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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

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食と体 断食経験記
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     思うところあって、断食をした。健康や療治を目的としたものではないけれど、あらたに体のことを観察できた。
     いままでも断食を試みたことはある。が、いづれも一日以上もたずに挫折していたので、数日間のちゃんとした断食は今回がはじめてだ。断食中も普段どおり生活をし、薪割りや、仕事もちょうど体力を使うものが多かった。

     一日目の夕方から側頭部が痛み、体のあちこちに鈍い痛み、倦怠感がつきまとう。二日目の午前中が一番つらかった。しかし正午からはすっきりとした感じとなり、わずかな頭痛とふくらはぎの鈍痛以外、普段と異なることはなくなった。 喉が頻繁に渇き、普段の二・三倍の水分をとっていたと思う。
     三日目からは、頭では「食べたい」と思っていても、体が食を欲していないように感じた。運動すると心拍が普段より速くなりやすく、ゆっくりな無理のない動きをとるように気をつける。水分摂取も前日までよりは減り、普段の一・五倍くらいだろうか。
     そして夜、なかなか寝付けず、眠りも非常に浅くなった。これは、この後 断食終了まで続くことになる。
     四日目からは無理のない動きにだいぶ馴れ、フラつくことや立眩みもしないで普段どおり動くことがほぼできた。ただ、体の疲れには敏感なようで、いつもなら多少疲れても動き続けるところを、わずかでも休憩を入れながら行動していた。
     この日から寒さに敏感になる。というか、体の芯が冷えているという感じ。代謝が遅くなったためだろう。

     七日目と八日目はかなりきつくなり、動くことも努力が要り、寒さもかなりこたえた。また、胃や腸の辺りが時々疼く。そして口内上部が痛み、風邪のときのように若干腫れてきた。
     頭では食べたいと思うものの身体的には食欲がまったく沸かない。疲労困憊したとき食欲がなくなるのと同じだ。

     八日間で断食を終え、九日目から食事を摂りはじめると、これらの症状はぴたりと収まった。ただし、口内上部の腫れだけはその後も五日間つづいた。風邪等、断食とは無関係のものだったのだろうか?

     動きや反射速度がゆっくりとなる(せざるをえない)ことは、自分のペースでできる仕事柄、調整が利くけれど、寒さを感じるのはかなりつらかった。一方で、毎年苦労するしもやけがまったくなかったのは助かった。水分を多量にとっていたので、血の巡りがよかったのだろう。八日間、便通はまったく無かった。


     断食を行って、ひとは、数日食べなくとも本当に平気だということがわかった。書物等で確信していたし、またおかマタギが過去に一週間位断食したことがあると聞いてもいたけれど、実際に自分の体で確かめることができた。
     人間は肉食動物だとおれは考えている。獲物を獲たときは大量に食べ、得られない時は何日も空腹で活動する、食いだめが可能な身体だと。だから普段から食事の時間や回数にはこだわらず、食べたい時に食べ、食べたくない時は食べないようにしてきている。
     そんな一日二食や二食半だったとしても、食べる時間や量はそれなりに決まってくる。断食中、普段食べている時間や食べる状況(たとえば力仕事を終えて一服するとき)になると、頭のなかに食べ物のことが思い浮かんで来た。
     頭で食べることを想うとしんどかった。体は欲していなくても、頭が食べたい欲を掻き立てるのだ。普段の食事が習慣であり、“楽しみ”のための食だと、痛感させられた。

     本当に必要な食べる量とは、どれくらいなのだろう。体にとってもっともちょうど良い量は。
     それは体の使い方しだいといえるかもしれない。
     断食をしていると、筋力をつかう作業は慎重になる。無理をするとフラッとするし、かたよった力の使い方をしたところにはすぐ鈍い痛みが生じる。
     それを機に、無理のない動作をこころ掛けることができる。理想的な太極拳が最小の力で最大の効果を得るように。あるいは、野生の世界で生きるもののように。

     過剰な食物で体を動かすことは、本来の動きができないでいる体を、外部からの力で無理矢理動かすことかもしれない。無理に動かされれば負担が生じ、支障が出たり、壊したりする。

     体は全身かたよりなく動くのが一番いい。部分的に使いすぎたり使わなすぎたりすると、バランスを崩す。
     体の中心である脊柱を軸に、脊柱の元である仙椎をちからの源として、そこから起こった動きを手足や指先まで伝わるようにすることが本来ある動きの姿なのだろう。
     体の芯―――肉よりも骨、骨よりも髄、髄よりも細胞、そして細胞を形づくり個個の細胞を繋いでいる“気”。

     伝わるためには、ゆるんでいなくてはならない。
     硬直することなく、リラックスしてゆるんでいれば、芯(心)から起こったうごきが全身へとつたわっていき、無理することなく行動することができる。
     体のことを知り、正しい使い方を学んでから大きなエネルギーで体を扱えれば、エネルギーに見合った十全な活用ができるはずだ。

     数日間食べなくても体は動く。身体の元からのちからを原動力に。
     にもかかわらず「食べたい」という観念は頭に飛来し、抑えるのに苦労する。体の声よりも、“なれ”に流された思考や慾望といえる気がする。

     食べることは楽しいことだ。その楽しみにおぼれることなく、ひとつひとつの食事を、いっそう楽しんで、感謝して食べることができたら最良だと思う。
     そして、体のこと、食べ物とのつながりのことをもっと知るために、またときどき断食を行っていこうと思った。

    ※関連記事
    山と躰  (2009.08.01)
    柴刈り  (2006.04.29)
    | | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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