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山あいで狩猟採集生活を目指す野楽生(のらぶ)のあしあと

野楽生れば

ナイフの鞘づくり
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    東京生まれのおれが山あいの街に引越してきたのは中学一年になる歳だった。関東平野の端っこに位置しているこの街は、むかし江戸まであと一日の、最後の足を休める宿場でもあった。山々を越えてきた旅人がお江戸をのぞんでほっとしたような、大きくはないが親しみやすい街並みがいまものこっている。地元の人は畑をやったり、江戸への材木を筏(いかだ)流ししたり、川や山からの恵みを採ったり獲ったりしていた。
    古いもの、というか、良質な時間を感じられるものが好きで、骨董屋によく出入りしていた。高級品ではなく地元のひとびとが使っていた道具が面白くて、とくにさまざまな刃物を見るのが楽しかった。子供が一人で入り浸るのは珍しいのか、店をやっているおじいさんとおばあさんには顔を覚えられて、「おじいさん、またあのナイフの好きな少年が来たよ」などと日本昔話のようなせりふで迎えられたものである。あとで知ったのだがおじいさんは凄腕の研ぎ師だったようで、時代劇で出てくるような剃刀がガラスのケースに並んでいた。

    その店で千円で買ったナイフが、いま山の生活でとても役に立っている。もともと鑢(やすり)だったものを鍛えなおして小刀にしてある、と鑑定眼のたしかな龍の字が言う。なるほど、よく見ると中心部分に細かい平行線の鑢の目が、うっすらと残っている。鉄が貴重だった頃に作ったものか、はたまた古くなった鑢を再利用で打ったものか、柄や鞘の拵えが素人っぽいので、名の無いものであることはまちがいない。
    切れ味はとても良くて、木を削って木工細工をするにも鹿の皮を剥ぐにも大事な相棒なのだが、使い続けていると鞘がこうなっていたらもっといいとか、柄がこんな形だったらこういうとき力が入りやすいとか、いろいろと工夫したい欲が出てくる。もらった端材で手ごろな板もあることだし、暇をみながら鞘ごしらえを始める。


    本職はもっと効率の良い道具を使うのだろうけど、とりあえず持っている彫刻刀で鞘の中、刃が収まるところを削っていく。気長な作業です。


    鉈の鞘を作ったときと同じ要領であるが、柄を作るのははじめて。目貫もないやすりのナイフなものだから、中心(なかご)を柄に突っ込んで接着するかなぁ、と、まだそれは先の話。鞘の中身を削るのは遅々として、短気な頃のおれにはできないしごとでした。
    思えばこの彫刻刀は小学校で使うために貰った物、間違えて学友のものが一本入れ替わり、そのままになっている。


    囲炉裏にむかって火を感じながらものづくりするのはたのしい。どこかなつかしい時間がもうひとつ重なってくる気がする。アイヌの男たちが夜な夜な囲炉裏の前でこしらえものをしたのもむべなるかな、あのすばらしい彫刻は、火を囲んだあたたかい家族のなかで、そして自然のありがたみのなかで生みだされていったのだ。



    関連記事
    ナイフの柄のかたち マキリのマはマタギのマ? (2007.06.11)
    | ものづくり | 09:26 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
    お正月飾りと神さま
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      昨日はお正月飾りをつくる。
      大晦日につくるのは「一日飾り」と言ってきらうので、十二月三十日に飾り付けする習わしになっている。一応門松なのかも知れないが、この部落では昔から竹と檜にしめ縄を張ってつくっている。最初に山小師から教わったときは檜ももらっていたが、いまは自分で山へ行き、檜の枝を切ってくる。

      木登りには自信があるつもりだが、ひと抱えもある檜の根元近くは枝が落ちていて手掛かりがなく、容易に登れそうもない。かといって丈の低い木から枝をとってしまうのは気の毒なのでできない。手ごろな木を探してうろうろするうちに、斜面を上りきって尾根を歩いていた。

      久しぶりに尾根に来た。

      いつも家の脇に聞こえている沢の水音も、鳥の声も、勿論人家のさわめきも無い。
      冷たい空気に晒された渇いた土と木々たちを、止むことなくゆさぶりつづける風だけがここの世界だ。大地の気配は足下に消え、わずかに残された尾根道だけが地上を感じさせる。おれと木々の周りは空と繋がっている虚空の広がりだ。


