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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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山を歩く
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    春夏のあいだにたっぷり薪を集めておこうといつも思うのだが、なにがなし他にするべきことに追われているうちに秋が来てしまう。風が冷たくなりはじめたころ、尻に帆かけて薪集めに奔走する。
    薪を拾うときは道など関係なしに見つけた倒木にむかってとにかくたどり着かなければいけない。斜面が多いこのあたり、鹿の通り道を使えば楽ではあるが、なるべく遠回りしないで行こうとするから急傾斜でも上っていく。これが、身体が慣れないとなかなかシンドイ。秋になるまでこういう上り歩きをほとんどしていないから、最初の一日二日は全身が重くなるように疲れる。しかしそれ以後は身体が軽くなり、毎日山上りしていたかのごとく楽々の歩きとなる。眼で足場を確認するのも無意識の一瞬だ。
    身体が、山の歩き方を思い出すのだ。

    覚える、というのは全身の細胞ひとつひとつがしているものなのだと思う。脳はそれらを編成・再生する役割を担っているが、記憶のすべてをいっしんに背負っているわけではない。また意識は、直接作業をするときのデスク、もしくはモニターのようなものなのだろう。作業に必要なデータや資料は全身という書庫の中に、各種のファイルに閉じて収められている。頻繁に使う資料、つまりよく意識する事柄は、丁寧に整理されてデスクから遠からぬところに使いやすく収められている。しかしあまり作業しないデータはほどほどの整理状況だから、思い出そうとしてもすぐ出なかったりちぐはぐだったりする。

    一方、もともと意識にのぼってこないファイル・記憶というものもあり、それは(脳以外の)身体で自主的に再生し活用されるのだろう。だから無意識状態といえど、身体は出来事の一つ一つを感じ、覚えている。この無意識の記憶が、非常に大切なようだ。それはもちろん各身体部位の運動に関わる記憶・再生において重要なだけでなく、これらの意識されない記憶が、意識している時の思考やひらめきの大きな根っこを担っていると考えられるからだ。

    身体を使う作業や運動を身体に覚えさせるために訓練することは、そのまま頭のなか、精神につながることなのだろう。だからどんな動きを覚えていくか、どんな運動が好きか、ということも、思考の傾向や癖となっていく。

    知識や情報がふんだんに飛び交う今の時勢では、頭の働きがものごとを決めていくように感じるが、それは錯覚で、実際ひとは(脳以外の)身体と頭の両方を宿り場所として存在していることを忘れてはいけない。

    こころがくしゃくしゃした時は、たくさんのいきものたちが息づく場所へ行ってほど好く身体を動かすと、頭が軽くなってこころが楽になる。それは大地から生まれたすべてのからだに共通だと思う。
    | | 18:16 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    こんにちは。意識の真髄を描き出した良い記事ですね。私は昔、最初のワープロが市場に出た頃、インストラクターをしていまして、当時はフロッピーも256kくらいしか記憶できなかったものです。そして、実際に処理できる文字数も限られていて、それがFDの中に「作業用ワーキングエリア」という名で割り付けられていました。人間の意識というのは、これと同じなのだろうな、とぼんやり考えていたものです。

    話は変わりますが、小学校の頃に近隣の無名の縄文遺跡を訪ねて夏休みの自由研究をしたのですが、横穴住居がそのまま残っていて、何か懐かしい思いがしたものです。これも細胞の記憶なのだろうと感じております。
    | selfish_brain | 2006/10/28 7:22 PM |

    selfish_brainさんこんにちは。
    はやくお返事をしたいと思いつつ、じっくりと書き上げる時間をつくれないまま一週間が過ぎてしまいました・・・;

    機械の能力について考えていると、人間(を含めた生物)のことを逆に知ったり考えたりということ、よくありますね。最近のパソコンやインターネットの性能向上を見て、生物に近づいているような印象に恐ろしさを感じることもたまにありますが、それらはあくまでも自然の生きものの摸倣に過ぎず、生きものがいなければ彼らはいないんだ、と体内の勘が明言しているので安んじております。

    意識について。治療のため右脳と左脳の交信を断った患者さんのことをテレビで見たことがありますが、話し手である左脳が知らないことを右脳が知っている、という場面を見て、本人は奇妙な感じだろうなと思ったものです。話し手、つまり「意識」は左脳なのですが、左脳とは別の主張を絵を描くこてとでしている右脳の行動を左脳は理解できず、自分(の左手)が何を描こうとしているのかわからない、と言いながら描いているのです。「意識」とは自分の全てではなく、自分という「全身」がちょっと表れている窓のようなものなのだなと感じました。左右の交流がなくなって脳(意識)が一つではなくなったとき、窓も二つになったのでしょうね。
    また、麻酔で意識が無くなっている人が、身体の痛みを訴えているところも見たことがあります。あとで聞いてみるとその人は自分が痛みを訴えていたことなど知りませんでしたし、痛みを感じた覚えもありませんでした。そのひとの「意識」は痛みを知らなかったのですが、身体は知っていたのです。

    意識は知らなくても身体は知って記憶していることがらは、意識のもつ記憶よりべらぼうに多いのでしょうね。そしてそれらの記憶は新陳代謝と同時に受け継がれていくのでしょうが、新しい細胞を作るエネルギーはそのエネルギー自体の個別の記憶も持っていて、身体の総合記憶に加わるのでしょう。物を食べ、また使ったり触れたりしているとき、意識はせずとも新たな記憶たちを摂り込んでいるのです。
    時が経てば記憶が生ずる、時があればすなわち記憶があるのだとすれば、おれたちの意識しない記憶はこの身体の容量のみならず、近くに遠くにさまざまなものたちとの交流・混じり合いの中でつながっているのでしょう。selfish_brainさんが感じた横穴住居への懐かしさも、その横穴住居もしくは横穴住居の風景がもつ記憶が、selfish_brainさんのもつ意識外の記憶との濃いつながりを見止めたのです。
    | 大口のま | 2006/11/03 8:59 PM |

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