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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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牙 狼と二本足
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    狼の牙がやってきた。



    出逢いの出逢い、二度きり会ったひととの約束で、その牙はおれのもとに送られてきた。
    おれはかれに角と爪をわたそう。おれのナイフによって息をひきとった鹿の爪、やまやまを駆け、草の匂いをたっぷりと吸った蹄。まだ成長しきらない子鹿の角。枝分かれしていない。おれが初めて解体に居合わせたときの鹿、おれがもらわなければ捨てられていた角。

    狼はおれにとって特別な存在だ。
    狼に導かれて、この道を生きている。

    こう書くと、誤解もあるかも知れない。
    おれがこの眼に生きた狼を見たのは檻か金網ごし。ある国の首都にある動物パーク、犬たちが囲われて大勢わめく中で、一頭の狼の眼だけが輝いていた。どの犬とも違うエネルギーに充ちた眼。

    しかしそれよりずっと以前からおれのこころに狼は棲んでいる。狼の足跡をたどりたくて、やまやまを裸足で歩いた。

    かつてこの弓の島にもいた狼。

    山の使いとして、ひとびとは祀り、尊んでいた。
    すべての生きものがひとを導く神々のひとつ。自然を師として、ひとは大地に生きていた。
    狼は一番ひとに近い導き手だった。
    狩りをし、群れをなし、仲間とともに子どもたちを育てた。
    歌い、遊び、笑い。
    ひとびとは狼とともに生き、狼を手本に狩りのことわりを知った。

    狩り―――大地のカラダを借り、ちからを借り、かりそめの時を精一杯いきること。

    大地から離反した時、人にとって狼は敵となった。狼は大地のもの、決して人に従わない野性の民だから。


    自分自身をいきることをせず、従属していきることは、狼にとって死ぬこと。かつておれはそれを経験し、いき続いていた時、二度と従属しないことを誓った。
    それは狼の道だった。

    文章と写真と映像で知った狼の姿は、おれにとってあまりにもあたりまえの姿だった。これが、生きるということだ・・・!
    歩む道がはっきりと見えたころ、タシナさんに逢った。
    鹿の爪を地に置いて中心、いあわせたすべてのひとは輪になって座った。
    タシナさんの語る言葉は言葉を超えて、声にならぬ話と世界が見えた。
    このひとはおれと同じ眼で世界を見ている。そう思った。


    届いた牙は子狼の牙。まだ肉を切るギザギザが育ちきっていない。
    如何にして人間に出遭ってしまったのか。骨になり、この牙を抜かれたか。
    まだいききっていなかったろうに。

    おれはこの牙を頸に懸け、これからをいきる。

    タシナ・ワンブリさん 記 「胆汁」
          同じく     「同じ二本足――くま殺しについて」
    鈴木 敦子さん記 シャイアンに語り継がれているオオカミの話し(タシナ・ワンブリさん語り

    | 遠吠えと谺 | 15:26 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    大口のまさん、こんばんは。
    こちらにお邪魔するのも随分と久しぶりのことです。

    以下、私事になりますが――もう夏なので、家の周囲ではいろいろな生き物が見られます。
    最近はハチとナメクジと蚊が多くて……彼らは人間にとっては「害虫」であり、園芸店や薬局などでは、彼らを駆除するための薬品がたくさん置かれています。正直わたしも、彼らのことが好きではありません。
    また、山に行ったときには、「熊出没注意」などという立て札をよく見ますが、こういうのを見ると恐怖を感じます。

    でも、そんなわたしでも、長野の田舎にいたときは、もう少し人間以外の生き物と仲良くしていたはずなんだけどな。都会に出てきてから随分変わりました。
    やっぱり人間は環境によって生き方・考え方も左右されるんですね。

    こういう気持ちは、何より人間そのものを不幸にしていることも分かってはいるんですが……。
    わたしも含め、人間は一日も早く、自然との絆を取り戻さないといけませんね。

    「大地から離反した時、人にとって狼は敵となった。」――このくだりを拝読して、以上のようなことを感じた次第です。
    | alphecca | 2009/07/11 8:24 PM |

    alpheccaさん、コメントありがとうございます。

    人も野生生物も、どんな生きものでも、生まれて間もない頃は他種族に興味をもって近づいていきますね。楽しそうに。
    害敵なんていないのが、ほんらいの生きものの世間なんだと思います。
    東京区民として生まれたおれも、揚羽の幼虫や蛙、蛇でも団子虫でも近づいていって好きでした。

    どの生物は害獣でどの生物は危険だ、とは、すべて刷り込まれた認識のように思います。

    でも、熊や雀蜂や真虫(まむし)に恐怖を感じるのは、おかしいことではないんです。例によってタシナさんの言葉で恐縮ですが、「熊や獣、夜や森、自然界が恐くっていいんです。おそれを抱いて、あたりまえなんです。」って。
    畏れることは嫌うことではありませんし、敬いへ通じるものなんですね、きっと。

    頂点を人間としてほかの生きものをさげすむ認識を植えつけられてしまうと「敬い」がわからなくなりますから、おそれながら好いていること―――敬っている気持ちに自分で気づかなくなるのかも知れません。そして嫌っていないのに嫌っているかのように考えてしまって、こころは孤立していってしまうのかな。

    歴史の中で人間が狼にとってきた態度を見ていると、まさしくそんなことを感じます。狼は人にもっとも近い存在ですから、生きものをさげすみ始めるとひたすら狼を忌み嫌って悪者に仕立て上げて、殺戮していくんです。その執拗さは近親増悪のようです。それでいながら「人間」の側について生きている犬のことを誇りなき者として蔑んでいる。古今東西「犬」をつけた言葉は皆蔑視が込もっています。
    本当は誇り高くを理想としているのに、「さげすむ」という心を植えつけられてしまうと何が誇りか見出せなくなってしまうのでしょう。自然そのものが誇りなのですから。

    人は自分自身の生きかたを、身近な生きものの姿を鏡として見い出します。鏡なんです、自然界は。

    自然のもの野生のものに対して恐怖を感じたとき、こころをしずめてうちがわを見てみるといいのだと思います。熊のことをどれくらい知っていますか? まむしのこと、雀蜂のこと、狼のことを。
    人が造り出した虚像ではなくて、本当に自分のからだとこころで知ったものが、その姿なんです。しずまったこころの水面にゆがむことなく映った相手の姿なんです。

    おれもまだ熊に逢っていません。狼にも。
    逢ったときこころしずかにいられることが、自然との絆を取り戻していることなのかもしれませんね。
    | 大口のま | 2009/07/13 12:16 AM |

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