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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

春の草花
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    早、長雨が来たような雨続きの今日この頃。
    半月ほど前に撮った草や花の写真を載せる。



    山を歩いていて足元に見つける花。名前は知らないけれど、毎年見る、ちいさな綺麗な姿が好き。


    山吹。たぶん自生の、つまり野生(やま)の山吹。


    萱草(かんぞう)。かんそう、と濁らない発音で地元のひとは言う。おひたしなどで美味しい。


    桃。山小師が育てている。二年ほど前からやっと実が成るようになった。


    雪柳。葉っぱが柳に似ているそうな。


    杓(しゃく)。すごくたくさん生えて、若葉の季節も長いので、我が家の常食のようになっている。山人参という別名は、人参の様だから。ハッカのようにさわやかな香りと味わい。


    蔓日々草(つるにちにちそう。通称蔓桔梗。五方の星型と、紫が綺麗。


    鰭張り草(ひれはりそう)。葉っぱが大きくて食べでがある。晴れた日の、つよい日差しで美しいグリーンに透ける。

    | やまの彩(あや) | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    忙しい冬
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      快晴の、あたたかい日が続いている。
      空気は乾いているし渡りの鳥たちはさえずるし、まちがいなく冬は来ているのだけれど、山間にしては陽の当たる立地なので晴れの日はとてもぬくい。縁側の朝食がぽかぽか気持ちいい。

      仕事―――お金を得るためのしごとで忙しく、ここのところ他のことをする時間が少い。この職も楽しみながらやっている事ではあるけれど、山のしごとをする時間がもっとほしい。我が家としてはめずらしく仕事々々の日々が続いている。
      水を使う仕事が多いから、冬の作業は寒くてつらい。そういう意味ではこの冬の暖かい日和はたいへんに助かる状況ではある。

      でも、冬は囲炉裏ばたで暖をとりつつ、水を使わない仕事とかナイフの鞘作りとか、ぐつぐつ煮える鍋をかこんでのんびりな日をすごしたいよなぁ。山の木はすっかり葉を落とし鹿の鳴く声も聞こえなくなり、雪でも降ろうものならば冬の到来、四季のなかの眠りの季節、活動せずに心身を休めてあらたな春のために養いたいものである。

      そんなわけでいまいち冬を実感できず味わえない今日この頃である。書きたいことは沢山溜まっているのだが、記事もなかなか更新できない。
      気長に続ける野楽生の道だけれど、いまだ書けずに過ごしている記事をかえりみながら夏くらいからの半年を振り返ってみよう。


      鋸(のこぎり)の目砥ぎ
       
      山小師に鋸の目砥ぎを教わった。まだまだ上手には砥げないが、これでまたひとつ山の生に近づいた。目砥ぎにもコツがあって、極めていく道を感じる。鋸を使うのもますます面白く、術を練っている感じが楽しい。
      鋸と目砥ぎ用の鑢(やすり)の柄も作りたくなっている。


      雀蜂

      雀蜂が家に入ってきたので写真を撮る。この山あいには雀蜂の巣をよくみかける。蟻もそうだけど、かれらは完全役割分担の集団で生活している。インディアンの教えには、蟻は宇宙を表している、というものがあると読んだことがある。


      古代製鉄実験見学

      龍の字と見に行った。実験もさることながら、orbitさんが案内して説明もしてくれた館内展示がとても気に入った。すばらしい縄文土器の数々が!
      で、やっぱり金属利器はできるだけ使いたくないなぁ、と。


      屋守

      個展会場でヤモリを見つけて写真を撮った。ヤモリとイモリは指の数が五本・四本で違う。ヤモリは家を守るという意味で、かれらがいると悪いことがおきないという。東南アジアでは、ヤモリが鳴いているときに生まれた赤ちゃんは幸せになるというそうだ。


      兎解体

      交通事故に遭った兎を、助からないとみて屠り、いただいた。とても美味しかった。


      槍作り 完成

      槍が出来上がりました。




      仕掛けました。


      鹿解体 続編

      鹿の解体をもう少し詳しく。


      暖炉ふたたび

      冬の仕事にあたってしばらくぶりに暖炉に火をいれる。煙突をすこし修正して、囲炉裏とはまたべつの、火を使って思うこと。

      * * * * * * * * *

      ぼちぼち書いていきます。今年もよろしく。


      仕事兼小旅行の道すがら見た富士の空
      | やまの彩(あや) | 06:20 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
      南からの うづ巻く風
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        台風も好き。
        自然現象はみんな好きで、ちから強かったり派手だったりするものは特に好きな、幼稚な精神の持ち主なもので・・・。

