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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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夜と 火と 縄文と
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    榛東村の耳飾り館へ耳飾り作りの体験に行った。二度目の訪問である。
    このブログにコメントを書いてくれているorbitさんに会えて、また学芸員の方の縄文に対する熱意と共感に感動のようなこころもちをを覚えて、縄文時代や石器時代の話をあれこれとし、楽しいひとときでした。今回作った耳飾りを野焼きする七月も楽しみである。

    縄文土器を知れば知るほど、その精巧さに舌を巻く。自分が土器(陶器)づくりのはしくれであることもあり、粘土の扱いの難しさや、高温の炎をあやつって土を焼き上げることを身をもって知っている。縄文時代のひとのそれらの能力は、ひとがなしうる業(わざ)として最高レベルのものだと思う。
    ただ技術のみのことではない。その造形美はいままで見たどんな物よりも優れていて、常に新しさをもっている。
    ・・・まぁこれはおれの主観ではあるけれども。




    その日は榛名山山麓の適当な森の中でキャンプする。野生の勘にものをいわせて絶好の野宿場所を探す、と言いたいところだけれど、車で移動している身ではおのづと限度があり、場所さがしになかなか手間取ったことは確かだ。
    それでも好い場所を見つけた。さっそくテントを張る。山登りをしていた父から貰ったテントは旧式で、放浪のハーモニカ吹き、スヌスムムリクになった気分を味わえて、気に入っている。


    思ったより寒くはない。というよりうちの部落が思っているより寒いということか。日もまだ暮れぬ明るい夕方に、燃し木を集めて火を起こし、持ってきた鹿肉を調理して夕餉の支度だ。

    念のため大きめの鉈を持ってきていたのだが、あたりには落ち枝が散乱しているので、渇いた良い柴だけ選んで集めてもすぐ山積みになった。
    火を囲んで食事をするのは囲炉裏を使っている我が家では日常のこと、だが、屋根も壁もない、ぢかの大気にふれて夜をむかえるのは、なんともいえず新鮮だ。

    平原インディアンがそうであったように、縄文時代のひとびとも、天気のよい暖かい夜には邑(むら)のみんなで焚き火を囲んで食事をしたのだろう。一日を終えた感慨をみなで味わいながら、陽(あか)るい昼間が陰(かげ)の夜へと入れ替わる時を、どのような気持ちで過ごしたのだろうか。

    夜の闇が怖い、という気持ちは、おれにもある。都会に暮らしていた子供の頃とは比べものにならないほど稀釈されているとしても、夜闇を怖れる部分は心から消えはしない。

    だが、自然界の夜は明るい。月がなくとも星の光か、あるいは太陽の残り陽か、街に居るときよりも明るいのだ。夜鷹が鳴き、蟲の声がする。生まれたての夜に活発に動き出しはじめる生きものたちの、夜行性の時間だ。




    焚き火の煙をよけて風上にいるとき、木立の向こうに物音を聞いた。
    草を分ける規則的な音はゆるぎない確かな力強さをつたえ、大動物であることを明らかにしている。右へ左へと往復しながら近づいた後、足を止めてこちらを窺っている。ブルルルル、という鼻音は、彼も興奮しているということなのか。

    猪にかぎらず野生のけものたちは、無用な争いを好まない。恐怖に打ち克つ強靭な抑制力と度量をもっている。
    しかし、身を守るため、大切なものを守るために戦うことを決意すれば、一片の迷いもなく襲撃をおこなう勇猛果敢な戦士(もののふ)となる。

    彼が向かって来たら、おれは的確に対処できるのか? 自分が傷つかないだけでなく、守るべきものを守ることができるのか? 
    怖さがある。場数を踏んでいないおのれが恨めしい。彼のことをよく知り、また自分の能力のほどをよく知っているならば、恐れることなく持てるちからのすべてを発動させるだけであるものを。一瞬の判断を違えることなく行動できる裏付けある自信が、いまはない。

    おれにはわずかな葉影しか見えない闇の中で、猪の音が遠ざかっていったとき、安堵を覚えたといわねばならない。
    他人にむかってなら虚勢を張ることができても、自分の内の余裕の無さは、隠しようもなく自分自身がよく知っている。

    森の中が怖い、自然の中が怖い、それでいいのですよ、と、タシナさんは言った。ひとは、自然界を怖れるのだ、と。
    むしろ、その、畏れる気持ちがなくなったとき、とても危険であやうい存在になる。

    しかしあのひとは、こうも言った。
    わたしはわたしが自然界のことを恐いと思うようになることが、おそろしい。人間の街に馴れて、自然を恐がるようになってしまうことが。


    野宿をしていると、たとえテントを張っているにしても、家という空間は守られていて安心できる場所であるということを思い知る。家の中にいれば、獣が近づいてくることを警戒しなくていい。毒虫が這ってきたり木の枝から落ちてくることを心配しなくていい。寝ている間に体が冷え過ぎないよう気遣うこともない。
    けれどもそうやって安心の中にのみ生きることを、本当にひとは望んでいるのだろうか。夜の恐さ、夜の危機を乗りきるために、仲間とともにいること、自分がつよくなること、それらをめざして日々をつちかっていたのが、縄文の、野生の時代だったのではないだろうか。
    そこには、鮮烈で、素直で、感情をほとばしらせてちからを用い、真剣に自分の作業に打ち込み、いまいきていること、いのちをあたえてくれたもの、それをつたえてゆきたいものへの思いがあふれていたと思う。


    明るい夜を背景に、真っ黒に姿を映す木立ち、その樹木のシルエットを縫って、月が昇ってきた。
    焚き火の橙とそっくりの、にぶいやわらかな色の十六夜(いざよい)だった。
    この月とおなじ月を見、おなじ炎の色を見ていた縄文人のその耳には、夜鳥の叫びや猪の唸り声は、どう、聞こえていたのだろう。




    翌朝、鳥の声とまばゆい朝の明るさで目が覚めたとき、夜を通して暖かかった大気と、朝露がほとんどなく濡れずにすんだことに嬉しい驚きを味わった。やはり我が家がある部落はそうとう標高のある、水気のおおい山中のようだ。
    うすい雲は晴れる気配を感じさせ、今日もあたたかい好い日であることを伝えてくれる。
    陽は、まだ昇らない。





    | | 08:01 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
    お会いできて良かったです。
    楽しいひとときでした。
    キャンプは良いですね。
    子どもが小さな頃はのまさんと同じような車であちこち出掛けたものです。
    中里村の川原に泊まったこともあったなぁ。
    今度は野焼きの時に会えますね。
    土器をどう焼くのか、これもまたいろいろと考えさせてくれます。

    | orbit | 2007/06/20 12:10 AM |

    orbitさん、こんばんは。
    こちらこそお会いできて楽しかったです。これからもっといろんな話ができること、楽しみにしています。

    テントのキャンプもいいですが、そのうちマタギやアイヌの狩人のように即席の仮小屋を作っての野宿もしたいところです。縄文人も、そんな風にしながら各地をおとづれたのでしょうね。
    そうやって自分の足であちこちと歩くことで、縄文人の考え方や見ていたものをもっと知っていきたいものです。やっぱり自分も彼らとおなしことをするのが、一番わかることができますものね。

    そんな理由で、野焼きも楽しみにしています。野焼きの経験はあまりないので、一から教えてください。
    考えていることは沢山あるのですが、さて、それはお会いした時にご意見たまわりたいと思います。

    これからもよろしくお願いいたします。
    | 大口のま | 2007/06/20 11:05 PM |

    大口のまさん、こんばんは。
    縄文ライフの探究、進んでおられるようですね。

    最近はブログなどを通じての友人も増えてきましたが、皆さん、わたしにはとてもできないようなことをなさっているようで、感心しています(大口のまさんも含めて)。
    皆さんがなさっていることはそれぞれ一見違うのですが、その根底にあるのは「縄文スピリッツ」とも言える共通したものなんだなあ、とも感じています。

    わたしには大口のまさんのように、山に住んで縄文人がしていたことを再現するようなことはできませんが、「都市部に住んで精神を病んだりして生き恥を晒しながら、都市部に縄文スピリッツを復活させるのが自分の役目なのかもしれない」などと最近思うようになりました。

    縄文スピリッツを持つ人のネットワークは確実に広がりつつあるようです。
    mixiにもそういうコミュニティがいくつかありましたしね。
    大口のまさんがなさっていることも、これからの日本や世界に確実に影響を与えてゆくことでしょう。
    今後の記事にも期待しています。
    | alphecca | 2007/06/21 10:45 PM |

    alpheccaさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

    ブログでは、描き出そうと思っている趣旨に沿って関係あることだけを書いていますので、「縄文ライフ」が進んでいるように見えるかも知れません。でも、わりと普通な現代人の面も多いんですよ。

    大事なのは、こころのなかに何を描き、何を目指して行くかということで、自分にできること、したいことをきちんと把握して地道に歩いていれば、いつのまにか納得できる景色のなかを進んでいるのだと思います。縁もうまれるし。

    おれの場合はとにかく自然の中ですごさないといられないので、それを最優先していままできましたが、ひとに因ってルートはさまざまで、自分に合った道を歩いていれば、いづれの道も最終的には頂きに向かっているのでしょう。おなじ縄文スピリッツを目指す山ならば、縁を呼び、類を呼び、でも独自の道で、景色を楽しんでゆきたいものです。
    そんな旅の途中に軌跡を交えた共通のスピリッツをもつものと、見てきた景色を語り合い、影響を受けるのは楽しいもので、そして学びです。

    宮本武蔵の五輪書で「空の巻」が一番好きなのですが、輪の中心=空、とする、インディアンのメディスンホイールの世界観によく似ています。
    『勿論空はなきなり、ある所をしりてなき所をしる』『ただしく明らかに、大きなる所をおもひとって、空を道とし、道を空と見る所也』

    生きている身のあるうちは存分に道を歩いて足跡をつくりましょう。それは見えざる縄文スピリットの顕われのひとつづつですから。

    alpheccaさんの記事もとても面白く、示唆を受けながら読んでいます。これからもよろしくお願いいたします。
    | 大口のま | 2007/06/22 10:44 PM |

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