      ここを治めるのは人界ではない。

      太古の昔から変わらず吹きつづける、荒涼として飾らず、暖かさも冷たさもひとしく持合わせる風、級長戸の神。
      下界で人が争うとも、まどろむとも、変わることなく吹き荒ぶ無限の繋がりを持ち、そして限りなく空を駆け、行き交う神。

      風が大地に降り、土と水とに出会い、命を生み出す。山のいただきは、命の境目だ。

      畏れを全身に感じつつひとつの木を選び、抱きつくように登って枝をいただく。冷たい風に晒されていても、木は温かい。




      神さま飾り

      神社からいただいた神さまのほかに、今年はヲシテ(ホツマ文字)を使って神符を書いた。山で生きていく上でいちばん尊敬する神の名と、山の神・海の神、宇宙の法則を表す三つの図、星界の代表として北斗七星。そして最後に、一年前の歳の暮れに魂の世界へ旅立って行った猫の本名(マナ)。抜け殻(体)は庭の金木犀の木の下に埋めたけれど、まだこの家のまわりにいるような気がして、けれどもこの世に引き止めたいわけじゃないから位牌ではなく、護ってくれていることへの感謝の気持ちとして、祀ることにした。



      たくさんのいのちが生きている。小さないのちも、いっしょうけんめい生きている。いっしょうけんめい生きて、存在して来ている。

      存在しているということは、大きなちからだ。
      みんな、つよくて、偉大なちからをもっている。

      一日一日の積み重ねが一年となり、年年が積み重なって長いながい時間がつむがれていく。
      切りはなされているものは何もない。自分へと繋がって来たいのち、風も、岩も、光も、自分という「ひと」をとおりぬけて、またたくさんのいのちや、声や、熱となってつむがれていく。

      一日一日は変わらないその日の暮らしでも、夏は秋になり、冬になり、また春となっていく。ただ生きているそのことが、あたらしいいのちを生み、絆をむすび、ゆるやかなしかし大きなうづを巻いて地球というひとつの樹をうかばせている。

      変わらない日日にちょっと区切りをつけて、そんな足元の、同時にはるか頭上の空のかなたのこと(自分が消えてからもながれつづけるはるかな時のむこう)を、呼吸とともに感じてみるのもいいかもしれない。


      ミタクエオヤシン―――わたしに繋がるすべてのものへ
      (時空間をこえて、このブログを観ているみなさんにも)
      健やかで、平和な年をつむぎなしてゆけますように。

      よい、お歳を。
      | ものづくり | 01:12 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
      新しい古い家
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        友人一家が古民家に引っ越すことになった。

        一家には男の子がいて、可愛いい顔立ちのなかに独特の雰囲気をもっている。かの奇抜な竜将の幼少時代を髣髴させるので、梵天丸と呼ぶことにする(でも片目にはならないでね、と祈りを込める)。子どもが梵天丸だから両親の方は、二人でインドにも行ったということだし毘沙門・吉祥天女の夫婦神になぞらえて毘沙さん吉祥さんとあだ名する。

        さて、毘沙さんたちは前から古民家に住みたかったのだがなかなかよい出逢いがなかったらしく、それでも「古い」生活がしたい様子がありありと伝わってきていた。電灯を使わずにランプを灯してみたり、大きな火鉢と炭火で一冬過ごしたり、最近はついに薪ストーブを使用している。
        そんなわけだから、めぐり逢ってとんとん拍子で住むことが決まったその家が、事務所として使われていたことから新建材で内装をし直してあり民家の姿をまったく隠してしまっているとなれば、これは全部はがして元の板敷き・土壁・煤けた梁を取り戻そうと計画を立てた。で、交友関係各位に手伝い募集の声がかかり、大口のま・おかマタギの二者も召集に参加した。

        作業開始にすこし遅れて到着し、車を止めた道路端で荷物を出したりしていると、沢をはさんで木々にかこまれた、くだんの古民家から篠笛の音が響いてきた。ああこれは家を改める開始の合図、そして家と家のまわりの生きものたちへの挨拶だな、とわかった。毘沙さんらしい。