        今回の台風は大きさもさることながら、ずいぶんとゆっくり進む降水量の多い奴だった。旧暦を見れば七月の末、夏はまだ終わりじゃないぞよ〜、と、ものいいたげな巻き風だった気がする。

        うづ(渦)というのは不思議なもので、同じ力が働いていても回転していることで別種の力を生み出し(二次元から三次元へ)、新たなものを生み出す根源となっている。古へのひとびとはこの法則に敬意をはらい、そのちからを自分たちの味方へと使っていた。縄文土器やアイヌの模様や、螺旋を模様化した古代エジプトの図形なども、それらの伝承のながれを汲むものだ。
        ちなみに内家拳には八卦掌という拳法があって、円周上をぐるぐる回る独特の歩法をもちい、小さい力で大きいちからを操ることを練っていく。遡れば道教の行のひとつが源流といわれている。

        さて、そんなぐるぐるの台風がやってきて雨をふらす。ずいぶんとふらしてくれたので家の脇を流れている沢はいままで見たこともないほど水量が増えて、あ〜あ、野草がたくさん流されちゃった。食べられるのが幾つもあったのに。
        夜、そろそろ寝ようかと思っていたら、突然土間の中を水が流れ出した。
        もともと家の裏(北側)は水捌けがよくなくて、さらにここ数年手入れをしていなかったから雨どいが古くて利いていない。屋根が受けた雨水の半分が落ちてきては留まる状態になっていた。地面が吸うのもついに限界、堰を切って床下を縦断して土間に流れ出したというわけ。

        おお、やっぱり今回の台風は並みじゃないんだな、と感心しながら懐中電灯を頭につけて(頭につけたら懐中じゃないが)、裏の溝を掃除しに行った。
        溜まり水の中へ特大の長靴でじゃぽじゃぽ踏み込む。15センチくらいは溜まっていただろうか。手探りで溝口を塞いでいる枯葉等をどかし、さらに泥よけの蓋をはずして直に水が入るようにする。
        効果はてきめんで、土間に流れ込んでいる川はみるみる勢いをなくし、程なく止まった。
        今度からは台風が来るまえに掃除しておこう。

        下は翌日撮った脇の沢。更に下に普段の同じ場所を載せておく。




        これだけ水が増えても数日後には元に戻ることを知っているから特に心配はしない。自然の表情の変化を楽しむだけだ。
        そしてちょっと、屋根のある家にいることを感謝する。屋根ってすごいなぁ。


        ところが、うちの部落はこんな具合だけでのんびりしたものなのだけれども、出かけてみると、山の下では結構大騒ぎなようだ。増水の川が運んでくる土砂で水位が数メーターも上がって橋が通れないところがあったり、道路の上は砂利まじりの水浸し、アスファルト下の土が流されて道路が落ちているところもあった。
        テレビは見てないし、仕事などで忙しいかったから世間のニュースなど頓着していなかったけど、どうも一日くらいこの山村は陸の孤島になっていたようだ。

        道路というのは脆いものだ。道路のせいで川も暴れやすくなっているし、その他いろいろ野生のものは迷惑している。
        おやから貰った足を使って思いのままにどこへも行けることを目指して、今日も八卦掌で歩法を練るとしようか。
        | やまの彩(あや) | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        月見草と 欠けた満月
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          月がかわってしまったけれども、この前の月のことを書きます。

          今年八月おわりの満月は月食でした。雲の多い日だったのでその姿が見られるかどうかわからなかったけど、夕方、稲光の瞬く雲の中から赤い月が顕われました。
          空の半分は雲のない、星々の輝く夜空。なんだか贅沢な景色でした。

              

          「ネイティブ・ハート」の書き手Smiling Cloudさんがはじめてチェロキー族のメディスンマン轟く雷(ローリング・サンダー)にあったのは日食の日であった。友人と砂漠に“日食を見に行く旅”に出ていたところへ出逢った轟く雷は、日食を見ることは良くないことだ、といって、雲を呼び寄せて地上を日食の光から覆い護っていた。Smiling Cloudさんにとってそれは、“日食を見ない旅”となる本質をもっていた。

          という話を読んでいたから、月食の場合は如何なのだろうという思いもあったのだけれど、月好きのおれとしては見られる限り見てしまう。雷雲から昇りあがった月はやがて細い輝きのかたちを変え、白銀に照り映える真円をあらわにしていった。



          あそこに地球の影が映っている、と想うと不思議です。

          月は地球を見つづける。地球も月を見つづける。何千万年前から・・・。
          空の姿は一つとして同じときは無いけれど、幾億年もまえから同じめぐりで地球の尾根をいろどってきた。
          そのひかりを浴びて、観ていると、こころの底からおちついてクリアーなちからが湧いてくるのです。

