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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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体のなかの野生
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    “ひとは、こんなに膨大な数の利器に頼らなくても、自分の体を使って、自然界と直接触れ合いながら恵みを得て生きていける。”
     この想いが山での暮らしをはじめることとなり、そしてこのブログを書くこととなりました。

     こんにちは、大口のまです。

     このブログをはじめてから月日が経ち、さまざまなこころみとともに生活を綴って来ました。やまの暮らし、自然界との結びをたしかめながら生きること。
     まだまだこころみていない事柄はたくさんあって、はじまったばかりだと思います。けれど、このこころみを通して、やまの恵みで生きることはできるんだ、人は、自然との結びを感じることができるんだ、ということは確かめられたと思っています。そしてそれを、このブログを読んでくださった方に伝えることが、できたと思います。
     やまで生きたいと願っているひとに、それは十分可能なんだよ、と知らせることは、このブログを書いた大きな目的です。ここに書いてきたことで、生き方の道しるべとなるものが少しでもあって、役立ててもらえれば嬉しく思います。


     おれは都会の真ん中で生まれ、育ちました。コンクリートに埋め尽くされた地で、自由に息のできない空気の中で育ちました。医者からは虚弱体質ぎみと言われたこともある都会育ちのおれが、やま(自然界)で生きたい、そう最初に念じていたのは5〜6歳のころだと思います。ものごころついたときから、すべての生き物、すべてのモノにこころがあり、それがなによりも親しみを感じる存在でした。

     いま、体は十代のころよりもますます動き、心とともにさらなる自由への広がりを感じています。


    * * * * * * * *

     今年に入ってから、大きな変化がありました。たくさんの出来事の中で、おれは過去を振り返りました。東京に住んでいたときの過去が、いまのおれに何度となく呼びかけてきました。いえ、いままでもそうだったのですが、それを聴くことがおれにはできずにいたのです。

     過去のすべてを、体は覚えています。生まれる前からの、胎児からのすべての記憶を、体はきちんともっています。

     辛い出来事に遭遇したとき、意識はそのできごとを閉め出そうとすることがあります。おれは、知らず知らずにそうして来ていました。相談できる相手が誰もいない子供のおれにとって、そうすることでしか自分をまもることができなかったからです。それは生き残るために必要なことだったと思います。
     けれどそれは、自分の体のことを無視することだったのです。おれをこの世界にとどまらせてくれている、たった一つのおれの体を、おれは永いこと無視して、耳を塞いできました。体と心(意識)は分離して、噛み合わない歯車のように、お互いを翻弄することから避けられなくなっていました。

     今年おれは、あるきっかけをもとに、体の声をしっかりと受けとめ始めました。たくさんの痛かったこと、辛かったこと、悲しかったことを一身に抱えたこの体が、おれを守ってくれていたことに気付きました。体がその痛みを引き受けておれの心を守ってくれなければ、おれはまともでいられなかったと思います。
     いまのおれは、逃げることなく、あの頃の痛みを受け止めることができるようになりました。体に感謝しつつ、痛みのひとつひとつを受け止め、体と心で共有しようとしました。
     そのたびにおれは、軽く、楽になっていくのを感じます。
     分離していた体との結びを取り戻していくこと。
     この体は地球が生み出した生物のひとつ、おれが地球からかりている、自然そのものなんです。

     体のなかに野生が生きています。

     この野生の生き物は、つよい生命力をもっていて、それを発揮することを楽しみながら、おれたちを生かそうとしてくれています。たとえ辛すぎる出来事から心が閉ざされてしまったとしても、体はいつも耐え続け、心の目が体に向かうのを待ち続けています。


     やまで暮らし自然界にできるだけ近づいていく生活を求めるなかで、いまのおれにとって、もっと必要なことが、自分の体の野生を本当の自分のものにすることだ、と感じています。
     いまはこのこと、自分の体をよりよく、より楽しく使える・生きられるようにしていくことに、全力を注ごうと思います。四十年近くを生きることをともにしてくれているこの体の、何一つも無視しないで受け止めて、きちんとひとつになって、ひとり立ちできるようになることがまず必要のようなのです。


     そんなわけで、いままでのように暮らしのなかでのことを書き綴ることは、あまりできなくなりました。
     体のこと、体を通して自然界を知ることについて、そのうち新しくブログを書きはじめるかもしれません。その時また、読んでいただけたら幸いです。

     それではまた、お目にかかりましょう。


     どこに生まれ、どんな環境に育とうとも、いのちはいのちのちからで生きています。
     あなたの体にも、野楽は生きている。
    | 遠吠えと谺 | 22:30 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    お久しぶりです。
    しばらくブログの更新がなかったので、「もしかして大口のまさんの身に何かあったのでは……」などと心配しておりました。
    取りあえず生きておられることがわかったので、ホッとしております。

    詳細はわかりませんが、大口のまさんが人生の転機を迎えておられることだけは察せられます。
    ブログの更新頻度が少なくなることは寂しいですが、すべてはパワーアップのためのものでしょうし、またお会いできることを楽しみにしております。
    お体を大切に、頑張ってくださいね。