        遅れたせいで事務所スタイルの内装を写真に収めることが出来なかったが、集まった皆にまじってばりばりと壁・天井をはがしていく。


        さらにすこし遅れてカナダ出身の友人もやって来た。かれは日本人の陶芸家の女性と結ばれて現在は大工仕事の勉強中。芸術性に高く、しかも和風の感性をつよく持っている人物だ。カナダの北斎と呼ぼう。
        またまた遅れて魔女登場。このひとは長らく東京で魔女をやっていたのだが、都会の生活はもう沢山、これからは自然の中で身体を使う時代 ! とはりきってこの山国にやって来た。生まれは宮城の矢本というところだそうなので、矢本の魔女と呼ぶ。魔女と言っても童話に出てくるような黒魔術使いではなくて、ケルトや東欧にいきづく自然神と交流するほんとの魔女のこと。

        北斎と魔女さんも、英語を教えに来ている欧米出身の英語教師・小学校の若い先生と一緒に作業に加わる。
        柱、梁、天井から新建材を取り除いていく。北側の壁を一枚はがすと、神棚があらわれた。剥がす前の壁上に別に神棚が祀ってあったので、気づかなかったのだ。予想外の出現に毘沙さんもびっくり。


        古い民家の天井では、梁などが太さの違う木を使っているので、化粧板を貼る前に面(つら)を合わせるため角材を渡してあった。この角材ごとパールで剥がすと石膏板も難なく取り除かれていく。

        燻されて黒光りする梁と天井板が顔を見せ始める。

        玄関では、矢本の魔女さんががんばっていた。戸を這入ると一面をふさいでいた後付の壁をまるごと取り払い、本来の座敷スペースを甦らせる。
        取り払った材木は、自宅の改修に使うからと貰っていっていた。さすが、しっかりしている。


        正午をすこし過ぎてもがんばって、だいぶ本来のこの家の姿に還ってきた。

        沢山の白い丸は、フラッシュをたくとどうしても写ってしまう埃たちである。みんなマスクをつけて、石膏の粉が目に入らないように気をつけながら作業する。
        素人の集まりではあるが、大人数の人海戦術と、なんといってもやる気のある仲間たちである。笑いの絶えない楽しみながらの作業が続く。
        お昼の支度に一生懸命の吉祥さんも、ときどき作業の場に顔を出して進行具合を観察している。みるみる本来の姿を取り戻していく天然木材でできた部屋に、驚きと嬉しさを隠せない様子だった。

        聞いてみるとこの家は築八十年だそうで、この山村の古民家としては新しい。どうりで天井は高く、煤の汚れも立体的なまでには付いていないわけだ。なんでも、この家ができる時は部落のひとたちが全員で手伝って、家を建てる場所をつくるために石垣を積んでいったそうだ。もちろん、家そのものの建造にも皆んなで手を貸しているのだろう。ちょうど、今日こうやって作業のために集まった仲間のように。


        壁と天井の新建材をなくしてきりがついたところで、本日の作業はおしまい、おそい昼食にする。作ってくれたのは吉祥さんとおかマタギ、それからもうひとりの友人、山暮らしがすっかり板についている赤らんだ頬と元気な声をもつ日本版アルプスの少女のようなハイジさんの三人だ。彼女たち料理隊があればこそ、作業陣もお腹の声を我慢してしごとに専念できる。感謝を込めて、自然食のお昼ご飯を食べはじめる。


        食べながらの歓談は、古民家に興味を持つもの同士、話がはずむ。

        身体を動かしていないととたんに冷えてくる。日も傾いてきた部屋に毘沙さんが火鉢で炭火をおこしてくれた。一つは以前にも見たことがある吉祥さんの火鉢で、もう一つはすこし大振りではあるけれど吉祥さんの火鉢とそっくりそのまま同じデザインの火鉢であった。この家にずっと置きっぱなしになっていたそうである。並べてみると夫婦のように見えるこの火鉢たち、毘沙さん吉祥さん一家をこの家に呼びよせるのに一役買ってくれたのかもしれない。


        一日のしごとが終わっても、毘沙さんの頭の中は家の改修で一杯である。南に面する新建材でできてる壁を取り除いたら大きな窓にしよう、とか、薪を使う風呂釜を設置すればガスを使わない生活もできる、など、夢は膨らむ。薪ストーブの引っ越しが終わればまず、天井や壁から剥がされた角材たちが、家を暖める最後のしごとをしてくれるだろう。


