鹿舞い(ししまい)
2006.09.26 Tuesday
獅子舞の練習が始まった。
部落の神社のお祭りのとき、社の前で奉納するのだ。
この村に住みはじめの一年目から、見よう見まねの笛でおれも参加している。いままで習う機会がなかったもののいつか笛を吹けるようになりたいとずっと思っていたから、来たりもんのおれの参加をこころよく受け入れてもらえた時は嬉しかった。
当初からいろいろ面倒を見てくれている山小師(ヤマオジ)は部落一の吹き手で、夜教えてやるから家に来い、と毎晩の晩酌をおあずけにして待っていてくれたものだ。酒が入ると息が続かなくて上手く吹けないという。
そして、今年は獅子も習う。笛の曲目も覚えきっていないのに僭越だという思いがすごくするのだが、部落のすり手がだいぶん年配のため、今習っておかないと覚える機会を永遠に失してしまうかも知れないのだ。
すり手―――地元ことばで獅子舞は「舞う」でも「踊る」でもなく「する」という。腰を低く落とし、地面を這いずるこころもちで演じることを強調しているのだろう。
ところで、一口に獅子舞いといっても「獅子」ではない「しし舞い」もあると、おれは考えている。独り考えなので正しさは保証しないけれど、以下に述べてみて諸説の交流を求めたい。
「獅子」はいわずもがな中国から来た語でライオンのことだが、更なる語源はペルシア語だともいうらしい。中国文化の多くは西方起源のものがあるからそれもうなづけるが、獅子にまつわる伝承も西方から来たと考えて間違いないと思う。その伝承とは、獅子は死者を護る、というものだ。エジプトのスフィンクスはあまりにも有名だが、獅子(もしくは獅子体)の墓守は近東や中央アジアにも数多く出土している。それは中国文化にも、葬儀の時には獅子舞いをするというかたちで伝わっているのだ。
では本題の日本の獅子舞いについて。
日本にも中国伝来の獅子舞いはあるが、うちの地域で行われているしし舞いは獅子ではなく鹿なのである。百年以上前から使われているという「しし頭」も、雄じしは角を持ち、雌じしにはない。このことからも「獅子」ではなく、岩手の鹿踊り(ししおどり)のように「鹿」であることがわかる。
「しし」というやまとことばは、「ししむら」、つまり「肉」を指す。ゐーっ(ウィー)と鳴くのはゐのしし→猪、かーっと鳴くのはかのしし→鹿という具合。いにしへから鹿や猪の肉を重要な糧としていた弓の島のひとびとは、彼らのことを「肉」→「たいせつな食べ物」と呼んだ。そのほかにも名前をつけていたと思うのだが、日常の生活で使われている呼称はこれだった。
狩猟採集を主な糧とするひとびとは、自分たちのいのちと成る生きものをおのが手にかけて「いただく」が、そのとき必ずお返しの贈り物をする。木を切り倒したときにはその切り株の元に苗を植えるとか、山の恵みを貰った時に削り花(アイヌの言葉でイナウ)を捧げたりするならわしはごく最近まで普遍的なもので、あまり知られなくなってはいても現在も絶えることなくおこなわれている。
そして日常の主な糧となっているものに対しては、年に一度というように周期的に「まつり」をおこなった。しし舞いは鹿たちに捧げた、感謝と繁栄を祈る奉納の舞いなのだ。
この地域でのしし舞いは三頭の鹿(しし)と、囃し手一人の、四人で陣を組んで「する」。山岳信仰を根本とする陰陽道の反閇(へんぱい)を取り入れた鬼剣舞のように、大地を踏みしめ魂を鎮め、邪気を祓いながらすべての繋がるものたちのために祈るそれは、中国の獅子舞いよりもインディアンやアフリカの踊りをおもわせる、捧げの踊りだ。
縄文時代からつづいている魂送り(たまおくり)の儀式。ひとびとはいのちを与えてくれる山やまへの感謝をあらわし、またこのやまで生きていくために必要な体――術を練った。
・・・・・・そんなことを思いつつ参加しているのだが、村の人はむろんこんな理屈は気にもしていない。ただ幼少時から慣れ親しんできた笛の音を思い出し、昔の年寄りが「もっと腰を低く落とせ!」と厳しかったことや、何々集落のなにがしは炭焼きの合間にひとりでししをすって練習していた、さすがに上手かった、などと、語り合っては酒を飲む。

お祭り当日


※関連記事
高水山獅子舞見学 (2009.04.19)
猟期前 (2007.10.25 )
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この村に住みはじめの一年目から、見よう見まねの笛でおれも参加している。いままで習う機会がなかったもののいつか笛を吹けるようになりたいとずっと思っていたから、来たりもんのおれの参加をこころよく受け入れてもらえた時は嬉しかった。
当初からいろいろ面倒を見てくれている山小師(ヤマオジ)は部落一の吹き手で、夜教えてやるから家に来い、と毎晩の晩酌をおあずけにして待っていてくれたものだ。酒が入ると息が続かなくて上手く吹けないという。
そして、今年は獅子も習う。笛の曲目も覚えきっていないのに僭越だという思いがすごくするのだが、部落のすり手がだいぶん年配のため、今習っておかないと覚える機会を永遠に失してしまうかも知れないのだ。
すり手―――地元ことばで獅子舞は「舞う」でも「踊る」でもなく「する」という。腰を低く落とし、地面を這いずるこころもちで演じることを強調しているのだろう。
ところで、一口に獅子舞いといっても「獅子」ではない「しし舞い」もあると、おれは考えている。独り考えなので正しさは保証しないけれど、以下に述べてみて諸説の交流を求めたい。
「獅子」はいわずもがな中国から来た語でライオンのことだが、更なる語源はペルシア語だともいうらしい。中国文化の多くは西方起源のものがあるからそれもうなづけるが、獅子にまつわる伝承も西方から来たと考えて間違いないと思う。その伝承とは、獅子は死者を護る、というものだ。エジプトのスフィンクスはあまりにも有名だが、獅子(もしくは獅子体)の墓守は近東や中央アジアにも数多く出土している。それは中国文化にも、葬儀の時には獅子舞いをするというかたちで伝わっているのだ。
では本題の日本の獅子舞いについて。
日本にも中国伝来の獅子舞いはあるが、うちの地域で行われているしし舞いは獅子ではなく鹿なのである。百年以上前から使われているという「しし頭」も、雄じしは角を持ち、雌じしにはない。このことからも「獅子」ではなく、岩手の鹿踊り(ししおどり)のように「鹿」であることがわかる。
「しし」というやまとことばは、「ししむら」、つまり「肉」を指す。ゐーっ(ウィー)と鳴くのはゐのしし→猪、かーっと鳴くのはかのしし→鹿という具合。いにしへから鹿や猪の肉を重要な糧としていた弓の島のひとびとは、彼らのことを「肉」→「たいせつな食べ物」と呼んだ。そのほかにも名前をつけていたと思うのだが、日常の生活で使われている呼称はこれだった。
狩猟採集を主な糧とするひとびとは、自分たちのいのちと成る生きものをおのが手にかけて「いただく」が、そのとき必ずお返しの贈り物をする。木を切り倒したときにはその切り株の元に苗を植えるとか、山の恵みを貰った時に削り花(アイヌの言葉でイナウ)を捧げたりするならわしはごく最近まで普遍的なもので、あまり知られなくなってはいても現在も絶えることなくおこなわれている。
そして日常の主な糧となっているものに対しては、年に一度というように周期的に「まつり」をおこなった。しし舞いは鹿たちに捧げた、感謝と繁栄を祈る奉納の舞いなのだ。
この地域でのしし舞いは三頭の鹿(しし)と、囃し手一人の、四人で陣を組んで「する」。山岳信仰を根本とする陰陽道の反閇(へんぱい)を取り入れた鬼剣舞のように、大地を踏みしめ魂を鎮め、邪気を祓いながらすべての繋がるものたちのために祈るそれは、中国の獅子舞いよりもインディアンやアフリカの踊りをおもわせる、捧げの踊りだ。
縄文時代からつづいている魂送り(たまおくり)の儀式。ひとびとはいのちを与えてくれる山やまへの感謝をあらわし、またこのやまで生きていくために必要な体――術を練った。
・・・・・・そんなことを思いつつ参加しているのだが、村の人はむろんこんな理屈は気にもしていない。ただ幼少時から慣れ親しんできた笛の音を思い出し、昔の年寄りが「もっと腰を低く落とせ!」と厳しかったことや、何々集落のなにがしは炭焼きの合間にひとりでししをすって練習していた、さすがに上手かった、などと、語り合っては酒を飲む。

お祭り当日


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