          月のひかりは冷たいちからで過去のすべてを保存して、おれたち地上の生きているものに当たることで溶け出してくるようだ。
          長い時間を感じる。


          うちの前に伸びている月見草は今年も花をつけた。
          昼は小さくつぼんでいるこの花が、月の光を吸収して、つよい香りをただよわせる。みなが知らない秘密を知っているような花だ。



          次の日、明るくなったけど朝のうちはまだ咲いている花を撮ってみた。
          香りはいぜんとして濃く、ジャスミン茶にそっくりだ。



          | やまの彩(あや) | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          月と水 海の声
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            昨夕、月があんまり綺麗だったので、写真を撮って記事にアップしました。そして今日、リンク先のブログ「ネイティブ・ハート」の記事で、今回の満月は皆既月食であることを知りました。


            これは昨日、夕方の写真。

            そして今日の夕方。


            一日経って、より丸くなり、また月の出の時間がおそくなって周囲がより暗くなっています。


            月は女性、海(産み)も女性、と前から感じているけれど、以下に引用するヲシテ文献「ミカサフミ」でも同じように示唆しているのを読んで、とても気に入っています。

            あめつちいまた ならさるに
            あめのみおやの なすいきは
            きわなくうこく あもとかみ
            みつにあふらの うかむさま
            めくるうつほの そのなかに
            あめつちととく みはしらを
            めくりわかるる あわうひの
            あわはきよくて むねおかみ
            うひはにこりて みなめかみ
            おはかろきよく あめとなり
            めはおもりこる くにのたま
            うおせのむねは ひのわなる
            うめのみなもと つきとなる

            あもとあらわれ うみてのる
            うつろしなとに わをめくり
            ありさまなせは つきのみつ
            うみとたたえて ひにうめる
            うつほうこきて かせとなり
            かせほとなれは つちもまた
            みつはにとなる このいつつ
            ましわりなれる かんひとは
            あうわあらわる みなかぬし

            * * * * * * * * * *

            天地いまだ 成らざるに
            天の御親の 生す息は
            際なく動く あもとかみ
            水に脂の 浮かぶさま
            廻る空(うつほ)の その中に
            天地届く 御柱を
            廻り分かるる 泡泥(あわうひ)の
            泡は清くて むね男神
            泥は煮凝りて みな女神
            男は軽清く 天と成り
            女は重り凝る 地(くに)の球
            う男せのむねは 日の輪なる
            う女の源(皆元) 月となる
            あもと顕われ 生みて告る
            空ろ級長戸に 輪を廻り
            ありさま為せば 月の水(満つ)
            海(産み)と讃えて 日に生める
            空(うつほ)動きて 風となり
            風 火(ほ)となれば 地(つち)もまた
            水 土(はに)となる この五つ
            交わり(混じわり)なれる 彼ん一は
            あうわ現る みなかぬし

            ※ヲシテ文献は「ヲシテ(オシテ・ホツマ文字)」と呼ばれる表音文字によって表されているのですが、ここでは平仮名で表記し、*印以下は大口のまの理解・感性で漢字を当てました。また、読みやすくするために現代仮名遣いを使っています。
            ヲシテは、平仮名やアルファベットのような表意文字から生み出した表音文字ではなく、ことばの音をかたちにして表している真の表音文字です。

            文字という形にとらわれず、音に込めたことのはを、味わっていただけたらと思います。
            | やまの彩(あや) | 18:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            月齢十四日
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              うつろしなとに 輪を廻り
              ありさまなせば 月のみつ
              うみと讃えて 日に生める



              皆さんの家からも、みえますか?
              | やまの彩(あや) | 19:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              葉の輝き
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                久しぶりの快晴だ。
                曇ったり雨降りだったりの天候が続くのは必要だと思うしそれもまた彩だと思うけれど、行動するにはやっぱり晴れがいい。

                ひさかたぶりに縁側でたっぷりの陽光を吸い、からりとした風を受けながら食事していると、沢山の虫が目にとまる。雨天がつづいた後の晴天は、虫やけものたちもひときわ活動的になっているようだ。

                金木犀の葉も陽光を受けて光っている。澄んだ空気ゆえの光は、見ていて気持ちがいい。


                ところで天気のことに関しては陰暦の方がこの弓の島ではとおりがいいようで、空模様が気になったら旧暦を見ることにしている。それによれば今日は6月12日、梅雨明けはもうちょっと先かも知れない。
                | やまの彩(あや) | 05:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                若竹
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                  成長めざましいことのたとえに使われるように、竹の子はあっというまに天を突くように伸びる。見ていて気持ちがよいほどだ。今年は昨年よりも沢山はえて来たように感じる。


