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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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鹿解体
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    前記事の続き。
    まずハラを皆出す。尻から腹を通って喉まで皮を裂き、折り返して喉から下へ肉と肋骨を割っていく。内臓を取り出しながら肝臓や心臓など、食べる部分は取り分けていく。いまはあまり食べないが、むかしは腸や胃袋もきれいに洗って食べたそうだ。

    ハラを取ったら縄で吊るす。足を縛って吊るすか頭を吊るすか、その時で違う。体の大きさ、怪我の場所など、肉を傷つけず一番皮を剥ぎやすい方法を考える。吊るしたら上から皮を剥ぎ降ろしていく。今回の鹿は、若いがそこそこ体が大きいので木の上から高く吊るすことにする。

    なるべくナイフは使わずに剥いだほうが皮も肉も傷つけずにすむ。力任せに握った皮の端をググーッと下に引き降ろすことで、上手に皮を剥ぐのがよい。といってもなかなかそうは上手くいかず、ナイフで皮と肉の間の白い膜を切りながら引っぱっていく。

    今でこそ、時間をかけずに荒っぽく剥いでいくが、数十年前まではこの皮が現金収入として大事な生活の糧になっていた。皮を売ることのなくなってしまった現在では、猪の皮は犬の餌、鹿の皮は生ゴミとなってしまう。
    無論、貨幣というもので価値を決めることのない時代では現代以上に山からもらった命はたいせつな恵み。無駄にする部分などなく皮も骨も内臓も生活のちからとなったのだろう。

    食べる肉以外は捨てるという熊つぁんから、皮と骨そして角の小さい頭をもらい受ける。
    そのまま夕食をご馳走になる。獲りたての心臓と肝臓の刺身を皿いっぱい食べる。わさび醤油が最高。見た目はしまっていて赤みばかりの肉だが、食べてみるとやわらかく、口の周りに脂がつく。後日いただいた肉を直火で焼いたり炒めたりしてみたが、何も調味料を加えずとも(塩すら!)いくらでも食べられる美味しい野生の肉だ。

    ※関連記事
    続、鹿解体・前編   (2008.11.08)
    続、鹿解体・後編   (2008.11.12)
    | 狩り | 14:52 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    大口のまさん、こんばんは。昨日、東銀座でお目にかかったマノです。ブログアドレスを教えて頂いたので、支離滅裂ですけどコメントしますね。

    昨日のお話でいちばんガツンと来たのは、「ものぐさで、人から嫌われているにもかかわらず、権力の座にいることで、反省する機会を失う…」と、そんな内容のところでした。「私のことだな」と思いました。村八分間違いナシ、です。

    ところで、この、鹿を解体している写真と文章は正直、私のなかで別のエロティックな想像に発展してしまいました。
    「いのちを頂いて食べるため」以外の目的のためにあるものを解体しようとすることは当然禁止されていますが、ヒトの頭(夢)のなかではその禁止を踏み越えてしまうこともありますし、実際、そのような映像は少なくなく、事件にまでなることもあります。

    生命には他者を自由自在にコントロールしたいという欲望が備わっていて、それがあからさまになった時に様々なモンダイを生ずるという説があります。

    食べることだけで、他のことを考えて行動するだけの余裕がなかったという点で救われていた縄文時代と比べて、今は、私も含めて多くの人が、食べること以外の時間を持て余して、「退屈さ」「生きてない感じ」を払拭するために、さまざまな余計なことに取り組んでいるというか何というか…。

    それが自分の欲望のためだけでなく、それこそ「おてんま」的に、他者と良い関係を結んで全体が幸福になるように手が出せるといいですよね、って。これは他人事じゃなく、自分に言ってます。

    曼珠沙華釉の作品、期待してます。ではまた。





    | マノアヤコ | 2008/08/03 10:07 PM |

    マノさんこんばんは。さっそくブログ読んでいただいて、コメントくださってありがとうございます。
    実際に会って視ると、そのひとがどんなひとなのかよく感じるのですが、マノさんは反省なきひとには見えませんでした。そもそも自分は無反省だ、と思うひとに無反省のひとはいないと思います。

    さて、コメントいただいた文章から、マノさんの思索が窺えた気がします。この感じが間違いでなければ、マノさんが読み取ってくださった内容はまさしくおれが書きたいことがらの本質であると思います。

    食べること・食べられることや生殖行為は、生きものの生存そのものに関わる事柄ですから、まさしくエロティック=神聖なる事なのだと思います。いのちあるものといのちあるものとの根源の関わり合いの場面なのです。ですからこれらの行為は当事者双方にとって極めて個人的であり、他者から犯すべからざることなのです。

    これらの行為あることこそが、いのちあることそのものと言っても過言でないかも知れません(いのちといのちの絆)。

    そしてこれは、お互いの魂の向かい合いがあってこそ、意味のあることです。
    モンダイが生ずるのは、魂の交流なくして行為のみがある場合です。それは、もっとも神聖なものを汚すことなのです。

    縄文時代のひとたち(野生の生きものたち)は、行動の時、相手の一生を想い、受け取って、行為をなしえます。食べられるものの一生、かれらの時間とおもいの全てを受け入れる覚悟がなくては、絆をむすぷことはできないのです。そしてそれは大地(地球)との絆そのものです。

    思うに、野生を離れた人間は大地との絆も他者との絆も失ってしまった(見失ってしまった)がゆえに、生きていない心を抱えてしまったのでしょう。、その空虚を満たそうと行為ばかりを求めても、表面だけの行為にはなんの絆も結ぶちからはあらず、他者ばかりでなく自分自身の神聖なるものも犯してしまうことに気づかないまま・・・


    大地との絆を離れて頭脳という名の檻の夢に迷うより以前、すべてのひと(一止)の欲望は我欲ではありえなかったのです。自分のための行為は相手のため、そして大地という巨きな樹(地球)のためでした。もちつもたれつ、還元返本です。幼き芽はやがて大きな木となり、落葉や花びらを散らしては地へと返してゆく、おおきな、廻る、輪です。


    この輪を自分の生き方とすることがおれもまだまだできないでいて、ひとつひとつのいのちを頂くことに学びをさがしている日々です。けれどもその一日一日が、絆をとりもどしていくことになることを信じて、このようなブログもあらわしています。

    * * * * * * * *

    都会での数日は瞬く間に過ぎて、またこのやまに戻ってきました。明日から再びやまの息吹を吸って、練ってゆきたいと思います。

    今後ともよろしくお願いいたします。
    | 大口のま | 2008/08/15 2:56 PM |

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