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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

浦川さん作のマキリ
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    もうひとつの日本文化(アイヌ文化)徒然ブログの書き手、arimaさんにお会いした。
    ナイフの鞘・柄作りの記事にコメントしていただいて以来、お互いにたびたびコメントをして意見を交換しあっている。それだけでなく、arimaさんは浦川さんの鹿解体の様子を収めたお便りをくださったり、何度か電話もいただいた。
    今回も、所用で来ていた本州で福島から横浜へと向かう際に電話をくださり、面会が実現した。うちの方へ寄っていれば横浜に着くのは夜更けとなってしまうのに、なれない道の運転、長時間の移動でお疲れのところを、奥様もお付き合いくださって本当にありがとうございました。

    お会いしていたのは一時間ほどだったけれど、非常に中身の濃い時間だった。待ち合わせ場所にしたお店の飲食コーナーで、arimaさんは五本のマキリをひろげてくれた。


    写真で見ていた精緻なマキリが目の前にある。壮観である。
    画面ではいままで何度も見ていた道具たち、実際に手にすることが、こんなに早く実現するとは思わなかった。

    持ってみて、その軽さに驚いた。
    浦川さんのマキリは身が薄い、とは写真からも想像していたけれど、なるほど、これだけ薄いとこんなにも軽くなるのか。
    おれはトペニ(イタヤカエデ)の材を持ったことはない。けれど、目の詰まった地肌からけして軽い木ではないと思う。ところがこのマキリは杉か檜でできているかと思うくらい軽い。

    これはたしかによほど硬い木でないと解体するときに割れてしまうな、とまず思った。
    しかし持ったときに頼りなさを感じることはない。初めて手にしているのに、不思議なくらい手のひらに馴染んで、すっぽりと収まっている感じた。
    握力でにぎって力まかせに切るのではなく、空気のようにあくまでも軽く使いこなししている浦川さんの手の内が見える気がした。


    どうしても言葉でつらねると長くなってしまう。手にしていると一瞬なのだが。

    模様の細かさ、刃を入れる鞘の中、汚れ出しの穴など、じっくりと見せてもらう。

    柄の先は刃にむかってわずかに細くなっていて、鞘にしっかりとはまり、簡単には抜け落ちない。それでいながら鞘に収めるときに「硬さ」を感じさせず、すっと収まる。一流の作りだ。

    見ながら、arimaさんがマキリづくりの浦河さんを話してくれる。
    形も模様もマキリだけでつくること。
    以前、山を歩いていて抜け落ちたマキリかあったことから、浦川さんは鞘と柄をつなぐ留め具を必ずつけている。
    木の皮で巻いた箇所がある鞘は、焼き焦がしてくりぬく作り方ではなく割って中を削る作り方の場合に補強として施す(もちろん巻いた木皮がマキリを彩る模様の一部となっている)。
    浦川さんのマキリ模様は細かくて、鱗模様が沢山あり、一方で渦巻き模様は多くない。目の前にある一本がそんな渦巻きのマキリであることに気づいてそれをいうと、これはNHKで放送される番組で作ったものとのこと。“一般のマキリのイメージ”を意識したのかな、というおれの意見にそうかも知れないとarimaさんは言った。


    今回一番感慨を受けたのは以下のことだった。
    アイヌは鋸(のこぎり)を使わない、浦川さんはその作法を守っている。製材されてきた鋸目のついた材は、アイヌの作り方ではない、と使わないという。
    そのため、一度割って合わせた鞘は、木の目に自然に沿って割れているので、どこを割ったのかわからない。隙間が見えないのだ。
    木で作ったものは温度や湿度の変化に合わせて動きがある(形が変わる)。張り合わせのものなどは合わせ目がずれたりすることもあるのだが、浦川さんの作り方はもとの木の有り方を回復するために動きがほんの僅か、あるいはまったくないかもしれない。一年をとおして安心して使える、長生きの道具ということになる。

    けれども、それ以上に感じるものがある。
    「アイヌのやり方を守る」
    これは単に伝統を守るということだけではない。
    もちろん浦川さんはアイヌの伝統と誇りをこの上もなく重んじ、愛していると思う。
    それはどういうことなのだろう、と考えていて、おれは一つのことに気がついた。

    道具を使うということは、自然界―――地球からものを借りるということだ。木を借り、金属を借り、水を借り、空気を借りる。借りる量が多ければ、地球にとってそれだけ負担になる。借し借りの中にはバランスがあり、均衡がくずれればどこかにしわ寄せが来て、不健康な状態、病いとなってしまう。
    生きるのに必要以上に借りないこと(使わないこと)、という大地のおきてを守っていれば、借りている側の生きものもだれかになにかを借すこととなり、いのちのちからは循環し、バランスがとれていく。

    自分が使っている道具がどうやって作られたか知らないと、自分が借りているものの量がわからない。必要な分を借りているのかどうか、わからないこととなる。これではバランスのとりようがない。

    おれがナイフの鞘や柄を作るとき、材は製材されたもの、製材用の機械で作られた、石油で動いているか電機で動いているかも知らない。鋸はホームセンターで買った。彫刻刀も買った物。焼き焦がすのに使った釘も買った。現代の製鉄産業の中で、どれだけのエネルギーを消費して今ここにあるものか。

    自然とともに生きてきた先祖の伝統を守ること、アイヌのやり方を守ること、とは、先祖のように自然と調和して生きることにほかならない。
    これがアイヌのやり方だ、と、言葉にすれば一言だ。
    けれどもそこには、ずっとバランスをとって続いてきた生き方がある。

    どうやればバランスがとれるか、など理屈で理解しようとすれば膨大な情報量を処理しなければならないだろう。情報を処理するにもちからを借りなければならない。

    まずは行動すること。行動するための智慧はまだまだ残っている。先祖たちが地域を越えて残してくれた教えを、理解していくだけのちからはおれたちにあるはずだ。
    これが縄文人のやり方だ、といえる生き方をひとつひとつ増やしていければ、その分だけ大地は健やかになっていくとおれは信じている。


    ストロボも使って撮影してみた。いつも手元にあればこんなに沢山の写真は必要ないが、浦川さんのマキリから学ぶために、いまのおれには必要だと思ったのだ。



    ※関連記事
    マキリを手にする 模様を感じる  (2007.08.21)
    沢蟹料理など  (2007.07.19)
     コメントのなかでarimaさんが浦川さんのお話を書いてくれています
    ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?
               (2007.06.11)
    ナイフの鞘づくり   (2007.02.27)
    鉈の鞘   (2006.02.21)
    | ものづくり | 08:47 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    ナイフの柄づくり
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      鞘作りを中断して、柄作りを始める。というのも、イルイケ エアシカイ クルに見せてもらったマキリのように鞘からナイフが落ちないための凹凸(刀でいえばハバキ)を作るためには、凸の部分である柄が出来上がってから鞘を作る方が上手くいくと考えたからだ。

      鞘と同じブナの木片を、まずは鋸(のこぎり)で切る。



      鞘と違って中身をくり抜くわけではないので、すこしづつ削って形を作っていく。


      木鑢(もくやすり)でガリガリと削れば速いのかもしれないが、乱暴な気がして使わないことにした。木は、刃物で丁寧に削ると一刀ごとに美しい面を見せる。磨くのではこの美しさはあらわれないのではないだろうか。ナイフだけで素晴しい木彫を作っていたアイヌのひとびとへの憧れからも、今回はできるだけナイフだけで仕上げることを目指している。(といってもすでにナイフの鞘の中は彫刻刀を使っているけれど)


      形と模様は何度も描き直しした末に、写真のものに落ち着いた。図には描き込んでいないけれども模様の合間に「鱗彫り」をしていこうと思っている。マキリにある、カムイチェプ(鮭)を思い起こさせる鱗模様だ。初めてのこころみではあるけれど、テレビ画面で見た浦川さんの真似をして、これもナイフで掘り込んでいくつもりだ。
      美しさのほかにすべり止めという実用的な意味もある。


      ここしばらくいろんなことがあって慌しく時が過ぎてしまった。すべきことに追われるように日々が過ぎてしまっていてナイフ作りもずっと滞っていた。けれども時間がないからといってしたいことを後回しにしているのはもうやめて、工夫しながらどんどん実行していこうと思うこの頃である。その上ですべきこともこなしていくことが、楽しく元気になにごともすすめていけると気がついたのだ。

      少しの時間が余った時に、少しでいいから鞘作りをする。急がずとも少しづつ続けていけば、かならず完成を見るのだ。


      ※関連記事
      マキリを手にする 模様を感じる  (2007.08.21)
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      | ものづくり | 18:25 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
      槍作り、完成
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         昨年の冬のことを、記事に書くことができないまま冬がまた近づいてきた。槍作りのこと。

         前回までで、柄の先に穴を開け、槍先を収めることがほぼできるようになっていた。次は目貫を作る。柄にうがった目貫穴と、中心(なかご・柄に入っている部分の刀身)にうがった目貫穴に一本の目釘を通すことで、槍先(刀身)を柄に固定させる作業だ。

         中心の部分に穴を開けるのはおれの道具だけではできないので、金属加工にも腕のある龍の字にお願いした。そもそもこの槍先も龍の字からもらったもの。かれの協力あってはじめて、この槍はおれの道具となった。
         金属専用のドリルを使わせてもらい、教わりながら目貫穴を開ける。摩擦熱を防ぐためにどろりとしたオイルを塗ることなど、これまでおれは知らなかった。慣れていれば短時間の作業も、初めての手にはなかなか難しい。結局龍の字にあらかたやってもらってしまった。


         家に帰ってから囲炉裏端の作業。熱した鉄で木の柄に穴を空ける。
         前回マイナスドライバーを使って感じた不便さを解消するため、今回は五寸・六寸釘を用いる。釘の丸い頭の部分を金槌で叩いて長方形にし、焼き焦がす形が直線にできるよう調整した。 


        真っ赤に焼いたその釘をペンチで挟み、前回空けた槍先を収める穴を完成。次いで、釘の先の尖った部分を焼いて、目貫穴を開けた。

         作業していてまったく問題ない白熱球の灯りは、撮影には暗すぎていて見えにくい写真しか撮れなかった。でもおれは蛍光灯よりも、温かみある橙の光が落ち着いて気に入っている。

         熱する加減や木へ押し付けるタイミングを覚えてくると、焼き焦がして穴を空けるのはとても早く、便利な方法だった。熟練すれはドリルよりもよほど自由に形作れるだろう。アイヌの浦川さんがこの方法にこだわっているのも、伝統技術を大切にする気持ちのほかに、この技術の便利さと合理性を知っていることが理由だと推測する。

         柄と刀身、ふたつの目貫穴をぴったり一致させることができた。


         次の日の昼間、五寸釘を一本切り、グラインダーで太さと長さをあわせ、目釘を作る。グラインダーで削りっぱなしでは表面がけば立っているし、太さの微調整も兼ねて全面を金槌で叩いてまわして滑らかな目釘が完成した。



         すうぶんたがわず目釘が治まるというわけにはゆかず、扱っているうちに抜け落ちそうになってくる。金槌で、刺した状態の目釘を叩き潰せばあるいは落ちなくなるかも知れないが、二度と抜けないようになってしまってはこれも困る。
         柄の補強もしたかったところなので、目貫の上に木綿布を巻き、ボンドを塗り込んで固定することにした。自己流の、見苦しい苦肉の策の気もするが、その場に耐える実用重視でひとまず納得することにする。木綿布ではなく鹿の生皮、ボンドではなく漆を、使えるようになるのはいつのことだろうか。


