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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

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タシュンカ・ウィトコのことば
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     “狂った新しい道” は亀の大陸の縄文人だ。かれは家族・部族を守るために短い生涯を生き抜いた、自由を愛する戦士だった。

     かれの部族・ラコタの言葉で 「タシュンカ・ウィトコ」 というその名の意味は、直訳すると「狂った馬」となる。 馬はもともと亀の大陸に居なかった生きもので、 白い人の家畜として連れられたものたちが再び野生の大地へと駆け戻って生きるなかで、ラコタやツィスツィスタス等の部族―――平原インディアンと出逢った。誇り高き平原の民はこのはじめてみる足の速い生きものに「不思議な犬(特別なちからをもった犬)」という名を与えた。馬によって平原での暮らしを開始した部族にとって、馬は新しい道の象徴だった。
     タシュンカ・ウィトコの名は父から息子へと受け継がれたものだという。“狂う”という言葉はやまとことばに於いても、尋常でない勢い、人知れぬほどのもの、常軌を逸するほど込められた想い=ちからをあらわしている。タシュンカ・ウィトコ、猛ける馬、と訳してもよかったかもしれない。

     亀の大陸に 「目に見えるものにしか価値を見いださない法」 が隈なく拡げられようとした時代、最後の攻略地がインディアンたちの大平原だった。先祖から受け継ぐ伝統の生き方(それは弓の島の縄文文化と同じもの)を武力策略で破壊してくるその「法」に、大勢の戦士たちがあらがい、死を以ってしてもかれらに「法」を圧し付けることはできなかった。

     “狂った新しい道”の遺したことばが、リンク先のブログ「Native Heart」の記事に掲載された。
    『 守られなかった約束、身勝手な行い、ひとびとの離散・・・いま世界はそうしたものであふれている。 世界は再び光を待ち望んでいる。わたしの目には見える。あらゆる肌の色の人々が、聖なる樹のもとに集い、全地球がいま一度ひとつの輪につながる7世代後の時代が。その日が訪れたあかつきには、人びとのあいだにラコタの者たちがいるだろう。 その者たちは、すべての生きとし生けるものの間を ひとつにまとめあげる理解と知識を運んでいる。若い白人たちがそうしたわが一族の者たちのところを訪れてこの知恵を求めるだろう。わたしは、全世界を写し出すあなたの瞳の内側に宿る
    光に、敬意をあらわそう。あなたがあなたの内側にある世界の中心にいて、わたしがわたしの内側にある同じ場所にいるなら、われわれはひとつになれるから。 』
       ( 「Native Heart」9月27日の記事から。
          訳したのはブログの管理・製作者
           Kitayama "Smiling Cloud" Kohei  )

     聖なるパイプを交わし、宇宙と自分を結ぶタバコの煙を吸いながら、このことばは“狂った新しい道”の口から生まれたという。かれが殺される4日前のことだった。

     明日死を迎えるかもしれないという戦線の中で、かれの
    こころははるか未来まで、時空間を視とおし、静かだったのだろう。大地というおおきな樹の上に生まれ、そこへ還ってゆく自分の道を たしかに知っていたのだと思う。
     人として死を迎えても、その人生は生きつづける。“狂った新しい道”が守ろうとしたものはいまも生きている。
     同じ大地の上に生きているものとして、おれはかれの魂を尊び、学んでゆく。弓の島のインディアン、縄文の末裔として、聖なる樹をかこむ やま(大地)のひとでありたい。

     1877年9月5日、“狂った新しい道”は殺された。かれが地上で過ごした季節は三十数回を数えていた。



    ※「Native Heart」内、タシュンカ・ウィトコ――“狂った新しい道”関連の記事を以下に挙げます。ただし、かれの名まえの表記をここでは “狂った新しい道” と差し替えました。
         “狂った新しい道”が死んだ日
         “狂った新しい道”を連れ戻しに
         イン・ザ・スピリット・オブ・“狂った新しい道”
         チーフ “狂った新しい道”のことを思いながら
    | 遠吠えと谺 | 10:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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