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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

ザリガニの殻炒め
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    ザリガニを茹でて料理したときに、茹でただけでは硬くて食べられなかった殻を、炒めて食べた。沢蟹を炒めたのと同じように美味いはず。今回はさらに鹿脂を使う。







    硬い部分もあったけれど、沢蟹よりも苦味が少い気がした。
    鹿脂のコクもまじわって、美味しくいただきました。
    | 料理 | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    鹿の脂
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      鹿を解体して先づ食べる料理は鹿刺し、そして大鍋で煮出した骨のスープだ。
      大きな鉄鍋を囲炉裏に掛け、鹿の骨を入れてぐつぐつと煮る。煮はじめて二、三日するとスープはまっ白に濁り、解体のときに取りきれなかった骨にくっついた肉も、この頃には剥がれ落ちてスープに混じり、じつに旨い。その濃いスープを小鍋にとって汁物を作るのが、毎晩の夕食になる。

      毎日煮ている鉄鍋は夜の間に冷える。冷えたスープの表面には、クリーム色に固まった脂が溜まる。この脂を取りわけてみた。鹿の脂は食べていても脂っこいということがなく、さっぱりしていて臭いもない。スープに溶けているものをそのまま食べていてもなんら困ることはないのだけれど、あまりに濃いスープを食べていると、いっぺんにそれだけの栄養を食べるのはもったいない気もするのだ。脂は脂で取っておいて、炒め物などの別の料理に使ってみた。

      固まった脂を菜箸で取る。




      中華鍋での炒め物に使っているところ。



      それほど沢山いれなくても十分で、あたりまえだけど鹿の肉にはとてもよく合う。
      牛や豚のラードのようにベタつくことがまったくない。植物油よりもサラッとしている。

      縄文時代のひとびとも獣の脂を取り分けていたようだ。榛東村の耳飾館で展示している土器には燭台と思われる器があり、獣脂が付着していた。芯をとりつけて火を灯し、明かりとしていたと想像される。
      また、縄文土器によくある筒型の器は、底よりも口のほうが広がっているものが多々ある。これは煮出した骨肉の脂を取るのには効率のいい形なのではないか、と思いついた。そのうちそんな器を作って実験してみたい。

      ※関連記事
      鹿バラ肉角煮   (2008.12.21)
      続、鹿解体・後編   (2008.11.12)
      続、鹿解体・前編   (2008.11.08)
      鹿解体   (2006.03.21)
      | 料理 | 17:17 | comments(8) | trackbacks(0) | - | - |
      ザリガニ料理
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        今月はじめ、通っている整体道場の稲刈を一緒にした。田畑―――植物を育て実りをいただくということは、整体に通じるものがある、というか同じもの、という。大地という体のリズムや流れをきちんと知ってその恵みをいただくことは、大きな輪の一部としてあることだから、大地の一部であるひとの身体をきちんと知ることと同じ。

        当日、道場にお世話になっているひとがたくさん集まって、みなで楽しく稲刈りをした。もち米なので、うるち米より刈り入れの時期がおそい。
        家族づれのグループも多く、子供たちは田畑を遊びまわって、最終的にザリガニ採りに夢中になっていた。かつては何処にでも見られた、子供の遊びがそのまま生活の糧をも潤す風景だ。
        水の干上がった用水路や、畑の一角にある蓮池で、子供たちは10匹以上のザリガニと、フナのような魚、ドジョウ一匹を獲得した。

        で、それらの獲物をうちでもらうこととなった。くれるのだから、ありがたくいただきます。いただくからには食べないと申し訳ない。我が家の近くにはザリガニもドジョウも住める場所がない。
        いくつかの料理法を考えたけれど、ザリガニの味を一番味わえる方法、お湯で煮るだけで食べることにする。

        まずザリガニをざっと洗う。捕まえてから数日経ってしまったものの、大半が元気に鋏を振り上げる。細かくは洗えないけれど汚れで付いているのは土や石くらい、農薬や除草剤とも無縁の場所に暮らしていたので、あまり気にしない。


        ぐつぐつと煮立った鍋の中に入れる。瞬時に死を迎えられるように、何匹か入れてお湯の温度が下がったら、また煮立つまで待つ。

        元気に動いていたザリガニが不動の姿になるのを見るのは、矢張り悲しい。けれど食べるということはこういうことだ。

        すべて入れ終わって、赤く煮えるまで待つ。


        煮えたと思う小さいものからお皿にあげていく。
        ザリガニは「砂利蟹」とはいうものの、生物学的には蟹よりも海老に近い。ザリの語源も砂利ではなく、後ろにずりさがる動作を表した「いざる」蟹、という説もあるそうだ。
        とまれ、小さいザリガニは海老の姿そっくりである。