         布表面に塗ったボンドを一日かけて乾かして、完成。
         最初のうち、この抜き身の槍を持って山を歩いていたのだけれど、岩石にぶつければ刃を痛めるし身体にぶつければ危ないし、使用する時以外は布を巻いて持ち歩くことにした。ナイフの次は、槍の鞘も作らなくっちゃ。

        ※関連記事
        槍の柄作り〜野生の狩人をめざして (2007.11.16)
        ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?    (2007.06.11)
        | ものづくり | 23:30 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
        耳飾り館 秋の手づくりマーケット
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          茅野縄文遺跡を展示している榛東村耳飾り館で、10月28日県民の日に、秋の手づくりマーケットを開催します。現在参加者募集中。
          これまでの出展品はさまざまな工芸品や小物のほか、手づくりのお菓子や野菜も販売されているそうです。プロ・アマ関係なしで、個性に富んだマーケットとなりそうです。

          今回の野楽生の参加応募は手作り陶器・・・、生業そのままの出展で少々さびしい。そのうちに木工彫刻品や、やまの恵みをおすそわけするようなものたちで参加できればいいな、と思っています。

          当日は耳飾り館の無料開放日です! 内容について詳しいことは、榛東村耳飾り館 ブログ をご覧ください。

          また、orbitさんのブログの記事に、過去の同イベントの様子が写真入りで紹介されています。
          07年10月28日 秋の手づくりマーケットの紹介
          08年5月6日 春の手づくりマーケットの紹介

          現在はあくまでも参加者を応募している段階なので、野楽生が参加できるかどうかは10月21日以降に決まりますが、出店できなくても会場に行ってみようと思っています。縄文時代に興味のあるひととの楽しい出会い、そして交流のきっかけが生まれれば、と楽しみにしています。
          | ものづくり | 18:14 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
          古代製鉄実験の見学 〜人と金属器の出逢い
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            いつの頃からか、鍛冶師に憧れていた。
            熱い火の中で鉱物を採り分け、槌を振るって柔軟な剛さ(つよさ)を鍛え、すぐれた形を生みだしていく。ドゴン族の神話をモチーフに、鍛冶師が重要な役割をはたしている小説「蒼い人の伝説」には鋼を鍛える描写が躍動感をもって絵描かれていて、鍛冶に対する神聖感・神秘感のようなものをますます強めさせられた。
            食い扶持を稼げないからと生業にははなから諦めていたけれど、龍の字と知り合うことで鍛冶を教わる機会を得て、子供の頃からの思いがふたたび熱を帯びたりする。

            そんな龍の字がくれた一本の電話から、古代の製鉄実験を見に行くこととなる。日程と会場を詳しく調べてみると、それはリンクブログの書き手orbitさんの勤め先であった。メールで打診し、当日会えることを確認する。

            おかマタギは所用で出掛けられなかったので、龍の字との二人で朝早く出発する。楽しみで仕方がないという様子の龍の字は、車に乗り込むなり製鉄に関するあれやこれやの話を聞かせてくれた。聞きかじった付け焼刃の知識をここに書いて間違いがあるといけないので詳しく掲載はしないけれど、製鉄が歴史のなかでどのように人の生活に影響をもたらしてきたか、漠然と感じたような気分を味わいつつ車を走らせる。

            台風のせまる雨の中を、二時間ほどで到着する。一般客が入れる時間になったばかりの会場にまだ人は少く、間近で炉を見ることができた。



            本来は半分地下に埋まっていて後ろにはたたらで風を送る鞴(ふいご)があり、前面には溶けたカス(砂鉄から鉄をとり分けた後の不純物)を流し出すための穴がある。おれたちが到着した頃、その穴には温度計が入れられていた。


            写真左下、足場を組んである下に、たたら・鞴の代わりとして送風機を使っている。

            ある程度の温度になってから、いよいよ砂鉄を入れる。燃料である炭と一緒に、どのくらいの量をどのくらいの時間経過で入れるかが、うまく鉄を溶かしていくかなめとなるようだ。

            砂鉄や炭を入れると火花が飛ぶ。炎を扱っているという実感は、胸を躍らせる。

            炉の構造は縦穴に風を吹き込む穴をうがっただけのような極簡単な構造なので、その分従事している者の技量が肝心となっいる。古代の技術者は炭や砂鉄の質、炉のある土地の土の質、さらには季節や天候といったもろもろの条件を吟味・把握して、かぎられた道具や条件の中から鉄を取り出していたのだろう。

            実験している人々にとっては落胆だったと思うが、今回の結果はあまり良くなかったらしい。風を送る調整やその他の状況(おれはあまりよくわからないが)の加減で、カスが炉中で冷えて固まってしまって、炉前の穴から流れ出なかったのだ。
            実験しているのは考古学等を専門としている人たちで、製鉄技術者ではない。製鉄専業者のもとへ教わりに行ったりしながらおこなっているという今回で二度目の実験は、まったくの素人のおれなどから見れば十分に見ごたえのあるものであったのだが、実験担当の人はけっこう残念そうであった。
            大成功と言えないとはいえ、鉄の選り分けがうまくいっていないということではない。カスの部分が下部に溜まって固まってはいても、その上に鉄がとれている可能性は十分(?)ある。

            見に来たお客さんに、溶けて流れ出るカスを見せるのか大きな山場だったようで、担当の方は申し訳なくおもったのか代わりに冷めきらない炉を切りくずして中の状態を見せてくれた。危険も伴うこの作業は、たいへんだったと思う。




            それにしても、使用した燃料の炭の量には驚嘆した。数分ごとに1キロの松炭を入れていくのを見ていると、ついつい日常我が家で燃している囲炉裏の柴やオキ炭と比べてしまう。見学していたのは約六時間、実験を始めてからは九時間以上の時間、炉は燃し続けていた。当然、製鉄で使っている炭はどんな炭でもよいというわけではなく、熱量を確保できる質の良いものでないといけない。
            龍の字によると、現代でも炭の火で製鉄している鉄工所はあるという。
            おれも千二百度の火を使用して生業としている身ゆえ言えた義理ではないのかも知れないが、冬を越す薪を集めるため山を上り下りして掻く汗を思い出すと、一握りの鉄のためにどんどん燃やされていく炭を見るのは、なにか身を細らせるような、落ち着かない気分を禁じえない。

            木を伐り出し運ぶ。炭にする。原料となる砂鉄は土中より掘り出されて河川で洗われ、鉄分の多いものが選り出されて運ばれる。
            そして燃料・原料を採った場所では、沢山の生きものの生活空間が壊される。

            鉄器を駆使することは中国大陸からもたらされた技術だ。もちろんそれ以外の金属技術も、もともとこの弓の島にはなかった。優れた道具を作り出す金属たち、これほどの労力を必要とする技術は生活のなかで必要とするものではなく、大規模な集団としての力を維持していくための道具、戦力だったとおれは考える。ひとつの一族やひとつのムラ、その生活の中でのちからであれば、道具と成ってからのちからよりも、道具を作る労力の方が負担となって、石器骨器等とくらべて決して便利な道具ではなかったと思うからだ。
            交易等で手に入れた金属器は尊び大切にするとしても、その道具を作り出す技術を生活の中にとり入れることは、縄文のひとびとはしなかったと思う。
            金属とはあくまで、特別なものであり、それ故みだりに使ってはならない神聖なものだっただろう。

            限られた、特別なちから。
            その認識は、むやみに道具を使うことをおのずと戒め、生きるに必要とするときのみに役立ってもらう有り難い存在と感じ得る。

            一つの金属器の背景には膨大なちからの凝縮がある。
            多くのいのちがその道具のためにちからを分け与えている。
            そんな道具を日常に、あたりまえとなって使っていることは、ひとにとってよくないこと、危険なことなのではないだろうか。

            どんな道具も、(そしておれたち自身の体そのものも)、かつては別のかたちであったものたちのちからを借りて、使うことができている。なにもないところから自力で生み出したものは一つもない。
            生きていくということが他のものたちのちからを借りてつながっているということを、忘れないでいなければならない。だからこそ、そこには協調があり、共生があり、多くのものたちがバランスをたもって存在できる世界があるのではないだろうか。

            自分が使っている道具たちに、どのような背景があったのか。どんな経緯でここに来て、使わせてもらえるようになったのか、それらを感じつづけていることはもともと自然なことだったのだと思える。けれども“物”にあふれる現代に過ごしているおれたちはそれら一つ一つのものの背景をすべて感じていたら、あまりに多すぎる景色の内容に気が振れてしまうのだろう。
            そうして、ものたちの声が聞こえなくなるように自分から耳を閉ざし、感覚を鈍らせてきたのだろう。

            それは自分の使っているちからがどのようなちからなのか、わかっていないということだ。
            強すぎるもてあましたちからで、多くのものを傷つけていくことにもなりかねない。

            一つ一つのものを大切にする。それがやがては世界のすみずみまでを大切にすることになっていくのだと思う。地の果て、空の果てまでも、みなつながっているのだから。



            製鉄実験の合間に、館内展示も見てまわった。orbitさんが案内や説明をしてくれて、短い時間では見切れない面白さにまた日を設けて見に来ようと考える。
            そしておれは、やはり縄文時代の遺品の数々に最もこころを奪われる。これらのものたちを作り出していたひとびとは、間違いなく宇宙とつながり、一体となっていたひとびとだと心底思う。



            ナイフを使い鉈を使い、その他沢山の作られた道具たちのちからで生きながら、それらをみだりに使ってはいないか
            つねに自分に向けて問うていかなければと、あらためて思う。

            沢山の展示物なかで、縄文時代の狩人の人形にも目を惹かれた。おれが持っているイメージと多分に通じるところがあり、嬉々として撮影した。


            ものをかりて生きるおれたちのからだは、この大地とも、
            宇宙の星々ともつながっている。

            ※関連記事
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            | ものづくり | 21:21 | comments(9) | trackbacks(0) | - | - |
            槍の柄作り〜野生の狩人をめざして
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              狩りに必要な槍を作っている。罠で捕らえた鹿や猪に止どめをさすものだ。

              正直言うと、罠というものはあまり使いたくない。相手との対話無しで捕らえる方法だからだ。狼が狩りをするとき、無闇にどんな鹿にでも牙を向けるわけではない。病気や怪我をした個体、年老いた者、生きていく術(すべ)を備えきれていない者を見きわめて狩りを行う。

              生物学の世界でいうと、淘汰が行われ優れた者が子孫を残す、ということになる。しかし先住民の目にはまた別の世界観で見える繋がりがある。食べられる側の者は、より大地に近いのだ。食べる側にとって、食べられる者は大地そのものだ。生(性)を生きぬき、この世を去ろうとしている者は、最期に命を与えていく。

              『余はここだ。余がオマエらの一部になるのだ。余のおかげで、オマエらが生きる。余のおかげでオマエらがこの母、この大地と結ぶのだ。余のおかげだぞ。余がオマエらよりこの大地に近ひのだ』(タシナ・ワンブリさん「約束」から)

              まだ生き足りない者、この世で為すべきことが残っている者は、それを狩りうどに告げる。狼は獲物のことばを読みとり、かれにまだその時がおとづれていないことを知る。

              強いものが弱いものを食べるのではない。鹿が弱かったら、死に絶えている。鹿が強いから、狼は鹿のちからを得るために食べ、自分のちからとして生きていくのだ。生きぬいてきた者、おのれより大地に近づいた者だからこそ、食べる。
              弱肉強食という語(ことば)は人間の世界にだけある。


              おれは狩りの約束を見切っている者ではない。だから鹿を食べるとき、本当にかれを食べることが大地の掟に合うものなのかどうか、自信がある者ではない。
              この掟を身体に知っていくためにも、おれは食べる者と向かい合いたい。狩るものをこの目で見、そのちからを感じ、息を聞き。

              その方法として罠はどうか?と思う。本当の狩りうどならば罠掛けるときも掟にそむかぬことができるのだと思うけれど、おれには多分できない。けれどもいろいろな考えから、罠を掛けることに決めている。そのなかで狩りのことを学んでいくつもりだ。
              だから、捕らえることが即殺すことになる仕組みの罠は使わない。止どめをさす時は、槍やナイフを使う。


              t260arimaさんのブログの記事「浦川太八さんのマキリづくり2」で、材を刳り抜いて鞘を作る方法を知った。槍の柄作りに試みてみる。柄の作り方をいろいろ考えたのだが、鉈のように切れ込みを入れてしまうと固定する強度として弱いと思う。どちらにしても柄の一番先(刃に接している端っこ)は金輪で留める必要があるかもしれないけれど、中心(なかご。柄に埋まっている部分)のまわりが木で包まれている方がより強いだろう。

              といっても浦川さんと同じ方法をまるきり模したわけではない。最初にドリルを使って槍の中心よりやや小さめに穴を開けておいた。そして手近にある「マイナスドライバーのような形をした鉄」、おれの場合は古ぼけたマイナスドライバーを、囲炉裏のオキで真っ赤に焼き、柄を焦がして徐々に穴を広げていった。




              思ったよりも焼き進む。かなりたいへんな気のながい作業だと思っていたのだけれど、真っ赤に焼いた鉄の棒の威力は結構なものだ。これならば最初からこの方法で、ドリルなど使わないで作ったほうが綺麗に正確に刳り抜けるような気がした。
              初回の、まだ作り途中の感想である。実際にドリルを使わなかった場合はもっといろいろな発見があるだろう。また、浦川さんが刳り抜いているのは鞘であって、おれがやっているように中心が入ればいい小さな穴とは違い、熟練した技術が必要だと想像する。

              不便に感じたのは、マイナスドライバーを使っているために先っぽが細く(薄く)、焦がす範囲が小さいことだった。内壁を広げるのには問題がないが、深くするには使えない。
              また、ドライバーの長さが足りなすぎた。柄が煙をあげてくることがある。熱くて持てないので皮手袋をはめて作業したが、それでも熱い。次回はもっと長い、先がもうすこし厚みのある鉄ををさがしてみよう。



              ※関連記事
              罠という狩り   (2008.10.14)
              槍作り、完成   (2008.10.09)

              | ものづくり | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              マキリを手にする 模様を感じる
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                イルイケ エアシカイ クルの紹介で知った「アイヌ工芸作品コンテスト」を見に、東京池袋に行った。

                イルイケ エアシカイ クル(i-ruyke e-askay kur)は本州人(和人)だけれども、アイヌの文化、とりわけ衣類の装飾やマキリ・タシロなどの彫刻に惚れ込んで、北海道にを訪れるたびに行きつけのアイヌ民芸品店で服等を作ってもらっているそうである。
                このブログを通して交流が始まり、七月末に行われたコンテスト展示を機会に初対面し、所有のマキリなどを見せてもらった。

                このコンテストはアイヌ文化振興・研究推進機構が催していて、アイヌ文化の伝統的な工芸作品や、アイヌに関する現代的創作作品を審査・展示している。

                会場をゆっくり眺めているところイルイケ エアシカイ クルらしきひとを見つけ、声をかけた。あらかじめ連絡していたとおり、彼はアイヌ模様の入った服を着て、アイヌ模様の入った鞄を肩に掛けていた。こちらはサニ族作アイヌ模様の麻布の上着、それにサニの青い肩掛け鞄を身につけている。模様の引き合わせた会合だ。

                一緒に展示作品を眺めてから、腰掛けに座ってアイヌ文化の話題で雑談する。そして、今日おれが最も楽しみにしていた、マキリを手にする瞬間がやって来た。現在こしらえているナイフの柄・鞘の参考にと、イルイケ エアシカイ クルが持参することを約束してくれていたのだ。
                幾つものマキリとタシロを持ってきてくれたなかで、このマキリが一番参考になると思った。




                おれのナイフのように反りの無い真っ直ぐな刀身で、長さもほぼ同じくらい。柄のでっぱりには中指を引っ掛ける。手のひら全体に掴んでいるようで握りやすく、安定感がある。握り方を変えて人差し指だけを引っ掛けるようにすると、彫刻などの、力を使わない細かい作業に良いような気がする。
                鞘から刀身が抜け落ちないようにするため、刃に近い柄の部分に凹凸があり、これが鞘の入り口の凹凸に嵌るようになっている。これも勉強になった。刀のハバキのような部分を作ることは考えていたけれど、このマキリのようにカチンと嵌るものは考えたことがなかったからだ。製作に取り入れることにしよう。

                他のマキリやタシロも紹介したいけど、作り手の承諾を貰っているわけではないので見合わせることにします。幾人もの作家さんが違う種類の木、違う形や模様で作った様々な道具がありました。
                どれも個性と特徴がある作で、甲乙をつけるつもりは毛頭ないのは言うまでもないけれど、現在おれのナイフ作りにとって最も参考になると思ったのが写真の作品でした。

                そのほかにも手甲や脚絆も見せてもらって、ふつうの脚絆と違って膝を覆うものがあるのが面白かった。


                やわらかい布だから縛ってあるところより上の部分は簡単に折れてしまうけれど、これが硬めの革であれば非常に役立つ作りとなるだろう。革鞣しの技術を磨いてきっと作りたい。

                残念ながらイルイケ エアシカイ クルは忙しく、あまり時間がとれないので大急ぎで話を終わらせたという感であった。でも今後また、機会はいくらでも生まれると思う。

                昼食のためにいったん会場を離れるが、その後もどってきて再び展示作品郡を見たり、設置してあるアイヌ文化のビデオでタシロ作りやイオマンテを見た。


                そして、思いを馳せる。

                アイヌの男たちが囲炉裏ばたでマキリを操り、木工彫刻を仕上げていくさま。フチ(おばあさん)が衣類に刺繍をほどこしている。遊び疲れて寝息をたてる子どもたちをつつむ部屋の空気は大人の夜なべ仕事をしている静かな動きを伝え、ひとつの火に暖められている。
                チセ(家)の外は星明り、耳を澄ませば梟の声や葉擦れの音が聴こえてくるだろう。

                そんな生活のなかで、この工芸品たちにめぐり逢いたい。
                生きるに必要な道具として、大地の息を吸っているものどうしとして、道具を作り、使いたい。


                博物館に並べられた過去の産物を見るようなかたちでおれはかれらを見たくない。記録映像としてモニターの中に、見たくない。

                百年前アメリカの万博でアイヌの一家が「展示」され、「再現」されたチセでの「生活」を見せていた。その家族のこころはどんなだっただろう。
                展示物を見に来る文明人たちを何百とむかえながら淡々と時を過ごしていた彼らが、ひとつだけ激怒したことがあるという。カムイが出入りするときに使う神聖な「神座の窓」を、観客の一人がぶしつけにも覗き込んだとき、一家で一番年配の男が怒号したのだ。
                海をへだてて遠い異国に見物人相手の仕事をしに来ていても、彼らのこころに民族の魂は生きつづけていた。


                模様には、その土地の風土をかてとして、祖先(おや)たちの魂が宿っていると思う。ひとつひとつの形に意味があり、知ると知らざるとにかかわらず、その模様におれたちの息は守られている。
                自然界にあるさまざまなかたち、美しい形たちを、必要に応じたエッセンスとして取り出し伝えられてきた模様たちは、声にのせて耳にする言葉とはまたべつの、目に見える言語たちだ。

                模様たちを再び息づかせ、大地との絆をつないでいくことが、きっとできると思う。
                模様に魅せられているイルイケ エアシカイ クルを見ていると、それは遠い先のことじゃない。

                風景や模様を見て、こころ惹かれるとき、身体の中に流れている先祖の血が、なにかを呼んでいるのだろう。


                ※関連記事
                ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?
                              (2007.06.11)
                民族衣装 (2006.10.18)
                模様 (2006.04.28)
                | ものづくり | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                耳飾りの野焼き
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                  六月に作った耳飾りを野焼きした。
                  場所は榛東村耳飾り館、館のひととorbitさんが準備をして待っていてくれた。おひさしぶり〜、と挨拶をしてさっそく野焼の手順を説明してもらう。

                  燃料は落ち葉と落ちた枝、一輪車に一杯。それから太目の枝を少々。地面の上に肩幅くらいの直径で少し太めの枝を並べ、その上に耳飾りをのっける。耳飾り同士があまり近すぎないようにするのは、万一壊れても隣に影響しないためだ。
                  耳飾りを並べたら、その上に枝をティピ(インディアンテント)を立てるみたいに円錐形っぽく積んでいく。枝同士がくっつき過ぎていると風が入りにくくてよく燃えないので、なるべくまばらに、ムラのないように積んでいく。その上にさらに落ち葉をかぶせ、外見は落ち葉の小山があるだけと変わらない。

                  火をつける。湿気のある季節なので燃し木が水分を吸っていて、炎が勢いよくというわけにはいかず煙もうもうのいぶし焼きっぽくなる。乾燥期にはあっという間に火が広がったというが、今回全体が火に包まれるまでに10分ほどかかった。
                  このまま燃え尽きるまで小一時間、見守って待つ。


                  冬であれば、落ち葉焚きで焼き芋でもしているかと思われるだろう。
                  こんなに短い時間で、少い燃し木で、土器が焼けるとは想像の外だった。いくら耳飾りが小さいとはいえ半日は火を燃し続けるだろうと思っていたのだ。

                  現代製陶を学んだせいもあって、焼成の温度が高ければ高いほど“よく焼く”ことだと思っていた。縄文時代のさまざまなことを知っていくなかで、土器の焼成に関しても相当な技術をもっていたことがわかる。そのため野焼きではあっても、窯のような状況を作りだしてかなりの高温で焼いていたと考えていたのだ。

                  けれどもorbitさんの話しを聞くと、縄文時代の遺跡において土器を焼くための跡はわずかなくぼみすら見つからないことがほとんどだという。出土する土器の表面には、密室での焼成品には見られない、風による炎のムラの、炭化した黒い斑が見られるとも。

                  つまりいまここでやっている焚き火のような野焼きで、数々の縄文土器が焼かれてきたのではないかと考えられるのである。


                  おれはまだ野焼を知ったばかりだから、ここであれこれと結論を出そうとするのは尚早だろう。しかしこの野焼き方法ならば、身近にある燃し木だけを燃料にして、短時間で焼き上げることができる。

                  八千年という縄文時代のあいだに高温焼成の方法を、縄文人が考えつかなかったとは思えない。焼成に関して労を怠ったとも思えない。焼く前の、形をつくることはこれほどまでに手をかけて、こころを込めて作っているのだから。

                  この野焼きでは、木々を伐って燃料を作る必要がない。窯を築くために地を掘り土を積み固めることもない。
                  天気や風の動きを読む、どの季節にはどんな燃し方が適応しているのか、自然界と一体化している火の技術が高められただろう。


                  この記事を書くにあたってよく考えてみたところ、おれにも一度だけ野焼きの経験があった。中学の時の授業の一環として、陶芸家の指導で運動場に深さ30センチほどのくぼみを3メートル四方ほどつくり、同級生のつくった土器を集めて薪の火を、朝から夕方まで燃したことがあった。
                  けれども耳飾りの野焼きをしてみて、今回のような落ち枝を使った小規模の焚き火で多すぎない土器を焼いていく方が、成功率も効率もよいのではないかと思えてきた。


                  一時間足らずで火は消える。枝を使って灰を掻き分け、耳飾りをひろい出していく。
                  二十一個の耳飾りたちが、羽化したようなあたらしい姿を表した。




                  今回かなり煙が出たので、大半の耳飾りが黒く炭化している。渋く光る黒色に、弁柄(酸化鉄)で色付けした赤が美しい。炭化している方が、弁柄の赤はより鮮明なようだ。



                  縄文の野焼きを経験したおれの体内に、新たに騒ぐ血の蠢き(うごめき)がある。地元の土を使うこと、表面を石や竹で磨くこと、湧いてくる土器づくりのひらめきを、しずかに温めていこう。
                  食器、装飾、花器、照明器。
                  そして土偶や石棒のように、自然界のちからの流れを感じとる手助けとなるかたちを生みだしてゆきたい。

                  ※関連記事
                  夜と 火と 縄文と (2007.06.18)
                  縄文の装飾 耳飾り館 (2007.04.24)
                  八千年前弓の島 (2007.05.07 )
                  | ものづくり | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ?
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                    暇をみつけて、思い出したようにナイフの鞘と柄を作っている。彫刻刀で少しづつ削りながら、ぽちぽち進めています。

                    リンク先のt260arimaさんのブログ『もうひとつの日本文化(アイヌ文化) 』を、アイヌの作品の美しさにあらためて感激しながら、一方で自分のナイフ作りの参考にして、楽しみに読んでいる。

                    マキリは狩りの時に使うナイフ・猟刀だ。その拵えの形が模様とあいまって、アイヌの尊ぶ大切な食料のカムイ・チェプ(kamuy-cep 鮭)に似ているなと昔から思っていたが、それまで見慣れているナイフとは違って凹凸の豊かな柄の形は、実際に使ってみて使いごこちはどんななのだろう、と興味を持っていた。
                    しかし、鹿の皮剥きを何度かするうちに、マキリの形は皮剥きにとてもよい形なのではないかと思いはじめた。悲しいかな、マキリを手にしたことがないので実感として確かめることができないのだが、以下に感じたことを書きおこしてみて、いにしへからの狩人の魂を持つ諸氏にご意見賜りたい。t260arimaさん、是非ともよろしくお願いします。

                    まずマキリを見て思うのは、ほとんどのものに柄の反りがあることだ。なかには相当に反っているものも見られる。鉈(和のもの)の場合は反対に、刃側に向かって弧をかいているが、マキリはアラビアン・ナイフのように刃を外にした三日月形である。
                    これは、皮剥きに際して適している形だと思われる。皮を剥く作業というのは具体的にいうと、肉から剥がすときにあいだにくっついている膜や脂を切っていくことだ。やわらかくて薄い膜を切るのに力は要らない。なめらかにすべらせつつ、かるく触れるだけで皮膜を切っていく。これは極端に言うと、刃を外側にして大きな円を画いていく軌道となる。その軌道に沿ってナイフを操る時、指のちからを抜いてなるべく握り締めないように柄を持つとなると、柄の刃側の部分は邪魔に感じられる時がある。むしろ刃の裏側(峰側)にすこし柄が曲がっていれば、手のひらの真ん中にスッポリとおさまって、安定した、しかし力まないやわらかな持ち方となると想像できる。つまり、柄を掌(たなごころ)におさめて指に力を入れず、やわらかく刃を活かす持ち方として、反りが必要ということだ。

                    鉈のように木の枝などの硬いものを伐りつける場合、しっかりと柄を握らないと刃が跳ね返されてしまう。この場合は刃を内側にして弧を画いた「円の内側が刃」になっている形が適している。マキリの逆だ。
                    肉を切る、やわらかい使い方の刃物は、反りがあったほうがよい、と想像して、まだ作り始めていなかった柄の形の案を変更してみた。

                    最初考えていた柄の形は下のようなもの。使い慣れている包丁の柄を参考にしていた。



                    いろいろと考え直して現在はこのような柄を考えている。



                    マキリや狩りのナイフに詳しい方、この形、使いやすそうですか?

                    東北のマタギが使っていた猟刀は、槍の穂先ともすることがあるためずいぶんと幅広のしっかりした刃物だ。先っぽだけは両刃になっていた気がする。これは皮剥きをするときにも使ったのかどうか知らないのだけれど、強く逞しい熊を狙うことを目的とする道具としてはこのくらいの頑強さが要ったのだろう。皮を剥く時には別の刃物を使ったのかもしれない。

                    「マタギ」は「狩人」の意味だと聞いた。そして「マ」は「狩り」の意味だと。
                    萱野茂氏の「アイヌ語辞典」ではマタンキ(matanki)=猟、となっている。そもそも「マタギ」ということば自体が狩りの意味だったのだろうか。
                    マタギことばの「セタ」も、アイヌ語セタ(seta)と同じく「犬」を意味する(同辞典では『犬、狼(古い時代の呼び方』)。東北にはアイヌ語が随分とのこっている。というか、そもそもこの弓の島の母語はアイヌ語と兄弟であることばだから、北へ行くほど、あるいは南へ行くほど現在のアイヌ語と似ていることばが残りやすい道理である(南は、漢語その他の影響も受け、北のアイヌ語はギリヤーク、チュクチなどの語の影響も受ける)。

                    「マキリ」とは、「マ(狩りの)キリ(切り・刃物)=狩りのときに使う刃物」という意味の、縄文語を色濃く残した東北語・マタギことばに共通する単語だと思っているのだが、どうであろうか?




                    関連記事
                    ナイフの鞘づくり (2007.02.27)
                    鹿解体 (2006.04.21)
                    鉈の鞘 (2006.04.21)
                    また、沢蟹料理など(2007.07.19)のコメント、それからリンクしているブログ、『もう一つの日本文化(アイヌ文化)』のt260arimaさんとのやりとり(コメント欄)もご参照ください。
                    | ものづくり | 22:18 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
                    縄文の装飾 耳飾り館
                    0
                      友人を訪ねて千葉に行った時、国立歴史民俗博物館通称歴博を見に行った。その購買部で目についた小冊子、あまたの土製耳飾りの写真を表紙に使っている「茅野遺跡」(かやの遺跡)のもので、ページを繰って見ると美事な土器と石器の姿があった。それは群馬県榛名山のなだらかな山麓、榛東村(しんとうむら)で発掘された縄文遺跡、数百の耳飾りがとくに際立った発見だったらしく「耳飾り館」なるものを建てて展示していることを知った。
                      日を改めて、見に出掛けた。




                      展示場の四分の一くらいを世界の耳飾りとして亜欧阿様々な耳飾りを並べていたが、おれの最大の興味はやはり縄文の遺物にある。完成度の高い土の造形には幾つもの種類があり、その他にも鹿の骨を加工した髪差しや髪留め、ベルトの止め具のようなものなど、装いを彩る沢山の装飾品は当時のひとびとの豊かな気持ちを感じさせる。

                      耳飾りは直径三センチほどから、十センチもある大ぶりものがあるが、これらの装飾品を実際に使っていた様子がわかるよう、中国雲南省の少数民族で、同じ様式の耳飾りをしているおばあさんに複製品の縄文耳飾りをつけてもらった写真もあり、縄文時代をより身近に感じることが出来た。
                      ちなみに、雲南省のおばあさんに縄文耳飾りのレプリカを着けてもらうようお願いした時、なかなか承諾してもらえなかったそうだ。理由は、自分の耳飾りをはずさなければならないから。幼いころから耳飾りを着け続けているおばあさんにとって、「わるいものが来ないように」というような意味をもつこの装飾品は自分を護るものだ。(ほんものの)耳飾りを着けずにいる状態をなくすため、子どもの頃使っていた小さい耳飾りをレプリカ縄文耳飾りの内側に着けることでこの「試着」を了解してくれた、と館のひとからお話をうかがった。







                      茅野遺跡から出土したものは、保存状態がすごぶる良い。榛名山という活火山の灰に覆われていたことが、石器や土器だけでなく、鹿骨などの遺品を腐らせないことにつながったと館内の人が説明してくれた。山麓傾斜面という地形の理由もあり、また、弥生・古墳時代の遺構が存在せず(弥生・古墳時代に人が住んでいなかった)、縄文のものが荒らされずにいたことが良好な保存状態をもたらしたとも、遺跡概報に書いてある。

                      耳飾り館、と名乗っていても、そこに展示されている縄文の品々は装飾のみならず、様々な当時の生活をしのばせる。手燭形土器にはけものの脂が付着しており、灯りを摂るのに獣脂を使っていたことがわかるという。
                      石版に模様を彫ったものは東日本に多いらしいが、綺麗に磨かれたその石たちはお守りや儀式のときのものだったのかと考察されている。大切にされていたものらしい。

                      ホピのひとびとに伝わる小石版の絵は、人類の未来の予言が描かれているという。それに類似するおにぎり大の石版画が、この群馬に遺されていたことと考え合わせ、なにか意味深な興味を感じる。




                      太田市でも多数の耳飾りが出土したことを館の案内で知り、機会を作って太田市立薮塚本町歴史民俗資料館へも見に行った。ほとんど同形式の耳飾りがあることから、榛東村との間に交流があったと考えることができる。石之塔遺跡と呼ばれるこの遺跡は、縄文以前の文化が日本で初めて発見されたことで有名な岩宿遺跡からほど近いところに位置する。

                      足を運んでみると、縄文時代も石器時代も意外に身近な気がしてくる。榛東村には知り合いが住んでいるし、耳飾り館でアンギン編みの体験もできるので、これからも行くことになるだろう。

                      偶然知った耳飾りの存在から、糸を辿るように、先人の遺したものを学んでゆく道は楽しく、果てがない。

                        

                      ※榛東村耳飾り館は館内の撮影を許可していなかったため、この記事では太田民俗資料館、国立歴史民俗博物館、群馬県立歴史博物館で撮ったものを添付しています。

                      ※関連記事
                      耳飾りの野焼き (2007.08.17)
                      八千年前弓の島 (2007.05.07 )

                      ※榛東村耳飾り館がこのほどブログ・ホームページを開設しました。
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                      2008.7.28 大口のま
                      | ものづくり | 07:43 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |