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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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春のけものたち
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    三寒四温でまだまだ冷え込む日もあって、今日などはかるく雪が舞ったりしているけれど、ここらの気候としては四月の始めの降雪も珍しくないこと、全体としては確実に暖かくなってきている。地面から草が顔を出し、虫が飛び交い鶯も鳴き、鹿の声も頻繁に聞こえるようになった。
    春は、生まれて間もない生きものたちの初々しいエネルギーが感じられて、なんだか楽しい。冬のあいだにためておいたちからを開放、花開かせていて、みづみづしく大気にとけてのぼっていくようだ。

    ある昼間、近所のひとが向かいの斜面を見ながらなにか声をかけてきた。かもしかだ。部落内で飼われている犬が追い込んでしまったそうで、コンクリーを吹き付けた急傾斜のてっぺんで退路を断たれ、立ち往生している。適当に離れて吠えているくだんの犬は猟用ではなく、遊びのつもりなのだろうから、しばらくすれば関心をなくして去っていくだろう。
    野次馬根性でかもしかどのに申し訳ないが、近くまで行って写真を撮った。あまり近づきすぎて脅かして、恐慌のあげく斜面を落ちて怪我をしたりしては悪いから、距離を気をつけながら撮影する。


    少しばかり小柄な気がする。まだ若いやつだろうか。角はしっかりと生えているが、かもしかの角は生後どれくらいで生えるのか知らないので年の推測が出来ない。でも一匹の犬に追い込まれて逃げ場を失ってしまうなんて経験豊富な個体にはないような気がするから、たぶんさほどの年ではないのだろう。
    二時間ほどして見てみると、犬も吠えていずかもしかの姿も見えず、無事に自由をとりもどしたようだ。


    春は若くて幼い季節、車の恐さを知らないけものが道ばたでのんびりしていることも多く、夕方や夜の運転はそんなかれらに出くわさないか楽しみでもある。案の定、日暮れの帰路に子鹿が二頭やってきた。
    ヘッドライトは上げたままで車を止めて、好奇心旺盛な顔を近づけてくるのを待ちかまえる。



    車のにおいを嗅ぎ、不思議そうに車内を覗き込み、なんだコイツは、なにやらわからんといった体でトコトコと山林に戻っていく。

    車なしで歩いていたら、もっとちかいふれあいが出来るのかなぁ。それとも人間だってことがバレバレで、かえって近寄ってくれないか。
    かれらと同じように自分のあしで大地を歩きながら、顔見知りになってゆきたいと思うのである。
    | いきもの | 20:25 | comments(4) | trackbacks(1) | - | - |
    コメント
    こんばんは。久々にコメントさせていただきます。

    この記事と写真を拝見して、考えさせられたことがありましたので、自分のところのブログで記事にしました。

    この記事の内容自体とは直接関係はありませんが、記事中にリンクを貼らせていただいたので、トラックバックさせていただきますね。
    | alphecca | 2007/04/10 12:59 AM |

    alpheccaさん、いらっしゃいませ。トラバありがとうございます。ブログ、早速拝読いたしました。

    環境問題――自然との付き合い方は命がけ、そのとおりだと思います。
    でも、命を無駄にしないことこそ、命がけなのでしょう。
    いま熊やまむしと不意の遭遇をしたらどうしよう、どうしたらいいかわからない、受け入れられない、という時は、遭遇しないようにするのが最善です。こういう怖さはごく自然なもので、どんな生きものにだってあると思います。

    身の危険を回避することが最優先、という時期は、つまりまだ自分は生き切っていないということを自分できちんと知っているということですから。
    まず、いま持っているいのちを思いっきり生きること、いのちを体でわかること。それが始まりです。

    おれも、長い長いあいだ机上(頭中)で考えるだけの体現出来ない時間を過ごしました。もどかしくきつい日々でしたが、思い続けることが必ず良い結果へと繋がるはずだと信じて通り過ぎてきました。
    あるとき、理屈ではなく解るようになっていて、自分がなにをしていくのか体でしっているという感じになりました。峠を越えた、ということだと思います。
    そこからまた、新しい一歩が始まったのですが、それはそれまでの机上の日々と違って生の感覚をともなうものでした。頭もこころもとてもクリアーになった、と言えると思います。

    自然との付き合い方。
    ひょっとすると、先人たちはニンゲンがいつかこうなることを予感していたのかもしれません。それで自然(ニンゲン以外)に対してどう付き合っていくのか、多くの神話を遺すことでおれたちにヒント(戒め?)を与えたのかもしれません。

    目標地はまだまだとおく、もどかしさを感じないわけではありませんが、いまの自分に出来ることをひとつひとつやっていき、そして出来ることを少しずつふやしてゆきましょう。ひとつひとつを味わい、楽しみながら。

    これからもよろしくお願いします。
    | 大口のま | 2007/04/10 7:26 AM |

    大口のまさん、こんにちは。
     先日、知人の家の庭に車を停めて中にいると、タヌキが3匹やって来ました。こちらに気づいていない様子で、のんびりとリラックスした足取りで目の前を通り過ぎていきました。じっくりと観察するには、サファリパークのように車内にいる方が良いのかもしれませんね。
     逆に、1対1の状態で動物と出会った時には、かなりの間合いができます。お互いがあらかじめ存在を感じ取るためなのかもしれません。出会い頭に遭遇するということは、ほとんど経験したことはありませんね。

     動物との距離を感じ取るということも、自然とのつきあい方を身につける1つの方法なのではないかと感じました。
    | senang | 2007/04/10 5:16 PM |

    senangさんこんばんは。
    今日は帰りがとくに晩かったので、おかげで家に着くまでの道のりで十ウン頭の鹿たちを見ました。

    車に入っていると人間に気づきにくいのは確かなようです。単身歩いている時に遭遇する時は、鹿であれ猪であれもっと早くこちらに気づいて間合いをとっています。風に乗って来るにおいや音を、人のものだとよく把握しているのでしょう。だから自動車に近寄ってくるのは生まれて間もない子どもだけで、夏が来ることにはみんなあまり近づかないうちにこちらのことを把握するようになっています。

    どのくらいの間合いの時どんな応対をするかということを野生のものたちはわかっていますが、たいていの場合人間のほうがわかっていないので、けものたちも戸惑うようです。出会い頭の遭遇の時はその距離に合った対応の仕方があるのですが、ふつうそんなに近づくまえに野生の彼らのほうが気づきますね。

    種族によってさまざまですが、たとえばすずめ蜂の場合、巣の近くにひとが近づいてくると斥候がひとりやってきて、観察します。害意を持っているものかどうか、何しに来たのかなど把握しに着ているのでしょう。怖がると、害意がなくても攻撃してきたりします。怖がるというのは野生の世界ではあるメッセージなのですが、人や家畜の場合、こういうルールを忘れてしまっているので誤解されてしまうのですね。

    間合い、つまり空間時間の距離の長短にはそれぞれ意味があるので、それをもう一度学びなおして身につけることが必要なのだと思っています。

    野生のものたちは鷹揚で、間合いがわからないニンゲンがしどろもどろしていても待っていてくれます。害意さえなければ、結構面白がって、弟妹をみるようにつきあってくれてるみたいです。
    | 大口のま | 2007/04/11 2:14 AM |

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    自然との付き合い方
    他の方のブログを拝読して、その記事にインスパイアされることもよくあるのだが、今日は大口のまさんのブログの記事を読んで、自分たち現代人が、人間としていかに異常な生活をしているかということをしみじみ感じたので、それについて書いてみたい。 中沢新一の『
    | 縄文の風、たましいのこえ | 2007/04/10 12:56 AM |