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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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お正月飾りと神さま
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    昨日はお正月飾りをつくる。
    大晦日につくるのは「一日飾り」と言ってきらうので、十二月三十日に飾り付けする習わしになっている。一応門松なのかも知れないが、この部落では昔から竹と檜にしめ縄を張ってつくっている。最初に山小師から教わったときは檜ももらっていたが、いまは自分で山へ行き、檜の枝を切ってくる。

    木登りには自信があるつもりだが、ひと抱えもある檜の根元近くは枝が落ちていて手掛かりがなく、容易に登れそうもない。かといって丈の低い木から枝をとってしまうのは気の毒なのでできない。手ごろな木を探してうろうろするうちに、斜面を上りきって尾根を歩いていた。

    久しぶりに尾根に来た。

    いつも家の脇に聞こえている沢の水音も、鳥の声も、勿論人家のさわめきも無い。
    冷たい空気に晒された渇いた土と木々たちを、止むことなくゆさぶりつづける風だけがここの世界だ。大地の気配は足下に消え、わずかに残された尾根道だけが地上を感じさせる。おれと木々の周りは空と繋がっている虚空の広がりだ。


    ここを治めるのは人界ではない。

    太古の昔から変わらず吹きつづける、荒涼として飾らず、暖かさも冷たさもひとしく持合わせる風、級長戸の神。
    下界で人が争うとも、まどろむとも、変わることなく吹き荒ぶ無限の繋がりを持ち、そして限りなく空を駆け、行き交う神。

    風が大地に降り、土と水とに出会い、命を生み出す。山のいただきは、命の境目だ。

    畏れを全身に感じつつひとつの木を選び、抱きつくように登って枝をいただく。冷たい風に晒されていても、木は温かい。




    神さま飾り

    神社からいただいた神さまのほかに、今年はヲシテ(ホツマ文字)を使って神符を書いた。山で生きていく上でいちばん尊敬する神の名と、山の神・海の神、宇宙の法則を表す三つの図、星界の代表として北斗七星。そして最後に、一年前の歳の暮れに魂の世界へ旅立って行った猫の本名(マナ)。抜け殻(体)は庭の金木犀の木の下に埋めたけれど、まだこの家のまわりにいるような気がして、けれどもこの世に引き止めたいわけじゃないから位牌ではなく、護ってくれていることへの感謝の気持ちとして、祀ることにした。



    たくさんのいのちが生きている。小さないのちも、いっしょうけんめい生きている。いっしょうけんめい生きて、存在して来ている。

    存在しているということは、大きなちからだ。
    みんな、つよくて、偉大なちからをもっている。

    一日一日の積み重ねが一年となり、年年が積み重なって長いながい時間がつむがれていく。
    切りはなされているものは何もない。自分へと繋がって来たいのち、風も、岩も、光も、自分という「ひと」をとおりぬけて、またたくさんのいのちや、声や、熱となってつむがれていく。

    一日一日は変わらないその日の暮らしでも、夏は秋になり、冬になり、また春となっていく。ただ生きているそのことが、あたらしいいのちを生み、絆をむすび、ゆるやかなしかし大きなうづを巻いて地球というひとつの樹をうかばせている。

    変わらない日日にちょっと区切りをつけて、そんな足元の、同時にはるか頭上の空のかなたのこと(自分が消えてからもながれつづけるはるかな時のむこう)を、呼吸とともに感じてみるのもいいかもしれない。


    ミタクエオヤシン―――わたしに繋がるすべてのものへ
    (時空間をこえて、このブログを観ているみなさんにも)
    健やかで、平和な年をつむぎなしてゆけますように。

    よい、お歳を。
    | ものづくり | 01:12 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
     新年明けましておめでとうございます。先日はコメントをいただき、ありがとうございました。
     お正月飾り用に檜の枝を切るという行為に、とても深い思いを感じました。適した枝を求めて尾根を歩いていたというくだりから、自己を周囲の環境に合わせて生きる感覚が伝わってきます。
     最近は、mistyBさんの「ナチュラル」で掲載されていた大口のまさん&おかマタギさんのインタビュー記事に触発されています。農耕ではなく、狩猟採取という生き方について、色々と考えているところです。
     それでは、今年もよろしくお願いいたします。
    | senang | 2007/01/04 3:03 PM |

    あけましておめでとうございます。

    よい新年を迎えられましたでしょうか?
    大口のまさんの記事や写真からは「神様」の息吹が感じられるので、見ていて何とも心地がいいです(^-^)

    今日は田舎道をブラブラ歩いたりしましたが、昔の人たちが神様を祀った素朴で小さな祠をいくつか見ました。
    その後帰ってきてから「古事記」を読んだりしたのですが、昔の人たちが敬っていた「神様」は、今の多くの宗教の神様のような「何だか正体は分からないけど、自分とは違うやたらとエラい存在」ではなく、「万物の中に見出すことのできる、自分と切り離せない存在」であったことがうかがえました。

    風の神を感じることのできる大口のまさんにとって、この世界はとても素晴らしいものなのでしょう。
    すべての人がこうした感性を持つことができたら、人間の社会もとても幸福なものになるに違いありません。

    「野楽生れば」の今年の記事にも期待しております。
    今年もどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
    | alphecca | 2007/01/05 1:59 AM |

    senangさん、コメントありがとうございます。

    自然界の万象につつまれていると、ひとというのはとても小さくて、けれどもかえがたい存在なのだなぁと実感したりします。
    本当は、狩猟採集とか農耕牧畜とかと線を引くこと事態がとりあげるべき課題で、食べるもののこと、いのちをどこまで「知る」かということが本命なのだと思うのですが、その切り込み口として狩猟採集を目指すという生活をしています。

    人間だけを見ていては必ずシワ寄せがあり、それは人間に返ってくるのですがそれでも人間しか見ていないとどこが発端なのかわからずにどうどう巡りしてしまう歴史で、現代に至ってしまっていると考えています。
    きちんと自分の立っている場所を確認して、それから歩き出すことがほんとうだということを、皆が気づきだし始まる時が来ているようです。

    今年も色々なこころみを、楽しくがんばってゆきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
    | 大口のま | 2007/01/06 9:45 AM |

    alpheccaさん、こんにちは。
    今年は気候も暖かいですが、囲炉裏の暖かさは予想以上で、ぬくぬくの新年を過ごしております。また詳しく記事に書きますね。

    道教も神道も死者を神として祀る教えですし、ヨーロッパも含めて世界中全ての民族が、人と神とがさほどに異なるものではない身近な関係という世界観をもともと持っていたと思っています。
    姿かたち、大きさや役割はみんなそれぞれに違いますが、みんな神、意識もあれば感情もあります。単細胞が多細胞生物をかたち作っていることによく似ている気がします。

    知り合いに雷と話する少女がいるんですが、彼女は友人との会話を説明するような調子で雷とのことを語ります。人と神と、対等なんですね。(ちなみに風の神へのおれの関係はまだまだとてもそんな気さくなものでないです)
    彼女にとってもその能力は特殊なものなのでしょうが、本来ひとは皆んなあたりまえに神とかかわっているはずなんです。仰っしゃるとおりにすべての人がこうした感性で生み成す幸せな社会を、信じ待ち望んで止みません。

    おれのこの感性を呼び覚ますに大きな役割となってくれた一冊、「アイヌ、神々と生きる人々」藤村久和著を紹介いたします。もし未読でしたら、ぜひご覧ください。

    縄文の仲間として、今年もよろしくお願いします。
    | 大口のま | 2007/01/06 10:33 AM |

    >おれのこの感性を呼び覚ますに大きな役割となってくれた一冊、「アイヌ、神々と生きる人々」藤村久和著を紹介いたします。

    本のご紹介、どうもありがとうございます。
    縄文人の末裔であるアイヌにはわたしも興味がありますので、早速読ませていただきます。
    | alphecca | 2007/01/06 11:14 AM |

    お返事ありがとうございます。
    アイヌの生活や世界観にはおれたちが見失ってしまったものが脈々と生きています。学びでもあり、また深い感動を覚えます。

    ところで、前コメントの『道教も神道も死者を神として祀る教えですし、』は『(原始)道教も(原始)神道も』と書き加えておきます。現代の宗教のことを言いたかったのではありませんので。お見知りおきを。
    | 大口のま | 2007/01/06 11:27 AM |

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