                  夕方、まだ柔らかい若竹をいろいろと撮影してみた。フラッシュの具合などで、こんな写真も撮れた。

                  | やまの彩(あや) | 08:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  陽射しのなか
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                    晴天がつづいている。四日前に降り積もった雪は、陽光の温かい光に日に日に溶かされていく。
                    雪の重さに下を向き、大魚を引く釣竿さながらにしなっていた細身の竹も、日光をいっぱいに浴びて立ち姿をとり戻した。


                    さいわいに出掛けなければならない用がなかったため、雪かきも急いでする必要はない。車に乗らないならば、新雪を踏み分ける二本の足と長靴だけで、雪かきなどなくても問題はない。

                    気温はますます低くなる一方なのだが、晴れている日はそれにもかかわらず暖かい。冬至を過ぎて、いくらかでも日が長くなっていることもあるのだろう。午後一時過ぎには太陽が山陰に入ってしまうのだが、それまでは縁側で日向ぼっこができるくらい、日射しはつよい。

                    ここはかなり標高のある処、もっと下の住居は山の谷間が深くなり、陽光の恵みがいちだんととぼしくなる。
                    山小師や他の地元の古老が語るところによると、山の上の部落の方が古いのだという。嶮しいこの山地での沢谷は危険も多く、人々の道は川沿いよりも山の上、尾根道や峠の方が多かったのだそうだ。

                    ひと昔前までは、情報は山を走っていたという。
                    硬い道を必要とする自動車というものの出現までは、確かにそうだったろう。

                    雲のない冬の青空は真空のように透っている。どこまでも見渡せそうだ。
                    ひとつの空の下にひろがっている大地。
                    あても予定もなく旅していた頃を思い出し、また、初めての景色の中へ歩いてゆきたくなる。けれども、いまここで暮らしていることも、はじめての風景の中での旅の一つなのかもしれない。

                    | やまの彩(あや) | 16:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    雪にとざされる家
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                      暖かく始まった冬も、本格的に寒くなった。昨年中はほんの少しだけ粉雪が散らついた程度だったが、今月六日、夜中から降りだしていたらしい雪が朝には一面の雪景色をつくっていた。
                      雪が降る日は暖かく感じる。晴天の日に比べて気温はいくらか高いようだ。
                      しかし、雪が積もれば薪や柴が湿気る心配や、もちろん柴刈りには行けず、さまざまな蓄えが気になるのは否めない。

                      部落では回り持ちで水道当番をしていて、山から引いて来ている水が問題なく貯水・濾過槽に届いているか数日おきに確認する。水源の沢が涸れ知らずなので天候に左右されることは滅多にないのだが、雪が降ったりするとやはり心配になって、ちょうど当番に当たっていたおれは、長靴で雪を踏み分けて貯水槽の場所へ向かう。
                      問題はない。この冬は降雨量があり、例年ならこの時期に涸れている小さな沢も、豊かな水量を保っている。ここら一帯の山々は水の気が多く、水不足の心配はしたことが無い。街から遠く離れて、植林がたいして及んでいないことも大きな理由だろう。

                      帰り道、部落の家々が雪に霞んでいる。
                      音を吸収するようにしずかに降りつづく雪。
                      一面を白く覆っていくその時間を見ていると、たとえようのない閉鎖感覚におそわれる。このまま降り積もる雪に埋まり、時間を感じない世界へ行くのではないか、そんな、本能による原始からの畏れにも似ている。

                      それは死を感じる時であり、
                      そしていまある生を知るときである。



                      死はいつも身近なところにいる。
                      生きることがあたりまえになっている錯覚とともに育てられたおれたち現代人は、生の側だけを見止めようと躍起になり、死をことさらに遠ざけようとする。光のみを見止めることを良しとして繰り返されるこの「歴史」は、陰の流れを見えなくする働きを背面の動力としてつねに造られてきた。

                      しかし死と向き合わずに、本当に生がわかるのか?
                      死は敵ではない。敵どころか、死が無ければ生も無い。

                      冬は死の季節だ。
                      ひとびとは仮りの死のなかでいままでの活動を巻き戻し、巣穴でねむる子狼のように母親を感じる。それは再生へと新たな種をはぐくむ、やすらかで静かな時だ。

                      閉ざされる感覚はこわい。だが、そのなかに感じられる、自分の外から絶えることなく流れ込むしづかでちからづよい熱は、大きなまるい母樹と繋がっている、見えない臍の緒なのだろう。

                      雪の日の恐怖は、晴れた日のまばゆい太陽が照りさえる快晴のなかには微塵も感じることはない。雪の一日だけにおとづれるこの身裡の畏怖の声に圧し負けることなく、陰(かげ)と陽(ひかり)の双方をみつめてゆきたい。
                      | やまの彩(あや) | 13:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |