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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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雪にとざされる家
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    暖かく始まった冬も、本格的に寒くなった。昨年中はほんの少しだけ粉雪が散らついた程度だったが、今月六日、夜中から降りだしていたらしい雪が朝には一面の雪景色をつくっていた。
    雪が降る日は暖かく感じる。晴天の日に比べて気温はいくらか高いようだ。
    しかし、雪が積もれば薪や柴が湿気る心配や、もちろん柴刈りには行けず、さまざまな蓄えが気になるのは否めない。

    部落では回り持ちで水道当番をしていて、山から引いて来ている水が問題なく貯水・濾過槽に届いているか数日おきに確認する。水源の沢が涸れ知らずなので天候に左右されることは滅多にないのだが、雪が降ったりするとやはり心配になって、ちょうど当番に当たっていたおれは、長靴で雪を踏み分けて貯水槽の場所へ向かう。
    問題はない。この冬は降雨量があり、例年ならこの時期に涸れている小さな沢も、豊かな水量を保っている。ここら一帯の山々は水の気が多く、水不足の心配はしたことが無い。街から遠く離れて、植林がたいして及んでいないことも大きな理由だろう。

    帰り道、部落の家々が雪に霞んでいる。
    音を吸収するようにしずかに降りつづく雪。
    一面を白く覆っていくその時間を見ていると、たとえようのない閉鎖感覚におそわれる。このまま降り積もる雪に埋まり、時間を感じない世界へ行くのではないか、そんな、本能による原始からの畏れにも似ている。

    それは死を感じる時であり、
    そしていまある生を知るときである。



    死はいつも身近なところにいる。
    生きることがあたりまえになっている錯覚とともに育てられたおれたち現代人は、生の側だけを見止めようと躍起になり、死をことさらに遠ざけようとする。光のみを見止めることを良しとして繰り返されるこの「歴史」は、陰の流れを見えなくする働きを背面の動力としてつねに造られてきた。

    しかし死と向き合わずに、本当に生がわかるのか?
    死は敵ではない。敵どころか、死が無ければ生も無い。

    冬は死の季節だ。
    ひとびとは仮りの死のなかでいままでの活動を巻き戻し、巣穴でねむる子狼のように母親を感じる。それは再生へと新たな種をはぐくむ、やすらかで静かな時だ。

    閉ざされる感覚はこわい。だが、そのなかに感じられる、自分の外から絶えることなく流れ込むしづかでちからづよい熱は、大きなまるい母樹と繋がっている、見えない臍の緒なのだろう。

    雪の日の恐怖は、晴れた日のまばゆい太陽が照りさえる快晴のなかには微塵も感じることはない。雪の一日だけにおとづれるこの身裡の畏怖の声に圧し負けることなく、陰(かげ)と陽(ひかり)の双方をみつめてゆきたい。
    | やまの彩(あや) | 13:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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