        中国でタイのひとと一緒に料理した時、ザリガニスープも作ったことがある。けっこう辛い味付けでザリガニそのものの味はよくわからなかった。それもあって今回は、茹で湯に入れた塩だけで食べてみる。
        小さいものなら殻も残さずいけた。大きいものは海老のように、頭部の硬い部分から腹もぎとり、背中の殻を剥いて食べる。
        思ったより薄味。蟹と海老を足して二で割ったような味だ。鋏の中の肉は蟹と変わらないように感じる。

        茹でただけでは食べられない硬い殻はとっておいて、後で沢蟹のように炒めて食べる予定。きっと香ばしくてよいおかずになると思っている。
        魚とドジョウは数日後、ドジョウは汁物の具にして、魚は焼いていただいた。
        | 料理 | 15:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        鹿バラ肉角煮
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          年の暮れも迫る師走、一頭の鹿を獲った。

          その鹿は立派な角をもった大きな躰(からだ)、たてがみのような毛で頸まわりを覆う、歳を経た雄鹿だった。夜の家路の道脇にゆうゆうと身を休め、車の中からおれたちが見ていてもあわてることなく、静かな目をしていた。何度もそんな姿を見知っていたかれが、その日はどこか奇妙に見えた。動きが異状だった。いつものように車に気づいてもあわてることなく、しかしトコトコと歩く姿がモノでも憑いたようにおぼつかない。ゆっくりと走らせるおれの車の前を歩き続け、ひょいっと道をはずれたかと思ったら罠にかかってしまった。
          このくらいの大物だと罠から脱出することもあるのだけれど、かれの動きは“呼んでいた”ような、そんな気がして、どうしても心から消えなかった。

          “ われを狩れ 
           わが生きてきた時間をひきとり
            この大地の一部たれ ”
          ほんものの狩人ならば、そんな歌を聞きとったのかもしれない。

          翌朝ふたたび行く。大きな、色の濃い雄の鹿。槍とナイフを使って止めを刺す。ちからが抜けきって不動となったその姿は、奇しくもいつも見かけていたときのゆうゆうとした座像だった。息絶えるまで、ひと声もあげることはなかった。

          鹿たちは美しく、つよく、自然(やま)そのもののように偉大な存在だ。
          おれはかれらに恥じぬよう生きて、それを敬意のあらわしとしてゆきたい。

             >>◎=++―○●―++=○<<


          持ち寄り忘年会に向けておかマタギが料理をしてくれる。料理が苦手なおれは囲炉裏の火力の調整などの裏方にまわる。
          献立はパラ肉の角煮だ。沖縄ではラフティーといわれるような角煮を、豚ではなく鹿で作る。

          鹿のバラ肉はさほど厚みがない。柔軟で強靭そうではあるものの、見た目のボリュームには欠ける。しかし今回の鹿は大きな体をもっていた。バラ肉も結構な厚みがある。


          フライパンで片面ずつ、丁寧に焼く。


          焼き終えたら鍋に移し、にんにく生姜を入れて水で煮る。弱めの火でじっくりと煮てゆき、汁が少くなったらまた水を足して煮続ける。二時間を経過して一日目は終わり、翌日また二時間を煮ながら味付けの仕上げをする。


          現在煮込み中。出来上がるのは明日だけれど、兎肉の時と同じく美味しいご馳走になることまちがいなし。
          忘年会に集う皆さんにしっかりと堪能してもらい、野生のいのちを受けついでいってもらえれば、嬉しく思う。

          ※関連記事
          続、鹿解体・前編   (2008.11.08)
          罠という狩り   (2008.10.14)
          槍作り、完成   (2008.10.09)
          槍の柄作り〜野生の狩人をめざして   (2007.11.16)
          | 料理 | 20:25 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
          沢蟹料理など
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            先日イーハトーヴォさんが知人を連れて泊まりに来た。
            イーハトーヴォさんは、塩以外ならすべて(?)自給できる生活を達成している、哲学的信念を持っている(ような)ひとである。宮澤賢治のように菜食主義者ではなくて卵も食べるし鹿肉も猪肉も好きなようだけど、岩手の遠野出身だから、イーハトーヴォさん。
            一緒に来たのは背の高い、現在人生の転換期を迎えつつある埼玉県在住の青年で、独自の追求で面白い眼をつくりあげていて話が面白かった。役の行者に付き従うセイタカ童子にちなんで、角もち童子(つのもちわらし)とあだ名しよう。

            二人とも忙しいなか時間を作って来訪してくれた。がんばっておもてなしする。
            いままで冷凍庫に溜めてきた沢蟹を、今回はじめて料理することにした。


            捕えてからすぐ食べずにパックに入れて冷凍するのは、最後の息をひきとる死にめをみることがないので何処か間違っている気がしているのだが、こんな小さな蟹の止どめのさし方はわからないし・・・、生きているまま料理してしまうのが一番いいのだろうな、と思いつつ、半解凍でフライパンで炒める。

            はじめてなのでよく要領がわからず、少し焦げたような色もあったけど、だいたいは鮮やかなオレンジ色に上がった。


            かるく塩で味付けしただけ、とても美味い。予想以上に美味い。これから沢蟹とりに積極的になりそう。

            おかマタギが採ってきたタンポポを敷いて、鹿の炒め物も作る。肉汁の旨みがタンポポの苦さとほどよく合って、蟹と一緒にイーハトーヴォさんの持ってきてくれたワインと絶妙のコンビネーションだ。


            囲炉裏でのフライパン料理は炎の加減をおれが担当し、調理・味付けはおかマタギがする。

            ほかに、おかマタギ作柿酢を使った白詰草(クローバー)入りサラダや炭火で焼いた山女もあったのだけれど、写真を撮るのを忘れてしまった。


            翌日、午後から仕事を控えている角もち童子さんの都合で長居ができず、うちの近くの山を少し案内して歩くだけで、早ばやと帰って行ってしまった。まだまだ話したりない感がある。また、おいでください。

            ※関連記事
            蟹捕り洗濯機                (2007.05.22)
            カニ母        (2006.08.23)
            | 料理 | 09:49 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
            物々交換
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              新潟の漁港に少しょう顔の利く知り合いがいて、毎年秋が終わりに近づくと鮭を何匹も買ってくる。ここ数年うちも恩恵にあずかって、紅葉が枯れ落ちる時季になると鮭やいくらの味を思い出しながら期待を込めて待っている。
              罠猟を教わったり獣肉をもらったりしていつもお世話になっている熊つぁんに感謝を込めてお礼がしたいとなれば、こんな海の幸はぴったりに思う。お腹にいくらをたっぷりもった雌の鮭は、刺身にできるほど新鮮だ。ちょうど猟期が始まる頃にあたるので、鮭を渡しに行くとそのまま時計型ストーブを囲んで鹿刺し等ご馳走になり、けっきょくお礼になっているのやらいないのやら、今年の山のけものたちの様子を聞いたり、一晩に一升瓶を三本空けた若き熊つぁんの無謀ぶりや、熊の胆・脂の効用のことなどなどを肴に時を過ごす。

              帰りに、今日獲った鹿肉くれるよ(あげるよ)、と一袋持たせてくれた。グループでの鉄砲撃ちもやる熊つぁんの、どうも今日一日の取り分らしい。恐縮してしまう。

              そんなわけで鮭いくら鹿肉と、野生の蛋白質に豊富な食生活となる。厳しい冬をこれで乗り切るのだっ(!?)


              新潟港まで車を駆ってくれる知り合いには、鹿肉を手に入れたら連絡して、できるだけ新鮮なうちに貰ってもらうことになっている。山や海を行き来する物々交換の行路、縄文時代、さらにもっと前の石器時代、あの氷河季の野生時代からも続いている「与えて喜ぶ」精神は、根強く不滅だ。

              いくらは産卵直前で、すでに筋子の状態ではなく、腹を裂いたらこぼれ出てきた。生まれる準備ができていたせいか一粒一粒の皮がとても硬く、噛み食べるのが滑ってたいへんではあったが、口の中でぱつんぱつん弾ける、たくあんを食べているときのような音とともにひろがる味は濃厚で、かくべつ美味かった。

              火を囲んで過ごす夜はとてもいい。なんとも言えず、とてもいい。



              平原の民(インディアン)、アイヌ、ロム(ジプシー・自然の王)、地球上のひとびとはみなこうやって火を囲んで一日を終えていた。
              薪を切り、木を燃やさなければ冬を過ごせないことを、野生のけものと違って寒さに耐える強さが無い弱い生きものだと考えていたおれに、「火をともすのは強さ弱さのことでは無い、あるがままのあたたかさだけです。当たり前のあたたかさです。」とタシナさんは言った。
              いのちをもらって生きること、それは、食べることだけでなく、自分がここにいることそのままがいただいていることだ。そしてその自分も、だれかにいのちを与えつづけている。いのちといのちのまじりあい、つながりあいが、はるかな時のむかしからつづいてきた。毎年彩りとともに枯れ落ちていく枝たちも、その年どしにちがう新しい枝たち。そうした時間といのちのつながりのなかに、おれたちも身をおいている。



              鮭のムニエルにいくら、柴の火・土鍋で炊いたご飯、それぞれのここまでの道のりに、ご馳走様でした。
              | 料理 | 23:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
              鹿丼
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                熊つぁんがよく食べていたやり方で鹿丼をつくる。
                鹿肉を食べやすい大きさに切って、にんにくを摩り下ろしたものと醤油に漬けておく。これをフライパンで焼く。油は敷かなくとも、鹿肉の脂が効いて、くっつくことはない。
                ご飯の上に盛りつけて、ちかくの山椒の木からおかマタギが摘んできた葉っぱをのせた。


                冬に獲って冷凍にしておいたので、やはり味が少しょうおちてしまった。冬のあいだに燻製にしたり干し肉にしたり、そんな生活をはやく実行してゆきたい。
                | 料理 | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |