SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
RECOMMEND
ニングル
ニングル (JUGEMレビュー »)
倉本 聡
「あんた方人間はどんどん大きくなる。大きく、偉大に、滅亡へと走っている。」・・・・・・
森と生き、地球の鼓動とともに生きるニングル。人間が自然界へ向けて暴挙を繰りだすとき、ニングルの声が聞こえてくる。
人が、ヤイカムイ(怪物)とならないために。
RECOMMEND
静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族
静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族 (JUGEMレビュー »)
花崎 皋平
北海道の名付け親となった松浦武四郎を追って、アイヌモシリ(アイヌの大地)の歴史をたどる。先住民の側から見た歴史書。
RECOMMEND
インディアンの言葉
インディアンの言葉 (JUGEMレビュー »)
ミッシェル ピクマル, 中沢 新一, エドワード・S. カーティス
素朴でちからづよい言葉の中に、ほんとうの生きかたを導いていく精霊が込められています。エドワード・S・カーティスの撮影したネイティブの肖像とともに、何度でも紐解いて、いま自分が立っているところを確認させてくれる本です。
RECOMMEND
日本語とアイヌ語
日本語とアイヌ語 (JUGEMレビュー »)
片山 龍峯
「日本」人がアイヌと同系民族だということはことばからもわかります。伝統を忘れていない同族から学び、根っこを呼び覚まそう。
RECOMMEND
聖なる輪の教え
聖なる輪の教え (JUGEMレビュー »)
ヘェメヨースツ ストーム, Hyemeyohsts Storm, 阿部 珠理
ジャンピング・マウスのものがたりをはじめ、シャイアンの教えを、そしていまのひとびとのゆくすえを、わたしたちに伝えてくれます。
RECOMMEND
オオカミと人間
オオカミと人間 (JUGEMレビュー »)
バリー・ホルスタン・ロペス, 中村 妙子, 岩原 明子
狼を知ることは人を知ること。狼とともに生きるか、殺して生きるか、それは自然とのつきあい方の顕れです。なぜなら、狼はヒトにとって一番近い兄弟だから。
RECOMMEND
アイヌの民具
アイヌの民具 (JUGEMレビュー »)
萱野 茂
民具の紹介にとどまらず、自然に生きるアイヌの生活術と文化を教えてくれる本です。
RECOMMEND
生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ
生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ (JUGEMレビュー »)
コエンエルカ
シャイアン族のなかで育ち、狼と生きる、タシナ・ワンブリさんの呼びかけ。
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM

09
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--
山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

<< 収穫 | main | ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ? >>
蜂の分家
0
    よく晴れた気持ちのいい春の一日。毎年この時期には蜂が分家する。今年もその現場に立ち会うことができた。

    近所の山小師(ヤマオジ)は蜂箱をいくつももっていて、畑や山の斜面などに設置している。雨風に晒されにくい場所を選んで、じっさいこの山村ではあちらこちらに沢山の蜂箱が置いてある。
    今年も山小師が、空いている蜂箱を念入りに掃除しているのを見た。一つの箱にはすでに蜂の一家が居ついているが、他の箱にも移ってもらいたくて毎年手入れをおこたらない。昨年も、その前年も、蜂が飛びながら、いまだ他の持ち箱には入っていないようだ。

    新しい女王蜂とその一群は、この時期のすがすがしい晴れた日を選んで一斉に飛び発ち、生家を出る。五月の色濃い日光に照らされた黄色い蜂たちがうなりを揚げて飛び交っているのは、ちょっとした見ものだ。




    うなる蜂群は、しばらくした後ゆっくりとそのかたまりのまま移動して沢の方へ行ったが、山小師の設置してある空いた蜂箱には入らなかったようだ。

    山小師や熊つぁんに聞いた話。
    数十年前までは、蜂蜜を採って山々を渡り歩いているひとびとがいたそうだ。花が咲く時期は地域によって少しずつ異なる。だから巣箱に蜂蜜が溜まる時期も、季節のうつろいにあわせて山から山へ、その流れを追って各地で蜂蜜採りをしながらそれを売ってなりわいにしているひと達がいた。

    しかし、山々の樹々が人の手によって大量に伐られ、自然の循環のリズムがくずされていくなかで花、蜂、そしてそれらに繋がるものたちのバランスはゆらいでいった。大地の恵みの花の蜜、それを享受した蜂蜜というめぐみは、今はわずかしかなくなった。蜂蜜採りの渡りのひとびとは消えた。

    欧州の縄文人・ケルトの血を濃くひくC・W・ニコル氏の一文を思い出す。
    「樹齢200年の栃の樹一本で、1シーズン平均して時価にして卸値で3万円から4万円の蜂蜜が生産できる。ところがその同じ木を切り倒し、パルプに加工したとしたら、せいぜい1万円にもならないばかりか、それっきりで終わりである。ずいぶんと非効果的な話ではないか。」(1989年 『TREE』より。文中「トチノキ」を「栃の樹」と書き換えました――大口)

    人間の利用の面だけで見てもこんな具合。金銭換算の数字にすると見え易いのかもしれないが、ほんとうには、蜂蜜に繋がる種々様々の恩恵の数かずが、一本の樹の伐採でこの大地から消える。

    こんなことがずいぶんと繰り返されている。山も、川も、湖も、草原も、海も。
    自分たちのことを考えて資源、資源と駆けずり回り、それを確保とダムを作り、地を掘り、次々と機械を発案しても、大地のバランスには遠くおよばない。何億年と生き抜いてきた、大地の掟(法則)には。







    記事に書こうとそんなことを考えつつ薪を割っている翌日、いっぴきの蜜蜂がまとわりついて、肩や腕やらにとまって
    はなれない。一息入れて、斧振る手にカメラを持ち替え、小さな撮影会をおこなった。
    | いきもの | 06:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    http://norabu-blog.okutano.net/trackback/559391
    トラックバック