        帰る時、車を出す前にもう一度家を見たら、星が光っていた。

        | ものづくり | 18:36 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
        民族衣装
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          中国は雲南省の大理。湖のほとりによこたわるこの古都では、かつて皇帝に献上していた模様のある美しい石を産してい、土地の名を冠して大理石という。
          この細長い街をひとりで旅しているとき、サニ族のおばさんに逢った。サニ族は同じ雲南省でも大理からはほど遠い石林近隣でくらしているのだが、独自の刺繍作品を売る行商であちこち出稼ぎをしているひとたちもいる。大理の道ばたに数人で座って作品を売っている彼女たちと話しているうちになんとなくうちとけて、あした白族の市場に行くんだけど一緒に行かないか? よし、行く。多民族が暮らしている雲南省でも、彩り豊かなサニの民族衣装は人目を引き、市場を見物している彼女たちのほうが白族のおばさんから、それ売らないか、などと言われて、照れたように笑っていた。
          別れる時、北京にある寮の住所を教えておいた。「わたしたちもこんど北京に売りに行く予定なんだ」「じゃあ訪ねて来てね」「おまえは北京までの汽車は何等車に乗るんだ?」「二等の寝台だよ」「ならわたしたちと同じだ!!」「北京に行くのは初めてだ!」お互いなまりのある漢語(中国語)で再開の約束をした。
          北京で会ってあちこち観光したあと、民族衣装の話しをしている時に、持っていたアイヌの服の写真集を見せたところ眼を輝かせて見ていた。請われるままにその本を貸して半年後、「おまえに借りた本を見て作ったんだ」と、サニ流アイヌ模様の服を持って再訪してくれた。





          麻布地に木綿の模様をはわせ、こまかい刺繍でとめてある。

          縄文時代のひとびと、伝統的な生活をしていたネイティブのひとびとは、自分や家族や仲間たちがつくった服や道具で暮らしていた。ひとつひとつに時間をかけて、つくり手と使う人とのあいだだけでなく、材料となったいのちとのつながりも目に見え感じられただろう。本当に必要なものを必要な分だけ、思いを込めてつくり、使っていたのだろう。
          そうやって生まれ、使われているものには「時」が宿っている。わたしたちが手にとり使うようになるまでのあいだに旅してきたたくさんのつながりが、しっかりと宿っている。それはちからを与えてくれるものだ。やさしい気持ちでつよく生きていけるパワーを。

          人がホッとするとき、自分と向かいあい、世界と向かいあえるのは、そういった宿っている「時」を受けいれられたときではないだろうか。



          このアイヌ――サニの民族衣装には、新潟でみつけた昔ながらの織りの帯がよく似合う。そしてそこに手製の模様入り鉈を佩くのが、おれのいま一番お気に入りの装束である。
          | ものづくり | 22:16 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
          級長戸の聲
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            春先に切っておいた竹で風鈴を作る。材料は竹と麻紐。


            まず鋸でななめに切れ目を入れるのだが、竹は硬いため木を切る普通の鋸ではすぐに歯が鈍ってしまう。塩ビ管を切るパイプソーが歯が細かくて適している。鋸で入れた切れ目に向かって竹割り鉈で割目を入れてる。普通の鉈は片刃なので竹を割るには向いてない。おれはもともと両刃が好きなので普通の鉈はほとんど使わない。
            切れ口を鉈で整え、やすりをかける。


            太さ、切り口の長さなどいろいろ作ってみて全部で十一本。これで二つ分。節の部分に錐で紐通しの穴を開ける。


            紐で吊るして出来上がり。真ん中には音出しに節の部分をぶら下げ、その下には風受けに紙でも吊るそう。


            カランカランとおちついた静かな音を立てる。「級長戸の聲(しなとのこえ)」と命名。
            風がずいぶん涼しくなって、秋の到来を思わせる。でも旧暦を見ると中秋の名月は十月中だから、今年は秋が長いかも。
            級長戸の聲、我が家でひと冬こせば、煤けていい焦げ茶色になり、乾燥で音もかわり、また味わいがでるだろう。
            | ものづくり | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            火吹き筒
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              雪の重みで倒れた竹を切って、火吹き筒を作った。中の節は抜き、端に残した節の真ん中にキリで小さな穴を開けて出来上がり。反対の端を丸みをつけて削っておくと、吹くときに口をつけても痛くない。
              簡単な道具だけれど重宝である。風を送ることでこんなに炎を調整できるとは思わなかった。弱火と強火を使い分けられ、すぐ太い薪に炎をともせるので着火も楽だ。いままでこの道具無しで暖炉をつかっていたたいへんさが嘘みたい。



