ナイフの鞘づくり
2007.02.27 Tuesday
東京生まれのおれが山あいの街に引越してきたのは中学一年になる歳だった。関東平野の端っこに位置しているこの街は、むかし江戸まであと一日の、最後の足を休める宿場でもあった。山々を越えてきた旅人がお江戸をのぞんでほっとしたような、大きくはないが親しみやすい街並みがいまものこっている。地元の人は畑をやったり、江戸への材木を筏(いかだ)流ししたり、川や山からの恵みを採ったり獲ったりしていた。
古いもの、というか、良質な時間を感じられるものが好きで、骨董屋によく出入りしていた。高級品ではなく地元のひとびとが使っていた道具が面白くて、とくにさまざまな刃物を見るのが楽しかった。子供が一人で入り浸るのは珍しいのか、店をやっているおじいさんとおばあさんには顔を覚えられて、「おじいさん、またあのナイフの好きな少年が来たよ」などと日本昔話のようなせりふで迎えられたものである。あとで知ったのだがおじいさんは凄腕の研ぎ師だったようで、時代劇で出てくるような剃刀がガラスのケースに並んでいた。
その店で千円で買ったナイフが、いま山の生活でとても役に立っている。もともと鑢(やすり)だったものを鍛えなおして小刀にしてある、と鑑定眼のたしかな龍の字が言う。なるほど、よく見ると中心部分に細かい平行線の鑢の目が、うっすらと残っている。鉄が貴重だった頃に作ったものか、はたまた古くなった鑢を再利用で打ったものか、柄や鞘の拵えが素人っぽいので、名の無いものであることはまちがいない。
切れ味はとても良くて、木を削って木工細工をするにも鹿の皮を剥ぐにも大事な相棒なのだが、使い続けていると鞘がこうなっていたらもっといいとか、柄がこんな形だったらこういうとき力が入りやすいとか、いろいろと工夫したい欲が出てくる。もらった端材で手ごろな板もあることだし、暇をみながら鞘ごしらえを始める。

本職はもっと効率の良い道具を使うのだろうけど、とりあえず持っている彫刻刀で鞘の中、刃が収まるところを削っていく。気長な作業です。

鉈の鞘を作ったときと同じ要領であるが、柄を作るのははじめて。目貫もないやすりのナイフなものだから、中心(なかご)を柄に突っ込んで接着するかなぁ、と、まだそれは先の話。鞘の中身を削るのは遅々として、短気な頃のおれにはできないしごとでした。
思えばこの彫刻刀は小学校で使うために貰った物、間違えて学友のものが一本入れ替わり、そのままになっている。
囲炉裏にむかって火を感じながらものづくりするのはたのしい。どこかなつかしい時間がもうひとつ重なってくる気がする。アイヌの男たちが夜な夜な囲炉裏の前でこしらえものをしたのもむべなるかな、あのすばらしい彫刻は、火を囲んだあたたかい家族のなかで、そして自然のありがたみのなかで生みだされていったのだ。

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ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ? (2007.06.11)
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その店で千円で買ったナイフが、いま山の生活でとても役に立っている。もともと鑢(やすり)だったものを鍛えなおして小刀にしてある、と鑑定眼のたしかな龍の字が言う。なるほど、よく見ると中心部分に細かい平行線の鑢の目が、うっすらと残っている。鉄が貴重だった頃に作ったものか、はたまた古くなった鑢を再利用で打ったものか、柄や鞘の拵えが素人っぽいので、名の無いものであることはまちがいない。
切れ味はとても良くて、木を削って木工細工をするにも鹿の皮を剥ぐにも大事な相棒なのだが、使い続けていると鞘がこうなっていたらもっといいとか、柄がこんな形だったらこういうとき力が入りやすいとか、いろいろと工夫したい欲が出てくる。もらった端材で手ごろな板もあることだし、暇をみながら鞘ごしらえを始める。

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