にならない。一冬前はまったく使わなかった暖炉が、炎を抱いて再び活動する。

暖炉、と呼んではいるが、煉瓦を積んで自分で作ったもので、はたして暖炉と言えるのかどうかよくわからない。形状からいえば陶磁器を焼く穴釜を小さくしたものによく似ている。製陶の師匠が作っていたものを真似たのだから無理もないが、“ストーブ”と呼ぶより趣きを感じるので、こう称している。耐火煉瓦でたっぷりとつけた厚みは、熱もちがいい。

この冬使い始めるにあたって、天井を貫いて真っ直ぐに二階へ伸びていた煙突を修正した。
煙突の役目である煙の排出を、“引き”という。長さがあるほど引きはよく、また出口が高い位置にあるほど引きがよい。
しかし引きがよいということは空気の流れが強いということで、つまりせっかく熱をもった暖かい空気も出て行ってしまう。これを防ぐには一度煙突が水平方向へ曲がって、熱が上昇にまかせて出て行かないようにするとよい。我が家の暖炉のいままでの煙突は真っ直ぐ上へと伸びて二階に行ってしまっていたため、一階に熱が留まりにくい形だったといえる。
で、まだ充分熱をもった暖気が留まるように、水平方向の通路を作った。そのまますぐ後ろに設置してある薪風呂釜の煙突と合流させて、お勝手の天井から、屋根の上へと顔を出している。


風呂釜を燃したときに煙突の引き具合は確認していた。暖炉の排気分を合わせても、充分引いてくれると予想したのだ。
予想どおり、以前は焚口(たきぐち:薪を投入する入り口)に蓋をすることでおさえていた煙の逆流が、ほとんど無くなる。まぁこれは以前に比べて薪の収集がうまくなり、湿った燃えにくい状態で燃すことがなくなったことにも一因があるだろう。


囲炉裏では、できるだけまっすぐの、そして細く割った薪が使いよい。落ち枝(柴)でもよいのだが、短時間で出来るだけ多くの量を運んでこようとするため、現在は太い倒木を持ってきて割ることで薪を作っている。その中で、根っこに近い部分や根っこそのもの、また節があることで細かく割れない薪がでてくる。このような細くない、形も様々な不揃いな薪たちを、風呂釜や暖炉で燃すと、それはまっすぐな薪より燃しやすいことがわかった。


まず、形が様々なため、薪どうしが密着したり底にベタ置きになってしまって酸素の入りを妨げてしまうことがない。写真ではわかりにくいかもしれないが、薪と薪のあいだに適度な隙間がうまれて炎が赤あかとひらめいている。
根っこは短くても太さにムラがあり、厚みをもっているものが多いので、細くて火のつきがよい部分と、太くて火力を生み出す部分とをあわせ持っているものも多い。上手に燃すと、次の薪を投入するまでの時間はずいぶん長くなる。火の具合を見るために頻繁に焚口を覗き込まなくてもよくなった。


引きがよくなった蓋をしない焚口は、炎からの放射で以前より暖かく、なによりその紅いひかりは、ここち良い。

冬のすごし方が、また一つ楽しくなった。




※関連記事
薪でお風呂を         (2007.09.22)
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| | 02:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
兎解体
去年のこと。仕事を終えて山への帰り道、あたりは早くも夜の色に染まりつつあった。山と街をつなぐ谷間の国道は、それなりに交通量がある。

道路の中央あたりに、はねられた兎が身もだえているのを視認した。反対車線の、次に車が来れば十中八九轢かれる位置だ。
路肩に停車し車外へと飛び出しながら思考が閃く。選択肢はふたつ、轢かれない道路外へ移動させて逃がすか、止どめを刺して食べるかだ。

近よって見るとかなり打撃を受けたように感じた。 ふつう、 野生動物は人間とは比べものにならない頑丈さをもっている。大型獣ならライフルの弾を数発被弾しても、急所でなければ怪我の様子も見せずに逃げ去るほどだ。車にはねられて骨折したくらいでは、動きがとれなくなることは無い。
この兎が野生の者であることは一目見ればわかる。もがき動いている四肢に外傷が見られないことから、頭部に傷を負ったものだと感じた。

ひょっとしたら、はねられた直後で脳震盪を起こしているのかも知れない。だとしたら道路の外の安全な場所へ寝かせておけば、しばらくすれば山に帰って行くはずだ。
だが、かなりの出血があった。動き方からも、大きな傷を受けているように強く感じた。

道路の真ン中でのんびりしているわけにはいかない。とにかく車に戻り、兎はトランクへ入れて移動した。
駐車に充分なスペースを探しながら走らせる。その間、兎がトランク内で跳ねたりしている音が聞こえた。
突然函の中に閉じ込められて、不安と焦りで狼狽しているのだろう・・・。自分のしていることが掟にのっとったことなのか、自問の冷や汗が出る。

路肩の外側に幅広い空間をとっている場を見つけて、なるべく道路からはなれた所に車を停め、エンジンを切る。おそらく兎に出逢ってから二、三分だろうけれど、ずいぶんと時が経った感じがした。
兎は動きをやめて、静かになっていた。
でも、死んでいるはずがない。そういう感じがしないのだ。
万が一跳び出すことに注意して、トランクカバーを持ち上げる。兎は静かだった。完全に人間に捉えられた野生のものは、機を窺う緊張から小刻みに震えているものだ。それは武者震いと呼ぶに相応しい力強い戦き(おののき)だ。
しかしこの兎は何か違った。強さを感じられなくなっていた。

様子を見ながら、かれがはねられてからの時間を憶測してみる。脳震盪の場合、どれくらいで意識を取り戻し、逃げられるようになるだろうか・・・

決定的な判断材料をおれはもっていなかったが、兎の姿、手に持っている感触から、勘にしたがって止どめを刺すことに決めた。

山に暮らしていると刃物が重宝する。枝を払ったり木を伐って急ごしらえの杖や棒を作ったり、なにかと必要になることがある。おれはいつも鉈かナイフを持つようにしている。このときは両方を持っていた。

兎にむかって、命をいただくことを念じ、ナイフで頚動脈を切る。けものの頸はこまやかな毛におおわれていて、意外に簡単にはいかないものだ。けれどもこのときの兎は抵抗がまったくなく、刃はその切れあじをすみやかに発揮した。

自分が生きるに必要なとき以外、命を奪わないように、命を奪う時は出来る限り苦しむことがないように。
タシナさんの言葉は常にこころにある。
命を獲ることの実感は重い。
しかし、兎を食べられること、家族に持って帰れることは、とても嬉しい。
殺しは楽しんではいけない。しかし糧を狩ることは、無上の喜びだ。




帰宅してからお風呂場で解体にとりかかる。鹿のときと違い、小さくて軽いので作業はずっと楽そうだ。内臓を取るために腹を開くとそれだけ毛がくっつく面が多くなって洗うのが面倒になる。まず毛皮を剥いて、内臓を取るのはその後にする。


喉から会陰まで裂き、さらに四肢の内側に切れ目を入れる。
後ろ足から徐々に剥いていく。



頸まで剥いてから、頭を切り離した。
鹿よりも小さくて剥くときに力を入れやすいのか、あるいは脂肪が少いせいか、皮は剥がれやすかった。ただ、大動物より皮がうすくてやぶけやすい、と狸を皮剥きした龍の字が言っていたので、慎重に作業する。


われながら上手に剥くことができた気がする。
形見分けで貰った祖父のチョッキは裏地に兎の毛皮を使っていて、本当にあったかい。この毛皮で、やがてそんな衣類などを鞣し作れたらいいなと、空想をふくらませる。

皮を剥いだら内臓を取る。そして四肢を取り分けるにとどめておいた。肉を骨からはがすことはしない。
皮を剥ぐ時に、注意はしていても肉に毛がついてしまう。洗えば落ちるものだけど、水につければつけるほど肉の味が逃げていってしまう。できるだけ無用に作業することのないよう、毎回考えながら解体していく。

頭は、皮を剥いでから頬肉や頸のまわりの肉をとる。

なぜ思いつかなかったか不思議なのだが、頬肉をとったりせずとも頭ごと鍋に入れてしまえば一番無駄なく食べられたのだ。この時は鞣し用に脳を掻き出した後、頭部は野にかえして鴉や小動物が食べるにまかせた。頭骨からもいい出汁がでたのになぁ。

頬肉をとる時、片側の頬のあたりの骨が細かく砕けているのに気づいた。顎がはまらなくなっており、内部への傷も小さくないと感じた。これが致命傷だったのだと思う。

* * * * * * *

数日後、おかマタギが腕を振るう。



熱い鉄鍋に置いた肉はたちまち香ばしい匂いを上げはじめた。ほったらかし畑で育ったにんにくは、小粒でも強力な深い香りと味わいがある。かといって肉の味を壊すことはなく、とてもよく合った。



切り分けてから、スープスパッゲッティーに載せる。




肉汁――旨みを逃がさないように細心の工夫をしてあるため、兎肉の野生の味わいがたまらなく美味い。
肉はさすがに柔らかかった。鶏肉のようだとよく聞くが、調理後の姿は、知らなければ鶏肉と間違えるかも知れない。食べてみて、柔らかさと癖の無さはたしかに似ている。
けれども“濃いい”この味は兎だけのものだと思う。

鹿肉とはまた別の、とても豪勢な一食だった。
| 狩り | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
春うらら
あたたかくなってきた。
今年も気温の低い冷え込む冬で、仕事のあいまを縫って薪を集めながらできるだけ節約する燃し方を努めたりのキビシイ冬だったけれど、それでもやまに足を向ければ枯れ倒れた樹々がつねに手に入る、ふところふかい山中ゆえに逼迫せずに越冬できた。
・・・次冬こそはしっかりと薪を蓄えとこう。・・・

ともあれ、あたたかくなってきた。
あたたかいと身体にも気持ちにも余裕がでてくる。(仕事もひと段落したし)
啓蟄を過ぎて虫も見かけ、小鳥たちもにぎやかにさえずるようになって来た。

ことしの冬は、罠を見回りにしょっちゅうやまに入ったけれど、冬の間の鹿の足跡はとんと見ることがなかった。猟期になるとけものたちは山の奥へと移動して、人里に降りては来なくなると聞いていはしたけれど、雪の大地に足跡をひとつも見ないとなると、ちょっと心配になる。鹿たちははたして、またあらわれるだろうか・・・。
白銀の雪の上に、栗鼠や貂やと思われるちいさな動物たちの行動を見、さむいなかですごいなぁと畏敬の念を抱きながら、そのおなじ大地を自分も歩いていることがたまらなく嬉しい。
いつまでも、かれらたくさんの生きものたちが、隣人として居てくれてほしいものだ。

西の月がまだ細い姿の頃、夜の帰り道で子鹿たちに逢った。何頭も一緒にゆっくりと歩いていて、まだ自動車を見慣れない様子はこの冬生まれの鹿たちに間違いない。

この春も、またあらわれてくれたのだな・・・。
今年も、また春が来た。
| いきもの | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
忙しい冬
快晴の、あたたかい日が続いている。
空気は乾いているし渡りの鳥たちはさえずるし、まちがいなく冬は来ているのだけれど、山間にしては陽の当たる立地なので晴れの日はとてもぬくい。縁側の朝食がぽかぽか気持ちいい。

仕事―――お金を得るためのしごとで忙しく、ここのところ他のことをする時間が少い。この職も楽しみながらやっている事ではあるけれど、山のしごとをする時間がもっとほしい。我が家としてはめずらしく仕事々々の日々が続いている。
水を使う仕事が多いから、冬の作業は寒くてつらい。そういう意味ではこの冬の暖かい日和はたいへんに助かる状況ではある。

でも、冬は囲炉裏ばたで暖をとりつつ、水を使わない仕事とかナイフの鞘作りとか、ぐつぐつ煮える鍋をかこんでのんびりな日をすごしたいよなぁ。山の木はすっかり葉を落とし鹿の鳴く声も聞こえなくなり、雪でも降ろうものならば冬の到来、四季のなかの眠りの季節、活動せずに心身を休めてあらたな春のために養いたいものである。

そんなわけでいまいち冬を実感できず味わえない今日この頃である。書きたいことは沢山溜まっているのだが、記事もなかなか更新できない。
気長に続ける野楽生の道だけれど、いまだ書けずに過ごしている記事をかえりみながら夏くらいからの半年を振り返ってみよう。


鋸(のこぎり)の目砥ぎ
 
山小師に鋸の目砥ぎを教わった。まだまだ上手には砥げないが、これでまたひとつ山の生に近づいた。目砥ぎにもコツがあって、極めていく道を感じる。鋸を使うのもますます面白く、術を練っている感じが楽しい。
鋸と目砥ぎ用の鑢(やすり)の柄も作りたくなっている。


