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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

体のなかの野生
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    “ひとは、こんなに膨大な数の利器に頼らなくても、自分の体を使って、自然界と直接触れ合いながら恵みを得て生きていける。”
     この想いが山での暮らしをはじめることとなり、そしてこのブログを書くこととなりました。

     こんにちは、大口のまです。

     このブログをはじめてから月日が経ち、さまざまなこころみとともに生活を綴って来ました。やまの暮らし、自然界との結びをたしかめながら生きること。
     まだまだこころみていない事柄はたくさんあって、はじまったばかりだと思います。けれど、このこころみを通して、やまの恵みで生きることはできるんだ、人は、自然との結びを感じることができるんだ、ということは確かめられたと思っています。そしてそれを、このブログを読んでくださった方に伝えることが、できたと思います。
     やまで生きたいと願っているひとに、それは十分可能なんだよ、と知らせることは、このブログを書いた大きな目的です。ここに書いてきたことで、生き方の道しるべとなるものが少しでもあって、役立ててもらえれば嬉しく思います。


     おれは都会の真ん中で生まれ、育ちました。コンクリートに埋め尽くされた地で、自由に息のできない空気の中で育ちました。医者からは虚弱体質ぎみと言われたこともある都会育ちのおれが、やま(自然界)で生きたい、そう最初に念じていたのは5〜6歳のころだと思います。ものごころついたときから、すべての生き物、すべてのモノにこころがあり、それがなによりも親しみを感じる存在でした。

     いま、体は十代のころよりもますます動き、心とともにさらなる自由への広がりを感じています。


    * * * * * * * *

     今年に入ってから、大きな変化がありました。たくさんの出来事の中で、おれは過去を振り返りました。東京に住んでいたときの過去が、いまのおれに何度となく呼びかけてきました。いえ、いままでもそうだったのですが、それを聴くことがおれにはできずにいたのです。

     過去のすべてを、体は覚えています。生まれる前からの、胎児からのすべての記憶を、体はきちんともっています。

     辛い出来事に遭遇したとき、意識はそのできごとを閉め出そうとすることがあります。おれは、知らず知らずにそうして来ていました。相談できる相手が誰もいない子供のおれにとって、そうすることでしか自分をまもることができなかったからです。それは生き残るために必要なことだったと思います。
     けれどそれは、自分の体のことを無視することだったのです。おれをこの世界にとどまらせてくれている、たった一つのおれの体を、おれは永いこと無視して、耳を塞いできました。体と心(意識)は分離して、噛み合わない歯車のように、お互いを翻弄することから避けられなくなっていました。

     今年おれは、あるきっかけをもとに、体の声をしっかりと受けとめ始めました。たくさんの痛かったこと、辛かったこと、悲しかったことを一身に抱えたこの体が、おれを守ってくれていたことに気付きました。体がその痛みを引き受けておれの心を守ってくれなければ、おれはまともでいられなかったと思います。
     いまのおれは、逃げることなく、あの頃の痛みを受け止めることができるようになりました。体に感謝しつつ、痛みのひとつひとつを受け止め、体と心で共有しようとしました。
     そのたびにおれは、軽く、楽になっていくのを感じます。
     分離していた体との結びを取り戻していくこと。
     この体は地球が生み出した生物のひとつ、おれが地球からかりている、自然そのものなんです。

     体のなかに野生が生きています。

     この野生の生き物は、つよい生命力をもっていて、それを発揮することを楽しみながら、おれたちを生かそうとしてくれています。たとえ辛すぎる出来事から心が閉ざされてしまったとしても、体はいつも耐え続け、心の目が体に向かうのを待ち続けています。


     やまで暮らし自然界にできるだけ近づいていく生活を求めるなかで、いまのおれにとって、もっと必要なことが、自分の体の野生を本当の自分のものにすることだ、と感じています。
     いまはこのこと、自分の体をよりよく、より楽しく使える・生きられるようにしていくことに、全力を注ごうと思います。四十年近くを生きることをともにしてくれているこの体の、何一つも無視しないで受け止めて、きちんとひとつになって、ひとり立ちできるようになることがまず必要のようなのです。


     そんなわけで、いままでのように暮らしのなかでのことを書き綴ることは、あまりできなくなりました。
     体のこと、体を通して自然界を知ることについて、そのうち新しくブログを書きはじめるかもしれません。その時また、読んでいただけたら幸いです。