              ※この記事を書こうとしてなかなか出来ないうちにずいぶんと暖かくなってしまった。写真は半月前のもの。
              | ものづくり | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              ヤシャブシ(夜叉五倍子)
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                天気が良く暖かいので近くの山へ登ると、焦げ茶色の木の実がたくさん落ちていた。ヤシャブシだ。染物の原料となる。ビニール袋1袋分ほど拾う。調べてみると、桐箪笥の表面に煮出し汁を塗るという使い方もするそうだ。タンニンが染料となるのだが、草木染の中でもタンニンは染めやすいらしい。媒染も鉄・アルミなどもあるが、椿の灰汁を使う椿媒染も良いそうだ。葛糸で布を織るのが夢なのだが、その時はヤシャブシの椿媒染で染めてみたいなぁ。さて、いつ実現できることやら。まぁ慌てず焦らず、できる時にできる事をコツコツとやっていくとしましょう・・・ ヤシャブシと一緒にモミボックリ(?)も落ちていたので拾う。白くて、飾りに使えそうヤシャブシ(夜叉五倍子)
                | ものづくり | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                模様
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                  手作りのものにはできるだけ模様を入れたい。もともと絵を書くのが好きだということもあるが、模様を入れることでより身近に、言ってみれば濃いたましいを入れられると思うからだ。アイヌも縄文人もインディアンも、地球上どの民族ももともとは模様で飾った道具や服を身に着けていたと思う。それは技術としての腕を振るうということのほかに、模様にちからがあるからだ。服の袖口や襟元には必ず模様をつけ、病気などの悪いものが入ってこないようにしていた。土器も同じく腐らないよう、良いちからをその中身に与えるよう模様で飾られていた。単なる迷信ではなく、かたちにやどるちからのことをよく知っていたのだろう。
                  形(カタ)は正しいチからを把握してこそ「チカラ」となる。
                  道具を作るとき、使うときに、おろそかならぬ気持ちでいとなむ。そうやってカタチ(道具)のちからや意味を感じなければ、やがて道具はひとの意思の及ばぬちからを振るい始め、使っているつもりのひとが道具に使われてしまう。
                  大地から借りている道具(カタチ)たちは、気持ちしだいで自分と限りなく近づき、融合していく。それが魂が入っていくということだろう。



                  | ものづくり | 19:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  鍛冶
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                    龍の字から鍛冶を教わる。
                    時代が時代なら龍の字は刀鍛冶になっていたと思う。鉈やナイフを自作するものの、一番作りたいのは刀であろう。鍛冶仕事にはおれも昔から憧れがあり、機会さえあれば学びたいと思っていた。今回皮鞣しのついでに夢が一つ実現する。



                    まだこれから形を整え、刃をつける工程が残っている。

                    ・・・ちなみにおれが目指すのは石器・土器時代の文化で生きること。金属器というのはあくまでも特殊・神聖なものだと感じている。無ければ生きていけない、というのではなく、日常とは違う範囲で敬意を持って使うものだと思っている。
                    | ものづくり | 15:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    皮鞣し(なめし)
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                      熊つぁんからもらった鹿皮二枚を持って、鞣し皮に興味を持っている友人宅に行く。外見がなんとなく芥川龍之介に似ているので龍の字と呼ぼう。
                      おれが知っている鞣し方法は、皮を剥いだその動物の脳味噌を擂(す)って皮に塗り、その後でしごくという平原インディアンの鞣しかただ。この方法を言うと龍の字は百科事典を持ち出して調べ、「脳漿鞣し」と言う名のあることが判明。
                      まずは脳を取り出す。子供の頃山羊の皮を剥いでいたという龍の字に教わりながら鹿の頭の皮を剥ぐ(このひと、山羊の頭の皮も剥いでいたのかしら?)。そして頭骨を割って中身を取り出すのだが、勢いあまって脳を潰さないように気をつけるのはなかなか骨を折った。
                      取り出した脳を大事に袋に入れて、皮に残っている肉片をこそぎにかかる。これが手間を食う。
                      インディアンは専用の道具を作ってこそいでいたそうだが、とにかくやってみて様子をつかむまでは道具の作りようもない。なんとか肉を落とした皮に、灰を塗ってひと段落とする。
                      このあと擂り潰してペースト状にした脳味噌を塗っていくのだが、その作業は後日とする。
                      | ものづくり | 15:18 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |