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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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鋸(のこぎり)の目砥ぎ
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    暖かい日が増えていろいろな花が咲き、野草も食べ頃の種類が増えてきた。火を燃さなくても過ごせることもあるくらいだが、やはり囲炉裏に火が入るのはこころなごむし、料理も美味しい。火を燃す生活を楽しんでいる。

    冬に比べれば消費する薪はぐっと減ったけど、今年こそは秋までに一冬分の薪を用意しておきたい。毎年果たせずにいる念願に挑むのは、もはや日課ならぬ年課のようになってしまった。

    昨年山小師(やまおじ)から教わって、少しだけ実行していた鋸の目研ぎを、おさらいを兼ねてもう一度やってみた。目研ぎを教わったついで?にもらってしまった二丁の鋸は、冬をまたいで大活躍してくれた今、切れ味が落ちて目研ぎを待っている。


    山小師に貰ったお古の鑢(やすり)より一回り小さい鑢を用意しておいた。付けた柄は、ナイフ作りにあたって模索しているマキリ風柄の試作品。実際にナイフの柄にできるほどの強度のない木を使ったのだが、鑢の柄としては充分だと思う。



    さて開始。初めて独りで目研ぎをするので、教わったことをきちんと覚えているかどうか、ちょっぴり不安でもある。
    まずはギザギザになっている刃の部分を、右面、左面と二回に分けて磨(す)っていく。

    ギザギザになっている山の、柄に向かっている側が刃で、一つの山ごとに右刃、左刃、と片刃が交互になっている。目研ぎのときは左右どちらかの刃を順番に磨っていく、つまり山を一つ飛ばしに、同じ面に向いている片刃を磨っていく。
    磨るとき鋸がブレないように、丸太に浅く入れた切れ目に鋸の峰を設置して安定させる。



    新品の鑢はよく研げる。地元のひとのことばで “ノリがいい”と言うように、吸い付くような手ごたえで鑢が刃を磨っているのがわかる。
    合金製の鋸と違い、山小師にもらった鋼の刃は柔軟性をもち、鍛えられて薄く、素直に目を研がれる感触が心地いい。

    片面の刃を磨り終えたら裏返し、反対の面をまた山一つ飛びに磨っていく。

    刃を全部磨り終えたら刃の反対側、つまり山の背中側を磨っていく。ここは使用時に木に当たるわけではないけれど、ここを磨ることで刃の高さ大きさを一定に保ち、長く使える役割を果たすのかも知れない。
    山小師の教え方は理屈をあれこれ言わない。実際に手を動かしながら、ポツリポツリとコツを語ってくれる昔風のやりかただ。実際に自分がやってゆきながら身につけていけば、おのずとその役割がわかってくるのだろう。

    背側の磨り方も刃を磨るのと同様で、山一つ越えの、右の面、左の面と磨っていく。違うのは、せっかく磨り終えてある刃の部分に、不用意に鑢を当ててしまって刃を鈍らせないよう気をつけること。しかしこれがなかなか難しく、鑢を鋸の目にあてて押し磨るときにしばしば刃に当ててしまう。経験を積んでいけば力加減を呑み込んで、無駄に鑢をブレさせることなく滑らかに磨っていけるのだろうけど、なかなか思うようにいかない。

    磨るときの角度も大事だ。鋸に対して45度がちょうどいいと思うのだけど、沢山ある刃をみんな同しようにするのは一朝一夕ではできない技だ。

    日の光に照らされて輝く真新しい研ぎ面を見分けながら、丁寧に一つ一つを磨っていく。



    刃の背を磨り終えたら、山のてっぺんを磨る最後の工程にとりかかる。


    この山のてっぺんを磨ることは、山一つ一つの頂きを平らにして高さをそろえるという役割がある。それぞれの刃に均等に力がかかるようにするためには、頂きの高さが同じでないといけない。高い山があったりすると、その山だけに力が余計にかかって引っ掛かってしまい、非常に使いづらい状態となるのだ。

    またこの工程の時に、鑢の押し磨る力で刃を僅かに曲げ、外側へ向かわせるという意味もあるようだ。刃が鋸の面より内側にあるのでは、しっかりと木に当たることができない。木にはまず刃が当たってこそ、伐れる。つまり鋸の厚みより太い幅で伐ることができるようになっている。これを“あさり”というそうだ。“あさり”により木の切断面と鋸との摩擦が減り、また木屑を出し易くもなるという。
    そしてこれも、均等に力がかかるためには皆同じくらいの加減で外側に曲がるようにする。