     それではまた、お目にかかりましょう。


     どこに生まれ、どんな環境に育とうとも、いのちはいのちのちからで生きています。
     あなたの体にも、野楽は生きている。
    | 遠吠えと谺 | 22:30 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
    タシナ・ワンブリさん 
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      夢をみた。
      学ぶことに熱心な少女に、やさしき導き手の母のような女、少女が高いところから落ちそうな危険に遭ったとき、導き手の女が手をのばして少女の手をとった。古い梁と柱でできた、大きな木の家。
      母のような手は少女の手をとったとき、同時にいまは見えないたくさんの手を、未来へと繋いでいった。

      目が覚めて、母のような導き手の女はタシナ・ワンブリさんだと解った。
      会いに行きたいと願いながらも時が合わず、数少い文のやりとりですごしているここ数年。

      タシナさんのことばを、たくさんの人に聴いて貰いたい。

      タシナ・ワンブリさん 記 「解っているのは そのくらいだけ」

      「メディスンホイール(聖なる輪)」
      「鷲の羽衣の女」

      広大なるホームページ「神を待ちのぞむ」のなかの「天空の果実」等で、タシナさんのことばを紹介しています(当HPではおもにエレーヌ・アイアンクラウドの名で記されています)。

      ※製作者の方の許可を得て、ホームページ神を待ちのぞむをリンクに加えました。地球に生きるいのちとして、こころからのことばたちが綴られ、インディアンやアイヌ等先住民のことば、世界観も紹介してくれているページです。


      ※関連記事
      牙 狼と二本足   (2009.07.10)
      槍の柄作り〜野生の狩人をめざして   (2007.11.16)


      | 遠吠えと谺 | 04:59 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
      牙 狼と二本足
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        狼の牙がやってきた。



        出逢いの出逢い、二度きり会ったひととの約束で、その牙はおれのもとに送られてきた。
        おれはかれに角と爪をわたそう。おれのナイフによって息をひきとった鹿の爪、やまやまを駆け、草の匂いをたっぷりと吸った蹄。まだ成長しきらない子鹿の角。枝分かれしていない。おれが初めて解体に居合わせたときの鹿、おれがもらわなければ捨てられていた角。

        狼はおれにとって特別な存在だ。
        狼に導かれて、この道を生きている。

        こう書くと、誤解もあるかも知れない。
        おれがこの眼に生きた狼を見たのは檻か金網ごし。ある国の首都にある動物パーク、犬たちが囲われて大勢わめく中で、一頭の狼の眼だけが輝いていた。どの犬とも違うエネルギーに充ちた眼。

        しかしそれよりずっと以前からおれのこころに狼は棲んでいる。狼の足跡をたどりたくて、やまやまを裸足で歩いた。

        かつてこの弓の島にもいた狼。

        山の使いとして、ひとびとは祀り、尊んでいた。
        すべての生きものがひとを導く神々のひとつ。自然を師として、ひとは大地に生きていた。
        狼は一番ひとに近い導き手だった。
        狩りをし、群れをなし、仲間とともに子どもたちを育てた。
        歌い、遊び、笑い。
        ひとびとは狼とともに生き、狼を手本に狩りのことわりを知った。

        狩り―――大地のカラダを借り、ちからを借り、かりそめの時を精一杯いきること。

        大地から離反した時、人にとって狼は敵となった。狼は大地のもの、決して人に従わない野性の民だから。


        自分自身をいきることをせず、従属していきることは、狼にとって死ぬこと。かつておれはそれを経験し、いき続いていた時、二度と従属しないことを誓った。
        それは狼の道だった。

        文章と写真と映像で知った狼の姿は、おれにとってあまりにもあたりまえの姿だった。これが、生きるということだ・・・!
        歩む道がはっきりと見えたころ、タシナさんに逢った。
        鹿の爪を地に置いて中心、いあわせたすべてのひとは輪になって座った。
        タシナさんの語る言葉は言葉を超えて、声にならぬ話と世界が見えた。
        このひとはおれと同じ眼で世界を見ている。そう思った。


        届いた牙は子狼の牙。まだ肉を切るギザギザが育ちきっていない。
        如何にして人間に出遭ってしまったのか。骨になり、この牙を抜かれたか。
        まだいききっていなかったろうに。

        おれはこの牙を頸に懸け、これからをいきる。

        タシナ・ワンブリさん 記 「胆汁」
              同じく     「同じ二本足――くま殺しについて」
        鈴木 敦子さん記 シャイアンに語り継がれているオオカミの話し(タシナ・ワンブリさん語り

        | 遠吠えと谺 | 15:26 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
        Mitsuyoshi追悼コンサート  デジタルホーンのこだま
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          先週、品田光美さんがこの世に別れを告げて旅立った。
          “音色の指”としてこのブログでも登場したことがある、デジタルホーンの演奏者だ(「“縄文(もよう)のある暮らし”、初日」)。

          前橋弁天村の村長さんが中心となって追悼コンサートが催される。
          『 場所 赤城山頂・あかぎ広場ステージ
            時 09/6/21(日) 12:00〜18:00
             夏至の日没まで歌い、奏で、太鼓しましょう 』


          かれとの出会いがどんなだったのか、覚えていない。二回目に会った時は一日をともに過ごして御巣鷹の尾根へ登っていた。それほど自然な出会いだったのだと思う。
          展示会を催すと、たびたび現れては演奏してくれた。
          苦手な街中での仕事に辟易しているおれを誘いだして、一緒に飲みにいき、そのままかれのアパートに泊まった。モンゴルのどぶろく、初めて味わったGin、美味かった。

          一昨年の夏、例によって突然訊ねてきたかれの雰囲気が何か違い、明るさをましたようなので訊くと、勤めていたトラック仕事を辞めた、とのことだった。これからは演奏活動に集中して過ごしていくというかれの気構えが素晴しく、思わず拍手した。その日は我が家に泊まり翌朝、「来月広島に行くんだ」と語っていた。
          次に会った時、かれの奏でる曲はオリジナル曲に変わっていた。被爆地を廻る旅のなかで突然曲が降りてきて、以来毎日曲が生まれてくるのだという。
          カバー演奏ばかりだったことを内心淋しいと思っていたおれは、今後のかれの演奏がますます楽しみになっていた。

          あちこちに演奏に行き、コンサートも催し、充実した忙しい時を過ごしていたのだと思う。うちはうちで忙しく、しばらく会う機がおとづれない最近だった。
          かれの最期の日ははっきりしない。湖に身を捧げたのが何時だったのか。プロのドライバーで確かな技術を持ち、なにより優しさの込もった安全運転だったかれが何故そんなことになったのか、わからない。
          発見された日の前日、かれはうちをたづねて来ていた。
          神出鬼没のかれは留守中のうちの玄関にメッセージを残していくことがよくあり、この日も帰宅したおれたちが目にしたのは、希少品と思われる箱入りのウイスキーと、かれの名刺だった。
          その名刺ははじめてみるもので、以前よりも生命を謳歌している活気がひしひしと伝わってきた。

          その日 逢う運命でなかったことが悔しい。

          いつも独特の笑み見せていた、やさしさの奥にかかえているなにかとても大きなもの、それをしっかりと受け止めてたちむかっているようなポジティブなエネルギー、
          深みのある落ち着いた声、洒落ていながら派手でない帽子と装い、
          野生のいきものの波動、自然界の生死のことわりにとけこんでいくように、かれのまわりにはいろんな動物があらわれ、それをただ受け止める、

          すぺてもう見ることはできないわけか。






          葬儀と納骨が終わっての帰り路、おかマタギと二人もう一度事故現場に立った。
          雲が壮厳と流れる切れ間に真円の、月が、輝いていた。
          月光は湖面を照らし、それをはじきかえす水面(みなも)が
          たくさんの輝きをつくっていた。
          と、
          一条の光の柱が天に向けて伸びていた。
          湖と山々を見下ろすように、その光は大空を駈っていた。

                    *     

          弁天村村長の述べた弔辞で聞いた、かれが七夕の短冊に詠んだという詩を紹介する。

            七夕の 平和の一夜 永遠に
              


          youtube 宮崎駿映画メドレー/ デジタルホーン MITSUYOSHI
          youtube ダニーボーイ/デジタルホーン MITSUYOSHI
          youtube デジタルホーン/Mitsuyoshi 伝々ステーション in きしん

          品田さん逝去記事 読売新聞6月6日
               同     東京新聞6月7日

          ※新聞のページは時間が経過すれば無くなることもあると思います。
          | 遠吠えと谺 | 10:08 | comments(12) | trackbacks(0) | - | - |
          タシュンカ・ウィトコのことば
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             “狂った新しい道” は亀の大陸の縄文人だ。かれは家族・部族を守るために短い生涯を生き抜いた、自由を愛する戦士だった。

             かれの部族・ラコタの言葉で 「タシュンカ・ウィトコ」 というその名の意味は、直訳すると「狂った馬」となる。 馬はもともと亀の大陸に居なかった生きもので、 白い人の家畜として連れられたものたちが再び野生の大地へと駆け戻って生きるなかで、ラコタやツィスツィスタス等の部族―――平原インディアンと出逢った。誇り高き平原の民はこのはじめてみる足の速い生きものに「不思議な犬(特別なちからをもった犬)」という名を与えた。馬によって平原での暮らしを開始した部族にとって、馬は新しい道の象徴だった。
             タシュンカ・ウィトコの名は父から息子へと受け継がれたものだという。“狂う”という言葉はやまとことばに於いても、尋常でない勢い、人知れぬほどのもの、常軌を逸するほど込められた想い=ちからをあらわしている。タシュンカ・ウィトコ、猛ける馬、と訳してもよかったかもしれない。

             亀の大陸に 「目に見えるものにしか価値を見いださない法」 が隈なく拡げられようとした時代、最後の攻略地がインディアンたちの大平原だった。先祖から受け継ぐ伝統の生き方(それは弓の島の縄文文化と同じもの)を武力策略で破壊してくるその「法」に、大勢の戦士たちがあらがい、死を以ってしてもかれらに「法」を圧し付けることはできなかった。

             “狂った新しい道”の遺したことばが、リンク先のブログ「Native Heart」の記事に掲載された。
            『 守られなかった約束、身勝手な行い、ひとびとの離散・・・いま世界はそうしたものであふれている。 世界は再び光を待ち望んでいる。わたしの目には見える。あらゆる肌の色の人々が、聖なる樹のもとに集い、全地球がいま一度ひとつの輪につながる7世代後の時代が。その日が訪れたあかつきには、人びとのあいだにラコタの者たちがいるだろう。 その者たちは、すべての生きとし生けるものの間を ひとつにまとめあげる理解と知識を運んでいる。若い白人たちがそうしたわが一族の者たちのところを訪れてこの知恵を求めるだろう。わたしは、全世界を写し出すあなたの瞳の内側に宿る
            光に、敬意をあらわそう。あなたがあなたの内側にある世界の中心にいて、わたしがわたしの内側にある同じ場所にいるなら、われわれはひとつになれるから。 』
               ( 「Native Heart」9月27日の記事から。
                  訳したのはブログの管理・製作者
                   Kitayama "Smiling Cloud" Kohei  )

             聖なるパイプを交わし、宇宙と自分を結ぶタバコの煙を吸いながら、このことばは“狂った新しい道”の口から生まれたという。かれが殺される4日前のことだった。

             明日死を迎えるかもしれないという戦線の中で、かれの
            こころははるか未来まで、時空間を視とおし、静かだったのだろう。大地というおおきな樹の上に生まれ、そこへ還ってゆく自分の道を たしかに知っていたのだと思う。
             人として死を迎えても、その人生は生きつづける。“狂った新しい道”が守ろうとしたものはいまも生きている。
             同じ大地の上に生きているものとして、おれはかれの魂を尊び、学んでゆく。弓の島のインディアン、縄文の末裔として、聖なる樹をかこむ やま(大地)のひとでありたい。

             1877年9月5日、“狂った新しい道”は殺された。かれが地上で過ごした季節は三十数回を数えていた。



            ※「Native Heart」内、タシュンカ・ウィトコ――“狂った新しい道”関連の記事を以下に挙げます。ただし、かれの名まえの表記をここでは “狂った新しい道” と差し替えました。
                 “狂った新しい道”が死んだ日
                 “狂った新しい道”を連れ戻しに
                 イン・ザ・スピリット・オブ・“狂った新しい道”
                 チーフ “狂った新しい道”のことを思いながら
            | 遠吠えと谺 | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            “縄文(もよう)のある暮らし”、初日
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              榛東村耳飾り館での展示がはじまりました。






              初日から、お知らせを見て来てくださった方々と楽しく話ができ、またお逢いするのは初めてでも関心を持って展示品を見、話がはずんだお客さんもいました。




              前回・前々回とお出でくださった“木彫り”さん、今回は東北の珍品と珍話をお土産に、ありがとうございました。

              “フクローさん”ご夫婦、お久しぶりでした。自作のランプシェードの写真、梟の顔と雰囲気が作り手にそっくりでしたね。

              自転車での遠出中に立ち寄ってくれた“二つの輪の走り”さん、帰りは降られなかったかな、ブログもご覧になっていただけてるでしょうか。またいろいろとお話しできたら幸いです。

              そしていつも予告無く現れるデジタル・ホーンの演奏家“音色の指”、今日は珍しく手指の爪が素であったことに気づいて指摘すると、いたづらっ子のように笑って伸ばした下駄履きの足の爪が美事にネイルされていて笑いました。この人の下駄姿は初めて見たな〜。
              これまではカバーばかりだった彼の曲は、昨年広島を訪ねて以来いくらでも降りてくるようになったというオリジナル曲に変わってて、この日も耳飾り館の前で、悠々と奏でてくれました。

              本の形のペンダント。彼自身をデフォルメした彫刻は知り合いの木工家の作で、いつも頸に下げています。

              展示会を催すのは労力も要り、なにより自分の未熟さをさらけ出す忸怩たる気持ちに、焦慮と少しばかりの鬱とが切り離せません。でも、見に来てくれたひとたちの笑顔や話をもらうと、次はどんな展示にしようかと新たなイメージに思いを馳せるのです。

              ※榛東村耳飾り館がこのほどブログ・ホームページを開設しました。
              榛東村耳飾り館 トップ
              榛東村耳飾り館 ブログ
              また、「縄文(もよう)のある暮らし」展等の写真も掲載して頂いています。
              榛東村耳飾り館 フォト

              ホームページトップは当ブログからのリンクの欄にも加えました。ぜひ、ご覧ください。
              2008.7.28 大口のま
              | 遠吠えと谺 | 16:09 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
              縄文(もよう)のある暮らし
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                かつてひとびとの暮らしは、たくさんの模様にかこまれていました。――

                このたび、茅野縄文遺跡の展示や耳飾り作り・アンギン編み体験等をやっている「榛東村耳飾り館」で、展示をします。
                テーマは “縄文(もよう)のある暮らし”。

                このブログで記事にしている、模様のもたらすちから、縄文人を目指しての狩猟採集の生活を紹介できればと思っています。

                7月12日(土)〜27日(日)
                榛東村耳飾り館内 特別展示室にて
                住所 : 北群馬郡榛東村大字山子田1912
                電話 : 0279−54−1133

                山の生活に必要な道具、中国南部の少数民族の刺繍・民芸品、アイヌや南北アメリカインディアンその他民族の伝統的生活・文化関係の書籍(主に写真つき)、手づくり陶器、を展示します。囲炉裏や鹿解体時の写真なども展示予定。

                土日はできるだけ館にいるようにして、ナイフの柄や槍の鞘など作ったりしようと思っています。
                また、土器作り指導も予定しています(19日(土)・20日(日)の2日間。詳細は下の画像をご覧ください)。大口のま自身は土偶作りに初めてこころみるつもりです。

                まだまだ始めたばかりのやま(縄文)の暮らしなのでどれほど見ごたえがあるかわかりませんが、館内展示の縄文人たちの遺した物を見たりしながら、この弓の島のかつての姿、大自然とともに暮す生活について、話したり想ったりできたらいいなと思います。

                是非、お越しください。

                ※関連記事
                縄文の装飾 耳飾り館 (2007.04.24)
                民族衣装 (2006.10.18)
                模様 (2006.04.28)
                マキリを手にする 模様を感じる (2007.08.21)


                ↑大きい画像は、ここ縄文(もよう)のある暮らしでご覧ください。

                ※大きい画像内での「土器作りきょうしつ」のところで、「参加費300円」の記入が洩れていました。お詫びし、ご了承をお願いいたします。

                ※榛東村耳飾り館がこのほどブログ・ホームページを開設しました。
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                2008.7.28 大口のま
                | 遠吠えと谺 | 11:24 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                じてんしゃ図書館
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                  きのう、自転車に図書館を積んで旅している青年に出逢った。その名はじてんしゃ図書館。

                  着流しを粋に端折って(はしょって)むき出す四肢は逞しく、ペダルを漕ぐ足には歯のついていない下駄、前輪脇に提げてある三度笠が格好よかった。
                  そして後ろに牽く小さなリヤカーに設置してある「水車」は、旅をしていくうちに思いついて作ったという本の観覧車だった。水車の羽根板の部分が本を入れる箱となってぶら下がっており、ガタガタという木製のなつかしい音をたてて回りながら本を選んでゆける。

                  どこから旅をしているのか聞くと、名古屋からだと答えた。北は北海道、その他各県の図書館を廻って、全市町村自治区をおとづれるつもりだと言った。現在は群馬の下仁田を走る。
                  この旅をはじめたきっかけとなったのはこれを読んだからなんです、と、『百年の愚行』という本を取り出してくれた。20世紀のあいだに人間が造り出して来たあまたの害悪、21世紀も同じことを繰り返す百年にしてはいけないと、かれは自分にできることを考え、実行している。

                  落ち着いて静かな声、しかしはっきりとしたちから強いことばづかい、野生のものがもつ、活力の充ちた澄んだ眼をしていた。

                  最初にかれを見たとき、大荷物を積んで自転車を漕ぐ姿が、北京の郊外でよく見ていた映像と重なって目を引いたのだけど、三度笠が視界にはいった瞬間「旅人だ」と直感して声をかけたくなったのだ。
                  かれは自分の信じるものを追って、行をしているようにも感じられる。
                  みなさんの街にもかれはおとづれるでしょう。そのときはぜひとも声をかけて、そして借りる本をさがしてみてください。

                  名刺を渡して、かれの連絡先を訊くと、メールできるホームページをもっていることを教えてくれた。
                  じてんしゃ図書館

                  おれの借りた本はこれ。





                  この図書館の貸し出し期間は無期限。読み終えた、と思ったら家族や友人や読んでもらいたいだれかにこの本を渡す。それがこの本の返却方法だ。

                  貸し出しのとき、ちょっと待ってください、と言って最後のページにこれを書いてくれた。




                  おれも葉っぱを一枚書いてこの本をかえします。
                  たくさんの葉っぱが書かれた本が、あなたの手にもとどきますように。
                  | 遠吠えと谺 | 13:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  八千年前弓の島
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                    「書いているひと 大口のま」のページで、縄文時代人の想像図を理想的自画像といったようなこころもちで載せています。四年ほど前に落書き気分で描いて、ついでに当時の様子を思いつくままつらつらと周囲に書きました。
                    先日、この絵の周りの文章を読みたいけれど字が小さくて読むことが出来ないという読者の方の意見がありました。スキャンしたままの大きい画像をこのブログに張ることが技術的にすぐにはできないので、ひとまず文章だけを記事の活字にすることにしました。。
                    この四年の間にも、またいろいろ考えたり知ったりしていることがあって、いま想いえがけばもっと詳しく縄文人のことを書けると思うのですが、ここではこの絵を描いたその時のままの言葉を掲載します。


                    縄文時代人(八千年前〜六千年前)想像図
                    顔つきは彫りが深く二重瞼(ふたえまぶた)。もともと毛深いが髪や髭(ひげ)など長く豊かなほど逞しく美しいという美感がある(アイヌ女性の口辺の入れ墨は髭のかわりかもしれない)。髪型は様ざまで決まりはないが、身内が死にでもしない限りまず切ることはない。鉢巻も実用・装飾ともによく用い、男女問わず耳飾りも一般的。概して狩猟民族はお洒落である。
                    着物は褌(ふんどし)を基本としてあとは必要に応じて各部位につける。図の男は狩りの最中なので山林を馳せるのに利した軽装で、主に藪に引っかかれない事を目的として装っている。間接部分にスキマの開いた服ならば、湿気の多い日本でも革服が着られたであろう。他に木の皮の繊維を使って麻布のような衣もあったが、獣皮より手に入りやすかったとは思えない。
                    もともと魔よけの意味で服にはかならず模様を入れた。貼りつけたもの、染めたもの、刺繍など実に多様な方法で女たちは腕をふるった。この時代、男も女も自分の才能や力量を発揮し、工夫を凝らすということが一番の楽しみであった。
                    弓はごく単純なもの。山中ですぐ作れるもの、修理できるもの。いっぽう矢はなかなか手間をかけている。とくに矢尻は石製、骨製、木製各種あるが、どれも大切にし、一度使った後回収して何度でも使った。矢尻か、筈(はず:弓の弦に引っかける部分)に個人のシルシを彫ってあり、仕止めた者が誰かわかるようになっている。靫(ゆぎ:矢を入れ、背・腰に背負うもの)もやはり革製であろう。
                    男は出かけるとき必ず山刀を提げた。もちろん金属ではなく骨・石等である。獲物をさばく他に鉈の役割もあり、彫刻にも使った。
                    男は狩りをよくしたけれど、その他山の仕事はなんでもした。原始農業(自分の利となる草や木の種・苗をテキトーに蒔いといて、たまに見に行って収穫が有れば喜び、無くてもそれがふつうというアテにしない農業)、材木さがし、獣や虫たちの動向から未来の予測等。他部族とのなわばり争いもあったが、殺しを目的とするものではないため武力によるものと協議によるものと半々であった。武力といっても血を流さなくて済むよう、一定の掟(ルール)を守った力試し的なものも多かったようである。協議をするときは双方が納得いくまで一週間でも二週間でも続けた。戦士としての評価は肉体能力のみならず、優れた弁舌、見とおしの広さ、記憶力、おもいやり等内面人格にも求められた。
                    とは言え、多数の死者を出す戦争もあるにはあった。しかし終結後は敵方の死者・生者とも尊び敬うことが人の道と考えられた。
                    女は野草とり、果実さがしの他、やはり家の仕事が多かった。衣住、そして食の加工と、女の果たす役割は大きい。また噂話も大事な仕事である。特に子供の婚姻の成否は母・婆、その他家族の女たちの意見に懸かっていたといえる。平原インディアンほどではないにしろ、男の死亡率はずっと高かったから、一族の命運に深く、長くかかわるのはやはり女たちであったろう。狩人や戦士としての技術は父から子へと受け継がれても、一族としての伝統や魂はものごころとともに女から子・孫へとつたわった。
                    医療の面でも女たちの方が活躍したと思われる。外科内科はもちろん精神衛生面も、智に長けた経験豊かな女の存否で邑(むら)全体に大きく関わったであろう。女は人の姿をした大地なわけで、心身ともに生命にかかわることは女の方がはるかにちからをもっている。

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                    | 遠吠えと谺 | 09:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    聖なる木にかかる夢
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                      このブログが始まってからずっと訪問してくださっているselfish_brainさんからのブロガーインタビューを受けて、あらためて自分の追っているテーマ、これまでに至る気持ちや想念、未来に絵がいている夢を、顧みることとなりました。
                      ふりかえってみて、こけの一念でしかなかった幻想も、自分の足で確実に踏みしめている実感を覚えますし、実践することをこうやって公開することで新たな出逢いがあり、また一歩夢に近づいたような気がしています。
                      selfish_brainさんことmistyBさんにあらためて、こころからお礼を申し上げます。
                      ナチュラル http://natural_beauty.arekao.jp
                      野楽生へのインタビュー記事1/3
                      野楽生へのインタビュー記事2/3
                      野楽生へのインタビュー記事3/3

                      ※『ナチュラル』は07年12月27日をもって
                      『nature beyond(http://xenovia.exblog.jp) 』
                      へ移転しました。過去の記事もこちらに移転していますので、あらためてリンクを貼っておきます。
                                        08年はじめ 大口のま
                      21世紀の縄文人 「野楽生れば」 1/3
                      21世紀の縄文人 「野楽生れば」 2/3
                      21世紀の縄文人 「野楽生れば」 3/3

                       >>○=++=◎<<    >>●=++=○<<

                      輪をつくろう
                      待ちつづけていた輪を
                      いにしへの長(おさ)たちが
                      夢みていた輪を

                      聖なる木を真ん中に
                      かつて手をつないでいたものたちと

                      足ぶみと 太鼓の音が一致する
                      ひとつの輪は ふとまにを生みだす
                      この大地のちからをかりて
                      このひとときの夢を生きよう
                      | 遠吠えと谺 | 17:03 | comments(2) | trackbacks(3) | - | - |