    かく言うわたしも、ブログの更新は途絶えがちですが、これから年末・年始にかけ、日本の歴史を感じさせる行事や風習が集中することもあり、年内に一度くらいは更新できたらいいなと思っています。
    良ければたまには覗いてみてください。
    それではまた。
    (今は大口のまさんにとって大切な時期でしょうから、このコメントに返信は不要です)
    | alphecca | 2010/11/24 9:37 PM |

    alpheccaさんこんにちは。返信遅くなってしまってごめんなさい。ご心配をおかけしました。お気遣いいただいて嬉しいです。ありがとうございますね。
    時間はかかってしまったとしても返信は必ず書きますから、大丈夫ですよ。

    平凡でないできごとにはそれなりに慣れているつもりでしたが、今年ばかりはかなりしんどかったです。一日いちにち、昨日と違う今日へ、今日と違う明日へとめまぐるしい毎日の連続でした。それだけ目から鱗が落ちているということでもあり、自分にこんなに鱗がびっしりついているとは想像もしていませんでした。「千と千尋の神隠し」って映画のなかで、白竜の鱗が一気に剥がれ落ちていくシーンがありますよね? 整体の師匠からの受け売りなんですけど、鱗が剥がれ落ちるというのは精神病が治るときの感覚なんだそうです。ハクは本当の名前を思い出してすべての鱗が剥がれ落ち、だれからも自分をつかまれない状態になったわけですが、おれも早くすべての鱗を落として本当の自分を取り戻したい気持ちで一杯です。まだまだ残っているのが、わかるんですよ。マイナス数ヶ月から二歳頃までの間についた、重く鈍い塊なんです。
    この塊を溶かして(解いて)しまえれば、体も心ももっと自由になることが、わかったんです。

    逃げることは卑怯だ、と、おれは子供の頃よく聞かされました。おれは納得できなくて、逃げることってなんだろうと考えつづけて、逃げることは悪いことではないと、結論を出しました。自分を守るために野生の動物は堂々と逃げます。
    ただおれには信条があって、逃げたままでは次また同じことがあったらまた逃げなければならない、だから逃げてるあいだに再び逃げなくても大丈夫なようにちからをつけよう、と決めてきました。自分の行きたいところにはいつでも自由に行きたいですからね。
    おれが山へ暮らすのは逃げるためでした。ほんとに、都会では生きられなかったんです、心身ともに参ってしまって。山でちからをつけよう、山から学んで生きるちからをつけようと、心に礎を作ってじっくり実現したんです。
    山での暮らしからちからを得て、新しい一歩を踏み出す時が今年だったのだといま思っています。自然は正しい時に、正しい機会をあたえてくれています。

    一たび山に入っても、また山を降りて人の世界に戻る、という勘は最初からありました。でも人の世界で何をするのかは山に入らなければわからなかったんですよね。

    具体的にこれからどんなことをしていくのかはかなりいまもわからないでいるのですけど、どんなこころ持ちでいけば良いのかははっきりとわかっているんです。窓をあけていれば月から一条の光が射してくるように、こころの窓をしっかりと開いていればおのづと道が照らし出されると勘がいっています。歩く先にどんなことがあるのか、楽しみに進んでいきます。

    一つ前の記事「反閇」に書いたように、大地に体をあずけつつ、人の世の中、都市や街中を歩いていこうと思っています。無駄な力を抜き、息を通し、しなやかで粘りづよく・・・

    alpheccaさんの記事、いつも楽しみに拝読しています。縄文の風、たましいのこえ。透きとおるようなちからのある一句だなとあらためて思います。この風とこえを響かせていくことが、すべてのいのちが輝いて存在するほんとうの姿なのだろうなと思っています。
    お互い無理せず自分の足どりで歩んでゆきましょうね。

    コメントありがとうございました。
    | 大口のま | 2010/12/03 6:27 AM |

    お久しぶりです。
    t260arimaです。

    のまさんの11月21日のブログは、先週の土曜日(12月4日)に読みました。
    私にとってはショックで、1週間以上コメントが書けませんでした。

    のまさんの生活〜“ひとは、こんなに膨大な数の利器に頼らなくても、自分の体を使って、自然界と直接触れ合いながら恵みを得て生きていける。”は、アイヌの浦川太八さんの生活ともに私にとって理想の一つでした。

    浦川さんの生活〜基本的には木彫りを生活の糧にしつつ、季節に合わせて必要なときに必要な量だけ山や海の幸を調達し、地域のアイヌ社会においてお互いに持っているもの(山や海で採ってきたもの)のやりとりで暮らしている。
    人間(アイヌ)も自然界(カムイ)の一部であることを実感させられます。
    ただ、これは強い人間(アイヌ)にしかできないこと。


    わたしのように、自分にできないものを他人に夢見ているというだけで、ご本人には迷惑なことかもしれません・・・。

    のまさんのブログからは、そして一度お会いしたほんとに短い時間のやりとりからは、山の暮らし、自然界との結びを感じとることができました。
    自然から隔絶された環境に身を置き続けると、人間が自然界の一部であるという当たり前のことを忘れさせてしまいます。
    のまさんのブログは、わたしのような人間には貴重な道標となっています。

    一昨年夏の父の死去、一昨年冬の叔母の死去、昨年夏の母と弟の死去が、私にとってとてつもなく大きな打撃となっているように、のまさんには今年、大きな変化があったのでしょう。
    のまさんのブログには、

    》今年おれは、あるきっかけをもとに、体の声をしっかりと受けとめ始めました。たくさんの痛かったこと、辛かったこと、悲しかったことを一身に抱えたこの体が、おれを守ってくれていたことに気付きました。体がその痛みを引き受けておれの心を守ってくれなければ、おれはまともでいられなかったと思います。
    》いまのおれは、逃げることなく、あの頃の痛みを受け止めることができるようになりました。体に感謝しつつ、痛みのひとつひとつを受け止め、体と心で共有しようとしました。

    とありましたが、けっして無理しないでください。
    私は、逃げています。
    逃げれるものは逃げて、どうしても受け止めなければならないものは受け止める。
    その基準は、その本人自身しか決めることができません。
    けっして無理はしないでください。

    昨年、ほんとに短い時間ですがお会いしてから、一度、(できたら1日をかけて)ゆっくりとお話したいと考えていました。

    のまさんのブログ、
    》そんなわけで、いままでのように暮らしのなかでのことを書き綴ることは、あまりできなくなりました。
    》体のこと、体を通して自然界を知ることについて、そのうち新しくブログを書きはじめるかもしれません。その時また、読んでいただけたら幸いです。

    のまさんが今後どのような生活をなさるのかは不明ですが、時間がありましたら、また、お会いしましょう。
    それでは、また。
    | t260arima | 2010/12/12 3:09 PM |

    t260arimaさん、こんにちは。いつもコメントを、暖かいことばと想いをありがとうございます。

    まず、逃げる、ことについて御返事したいと思います。
    >逃げれるものは逃げて、どうしても受け止めなければならないものは受け止める。
    その基準は、その本人自身しか決めることができません。

    ほんとうに、おっしゃるとおりに思います。

    自然界から略奪する勢力(目に見えるものにしか価値を見出さない世界観)は、骨の髄までも絞るとるために、逃げることは悪いこと、という意識を植えつけました。
    自然界では、逃げることにも学びがあり、逃げることにも成長があるのです。

    そして、自然から離れた人間の世界では、あたりまえの自然のいのちにとっては逃げなければ苦しすぎることが底知れなく存在します。
    “日本”というこの国には年間三万人以上のひとが自分を殺さなければならなくなるほどの苦しみがあります。ああ、地球上にはいったいどれだけの数にのぼるのでしょう。
    母なる地球のつちの上では、いのちは生を謳歌するために繋いであるのに。

    この大地の上に、自然界の法を無視して稚拙な法を繰り広げ眼とこころを濁らせる、迷妄した意識世界観があるのです。人工的なその概念を、絨毯のようにくるくると巻き上げてもとの大地の姿をとりもどそうというムーブメントが百年前にありました。英語でそれは、ゴーストダンスと呼ばれます。先祖や動物たちや植物たち、死んで今にたましいを繋いでいるものたちを蘇らせるインディアンの踊りでした。


    だいぶ話が逸れてしまいました。
    けれども、おれにとっては一つの事なのです。
    おれはつねに、二つの世界を感じてきて、その狭間に自分が居ることを思い知らされてきました。
    そしておれのこころは、アイヌやインディアンたちと同じ世界を生きることをつねに希んでいます。

    >その基準は、その本人自身しか決めることができません。

    自分の心のなかに、体のなかに、正しい答えがあります。

    ご安心ください。無理はしません。おれのこころが希んでいる方向へと、道を進んでいきます。その方向が分からない時はたたずんでこころの声を待つ、ということを少年の頃から続けてきました。ただ自分のこころの声だけを信じていままでやってきたのです。その声が自然界から、地球から、発していることを、いまはよくわかっています。


    強くないひとなんていません。弱さも、また強さなのです。弱さを知らない人は脆いものです。鍛えすぎた鉄のように・・・。
    いのちには、正しいときに正しいことが起こります。過剰な意識で何かをはじめてしまうとき、それがこころに(いのちに)そぐわないとき、無理となるのでしょう。待ちましょう。待つために逃げましょう。つぼみを指でひらいたとしてもそれは咲いたのではありません。

    おれたちの体は地球と繋がっています。その声がきちんと聞こえる限り、野生を見失うことはありません。街に居ても、何処にいてもそれができるものなのだと、今年おれはわかったのです。結びを感じることさえできれば。
    そして、アイヌやインディアンのような暮らしを、してゆけるでしょう。かつてのものと同じ姿でなくても、その時代時代にふさわしいかたちを得て、野生の生は粘り強く、ほがらかに生きてゆきます。


    おれもarimaさんとお会いして、ゆっくりお話をしたいと願っています。そして、その時はおとづれると確信しています。こころのなかの、勘がそういっているのです。

    その時を楽しみに、いまはいまを楽しんでいきます。
    コメントありがとうございました。

    | 大口のま | 2010/12/12 9:49 PM |

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