    こうすることで、上の写真のように刃の山は一つおきに右、左、と僅かに外側へ傾いている。刃の背の部分は磨って削られているため肩が落ち、V 字の谷間を作ることになる。
    この谷間に針を乗せると、ススーッと針が滑っていくように磨れれば一番なんだ、と山小師は語った。自分もそう、教わったと。
    そして、そんな風に上手には、なかなか磨れない、と声をたてて笑った。


    さっそく、切れ味を試してみる。思いのほかきちんと研げていたようで、手ごたえも快く、ぐいぐいと伐っていける。


    柔らかい鋼はしなるせいか、まっすぐ伐るのは難しい。 伐っているうちにだんだんと左によって曲がってしまうのだ。もう一つの鋸を使ったときは右へと曲がるので、鋸を引く力加減が原因ではなくて、目砥ぎのときの刃の加減なのだろう。



    最近、鋸を使うのがますます楽しい。単純な動作に奥深い術を見出せるのだ。
    道具を使いこなしていくこと、そしてその道具の手入れができるようになることが、嬉しい。

    ナイフの柄作りも全然進んでいないけど、鋸の柄、鑢の柄も、工夫しながら作りたくなってきた。

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    | | 18:07 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    コメント
     お久し振り、イルイケエアシカイクルです(「エアシカイ」は余分かも知れませんが)。
     以前、宮崎県の里山に半年ほど滞在したことがあります。最初は温州みかん畑の剪定作業、その後は、大工さんたちの下働きをしました。

     剪定を教えてくれた方は当時八十代、大工さんのリーダーは七十代、共に鋸の目立てが出来る人で、多少の違いはありましたが、このお二人から習いました。
     でも、やっぱり難しいし、時間も掛かるので、それ以来やっていません。今では、もう出来ないでしょう。
     パン切り用の波型包丁や、チェーン・ソーなら、鋸より簡単に丸やすりで出来るのですが、こちらも機会が無いので殆どやっていません。
     神奈川の自然塾に頻繁に顔を出していた頃は、手作り窯で天然酵母のパン作りをやっていたし、チェーン・ソーも頻繁に使っていたのですが、今は街中で暮らしています。道具も生活が変わると使わなくなるものがあり、手入れの必要も無くなってしまうんです。
     大口さんの生活は自然の中ですので、益々、技術を磨いていかれるでしょう。今後も興味深い内容、是非、読ませて下さい。
     
    | イルイケエアシカイクル | 2008/04/27 10:48 PM |

    イルイケエアシカイクル、ご無沙汰しています。その節はお世話になり、どうもありがとうございました。

    コメントありがとうございます。イルイケエアシカイクルらしいお話しですね。読み進みながら、お元気な様子が目に浮かぶようです。
    二年前まではチェーン・ソーを使っていましたから、丸鑢での目砥ぎも少しやりました。でも、パン切り包丁の波型刃は難しそうです・・・。どうやって研ぐのか、見当もつきません。

    刃物というのはすごいちからを持った道具だな、と前々から感じていましたが、山暮らしをしていてなおのこと、実感することが多くなっています。それだけに、上手に手入れできるようになり、また正しい使い方を身につけたいものです。鹿の解体のときも、ナイフさばき一つで結果がいろいろと変わるような気がします。荘子の故事『包丁』のことを思いながら、また記事に書きますね。
    大量生産があたりまえの現代社会では、道具を使いこなすよりも新しい“より便利な”道具を開発することが優先している感があります。使いこなす暇もない、というような。
    でも、道具をつかうこの身体をまず使いこなせないと、ほんとうの意味で道具を使いこなしていくことはできない気がするのですね。
    道具を作り、使っていけることは素晴しいことだと思います。そして同時に、おそろしいことでもあると思うのです。

    縄文時代やアイヌのひとびとの、道具へ向けたこころや姿勢と、現代へと続いている量産文明のなかでの道具と、大きく違うものがあると思います。そんな気持ちで、次回は古代製鉄技法の実験を見学したときのことを書こうと思っています。
    よろしくお願いいたします。

    ※イルイケエアシカイクルは、カテゴリーものづくり「マキリを手にする 模様を感じる」で登場してもらいました。彼の紹介してくれたアイヌの道具をご覧ください。http://norabu-blog.okutano.net/?eid=632941
    | 大口のま | 2008/04/30 10:57 AM |

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