雀蜂

雀蜂が家に入ってきたので写真を撮る。この山あいには雀蜂の巣をよくみかける。蟻もそうだけど、かれらは完全役割分担の集団で生活している。インディアンの教えには、蟻は宇宙を表している、というものがあると読んだことがある。


古代製鉄実験見学

龍の字と見に行った。実験もさることながら、orbitさんが案内して説明もしてくれた館内展示がとても気に入った。すばらしい縄文土器の数々が!
で、やっぱり金属利器はできるだけ使いたくないなぁ、と。


屋守

個展会場でヤモリを見つけて写真を撮った。ヤモリとイモリは指の数が五本・四本で違う。ヤモリは家を守るという意味で、かれらがいると悪いことがおきないという。東南アジアでは、ヤモリが鳴いているときに生まれた赤ちゃんは幸せになるというそうだ。


兎解体

交通事故に遭った兎を、助からないとみて屠り、いただいた。とても美味しかった。


槍作り 完成

槍が出来上がりました。




仕掛けました。


鹿解体 続編

鹿の解体をもう少し詳しく。


暖炉ふたたび

冬の仕事にあたってしばらくぶりに暖炉に火をいれる。煙突をすこし修正して、囲炉裏とはまたべつの、火を使って思うこと。

* * * * * * * * *

ぼちぼち書いていきます。今年もよろしく。

| やまの彩(あや) | 06:20 | comments(2) | trackbacks(0) |
槍の柄作り〜野生の狩人をめざして
狩りに必要な槍を作っている。罠で捕らえた鹿や猪に止どめをさすものだ。

正直言うと、罠というものはあまり使いたくない。相手との対話無しで捕らえる方法だからだ。狼が狩りをするとき、無闇にどんな鹿にでも牙を向けるわけではない。病気や怪我をした個体、年老いた者、生きていく術(すべ)を備えきれていない者を見きわめて狩りを行う。

生物学の世界でいうと、淘汰が行われ優れた者が子孫を残す、ということになる。しかし先住民の目にはまた別の世界観で見える繋がりがある。食べられる側の者は、より大地に近いのだ。食べる側にとって、食べられる者は大地そのものだ。生(性)を生きぬき、この世を去ろうとしている者は、最期に命を与えていく。

『余はここだ。余がオマエらの一部になるのだ。余のおかげで、オマエらが生きる。余のおかげでオマエらがこの母、この大地と結ぶのだ。余のおかげだぞ。余がオマエらよりこの大地に近ひのだ』(タシナ・ワンブリさん「約束」から)

まだ生き足りない者、この世で為すべきことが残っている者は、それを狩りうどに告げる。狼は獲物のことばを読みとり、かれにまだその時がおとづれていないことを知る。

強いものが弱いものを食べるのではない。鹿が弱かったら、死に絶えている。鹿が強いから、狼は鹿のちからを得るために食べ、自分のちからとして生きていくのだ。生きぬいてきた者、おのれより大地に近づいた者だからこそ、食べる。
弱肉強食という語は人間の世界にだけある。


おれは狩りの約束を見切っている者ではない。だから鹿を食べるとき、本当にかれを食べることが大地の掟に合うものなのかどうか、自信がある者ではない。
この掟を身体に知っていくためにも、おれは食べる者と向かい合いたい。狩るものをこの目で見、そのちからを感じ、息を聞き。

その方法として罠はどうか?と思う。本当の狩りうどならば罠掛けるときも掟にそむかぬことができるのだと思うけれど、おれには多分できない。けれどもいろいろな考えから、罠を掛けることに決めている。そのなかで狩りのことを学んでいくつもりだ。
だから、捕らえることが即殺すことになる罠は使わない。止どめをさす時は、槍やナイフを使う。


t260arimaさんのブログの記事「浦川太八さんのマキリづくり2」で、材を刳り抜いて鞘を作る方法を知った。槍の柄作りに試みてみる。柄の作り方をいろいろ考えたのだが、鉈のように切れ込みを入れてしまうと固定する強度として弱いと思う。どちらにしても柄の一番先(刃に接している端っこ)は金輪で留める必要があるかもしれないけれど、中心(なかご。柄に埋まっている部分)のまわりが木で包まれている方がより強いだろう。

といっても浦川さんと同じ方法をまるきり模したわけではない。最初にドリルを使って槍の中心よりやや小さめに穴を開けておいた。そして手近にある「マイナスドライバーのような形をした鉄」、おれの場合は古ぼけたマイナスドライバーを、囲炉裏のオキで真っ赤に焼き、柄を焦がして徐々に穴を広げていった。




思ったよりも焼き進む。かなりたいへんな気のながい作業だと思っていたのだけれど、真っ赤に焼いた鉄の棒の威力は結構なものだ。これならば最初からこの方法で、ドリルなど使わないで作ったほうが綺麗に正確に刳り抜けるような気がした。
初回の、まだ作り途中の感想である。実際にドリルを使わなかった場合はもっといろいろな発見があるだろう。また、浦川さんが刳り抜いているのは鞘であって、おれがやっているように中心が入ればいい小さな穴とは違い、熟練した技術が必要だと想像する。

不便に感じたのは、マイナスドライバーを使っているために先っぽが細く(薄く)、焦がす範囲が小さいことだった。内壁を広げるのには問題がないが、深くするには使えない。
また、ドライバーの長さが足りなすぎた。柄が煙をあげてくることがある。熱くて持てないので皮手袋をはめて作業したが、それでも熱い。次回はもっと長い、先がもうすこし厚みのある鉄ををさがしてみよう。

| ものづくり | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
猟期前
猟期が近い。
罠を仕掛けるための準備をいろいろと教わるため、熊つぁんのお宅を訪問した。夕刻に到着し薪ストーブが温まったころ、毘沙さんと梵天丸くんもやって来た。大蒜たっぷりの鹿肉炒めを肴にしながら、罠の材料等について確認する。

罠を掛けるのは、おれは今期がはじめてだ。熊つぁんところで解体はだいぶ自信がついたので、今年から自分でも仕掛けていく。以前に見せてもらった時のことをよく覚えているから仕掛けること自体は問題ないと思うのだが、道具の確認、そのほか他の狩猟者への気遣いなどについて教わることがあった。罠猟においておれが心配している、狩猟犬が掛かってしまう可能性だ。銃猟は昼間だけに限られているから、毎日朝から夕刻までの時間は罠を取り外そうかとも考えていたが、「そんなことじゃモノ(獲物)がかからないよ」と熊つぁんに一笑されてしまう。鼻の利く獣たちから人の匂いを隠さなければならないのに、毎日人臭を付けに行くようなもの。考えてみればその通りだ。
必要に応じては罠が作動しないような工夫と、地元の猟グループの人と連絡を密にとって事故のないように心掛けることだと教えられる。

止どめ用の槍は出来た?と毘沙さんが訊く。まだなのだが、作る段取りについては構想が練ってあって、来月に入れば作り始められるだろう。最近なにかと忙しかったのだ。
熊つぁんが猪にナイフで止どめを刺した時のことを、見ていた毘沙さんが語ってくれた。ナイフさばきが上手いのだろう、スッという一閃で静かに息をひきとったという。
鶏の解体をおれに教えてくれた毘沙さんだが、屠るという行為には人一倍抵抗を持っている。猟に関心を持ちつつも、その抵抗ゆえに自分で行うつもりはいまのところ無いようだ。その毘沙さんが、安らかに逝ったように見えた、という熊つぁんの手際がしのばれる。


その命に終わりをもたらそうと近づいて来る人間を見て、獣は激しくあらがう。血走った眼でにらむようにしながら、体当たりしても来る。そのちから強さと、なによりも生きることへのエネルギーは、かれの命を獲ることが真に必要なのかどうか、幾度とない問いかけをおれに生まれさせる。
おれは獣たちが好きだ。木も草たちも。その命を得ることで自分が生きているということをほんとうの意味で理解し、それら沢山の命に見合った生き方をしてゆきたい。貰った命にとってもっとも善いために、なにが出来るのかと。

澄みわたった星空、冷ややかで白い月光の映えるなか、鹿の声が大気を裂くように響く。
ふと、昔習った鬼剣舞を踏みたくなっていた。
鬼剣舞の「鬼」とは死者を指す。反閇(へんばい)という地鎮の法が踊り念仏と結びついたのは、ごく自然なことだったろう。

生きるための主な糧となった鹿たちを祀る鹿舞い(ししまい)も、先祖を祀る鬼剣舞も、大地との繋がりをたしかめる、ネイティブの魂が宿っている。
| 狩り | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |