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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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体が求めるもの
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    山へ柴刈りに行った。春の風で落ちた枝や、倒れた枯れ樹などを狩りに行こう行こうと思いながらも、暖かくなって囲炉裏を燃さなくてもしのげるようになるのでどうしてもほかの仕事を優先してしまい、なかなか行かれずにいたのだ。
    煮炊きのためなら薪よりも柴のほうがいいので、ほんとうなら枝拾いの柴刈りを急いだほうがいいのだが、今日は薪を運んで力仕事で体を動かしたい気分なので、鋸を持って倒木を拾いに行く。

    〜の気分、と一口に言っても、どうでもいい気楽なことがらではなく、体が欲しがっている、必要としている、と言い直そう。ここのところあまり体力仕事をすることが出来なかったせいか、運動しないと気分の良くないおれとしてはいっちょおもいきり体力を使って身体の掃除、リフレッシュが必要だと感じていたのだ。
    生来運動好きで、身体の状態の観察を子供時分からしていること、また武術をしていることもあり、体の不調によっては運動によって身心をほぐすことが効果あることを経験で知っている。とくに頭を使うことで疲れたときは、運動が薬、と演武の形の練習に励んだりする。動きを追求していくことで肉体と精神とがクリアーになることを感じ取る。

    じいさまが曹洞宗の修行僧だったこともあり、経を習わぬ門前の小僧ではあるが、禅に関心を持ち続けている。その求める境地がなんなのかわかっているわけではないが、冥想することで自身のこころの奥の声を聞くことが目的の一つだと思っている。
    普段様ざまなことを考え過ぎるほど考えなければいけなくなっている現代人は、ぽっかりと空白になる時間を、頭もこころも整理しおちつかせる時をなかなかもてなくなってしまっていると思う。
    雑念を払い、夜の湖面のように静かな精神(心)で自分の奥底の声に耳をかたむけてみると、こころが求めるもの、体が求めるものがわかってくるはずだ。

    短気で大雑把なおれは、じっとしている静の状態より、いっそう動こうとする動の体のほうがこころが落ち着いていく。身体を静かにし心も静かにする座禅は、もっともっと年経らないとできそうもないが、動体のなかに静心をみいだしてゆく工程の中で、自分の体と心が求めているものがなんなのか、わずかずつ理解してきていることを覚える。

    体と心、二つのものは繋がっていて、互いに補い合いながら存在している。この二つのものが大もとの根となって意識があり、思考がある。
    けれども意識や思考ばかりを兎に角しなくてはならない慌しい過ごし方を続けていると、体の声も心の声も聞こえなくなってしまって本当は心体とも求めていない行動をしていってしまうことが、人の世にはままあるよなぁ。

    体の求めるものが満たされない時は、いらいらしたり、体調が悪くなったり、病を呼び寄せることになってしまう。顕在意識で忙しく急がしくしているわれわれは、地球と繋がっている体の声を聞くことができず、自分がなにを求めているのか判らなくなってしまうのだろう。

    ひとの体は地球で出来ていて、こころは、体を通して地球を含む宇宙から出来ている。だから自分の体と心をわかっていくということは、自然界や宇宙のことをわかっていくことへと繋がっている。
    地球という巨きな樹の一つの細胞として存在するひとが自分のことをわかっていくその工程は、地球のことをわかっていくことへと繋がっている。


    鳥のさえずりがこだまする山の中で、鋸をふるうことに専念し、切られていく枯れ樹の感覚を感じとりながら身体を動かしていると、そんなことがらが、思いをよぎっていった。







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